2013/07/10

『夜眠れない者は哲学者であれ』

先週末、相棒が一時帰国してからというもの、日中の仕事以外は毎日一人で過ごしている。

私の根本的な性格から言えば、若干辻褄が合わない事なのだけど、不思議と人恋しいといった気分にならないのだ。(マジですよ)
一日の仕事を一通り終えるとホテルの自室に籠って本を読んだりネットに向ったりいて過ごしている時間が殆ど。(マジですって)

しかし、そんな有意義な連続した時間の中にも「合間」というちょっとした瞬間が存在している。読み耽っていた"じゅんぶんがく"小説をベッド脇のサイドテーブルに置き、ふっと一息ついたときなんかがそうだ。そして、そんな時わりとこれまで考えていなかった様々な事柄に考えを巡らせる瞬間が、ゆらゆらと霧が立ちこめてくるようにどこからともなくやってくるのだ。

例えば、娘の事なんかを考え始めたらもう大変だ。大体堂々巡りで最終的には心配事で脳内が充満してしまうから、これはある程度の所で切り上げなければならないテーマ。他には仕事や会社のメンバーの事、自分でも興味深く思える自信の生い立ちや、家族や友達や隣近所の人々のこと。あとはやっぱり世の中の事。これからどうなるんだろうとかね。

そして、くだらないところでいうと、シンガポールに来てからというもの、特に外見的なアジアローカライズが急速に進んでいるんじゃないの?との評価を頂く事が多くなってきたこともあり、これに抗うにはどうすべきかなど戦略を練ったりしている。・・・ほんとくだらないね・・・更に対策も見つからないという・・・

そう。考えるといってもこのレベルなので、ヴィトゲンシュタインばりにもっと深遠な何かを追求したほうが良いのではないかと思い直し、折角の時間だしと色々と頑張ってみることにしたのだ。しかし、そうすると数分も立たないうちに電気を付けたまま寝てしまうというオチしか得られない。或はお腹を出したまま。

で、ここで何が言いたいかというと、眠れないとお嘆きの諸氏へのアドバイスの発見である。それは、寝る間際に解決可能そうな「現実的」なことを決して考えてはいけない、もし考えるならば非現実的なものにしなさいという事だ。

例えば「哲学とは何か」「バンパイアとは何か」といった対象が高度であればあるほど効果的といって差し支えないだろう。すると瞬時に思考の壁にぶち当たるはずだ。

そこだ!!!大事なのはその瞬間。その決して越えられない壁こそが実は眠りの誘発地点なのだ。つまり思考が壁にあたって漂っているだけでどうにも抜け出せない状態を意識的に作ってやるわけ。私と同類の凡人であればあるほどその時点でほぼ間違いなく思考自体を諦めてしまうはずだ。ましてやベッドの中だからね。結果として、そんな無駄な努力するより寝てしまえ、という展開につながってゆく。

どうだろう。かなり論理的展開ではないだろうか。論理哲学論考にまさるとも劣らずだ。

そんな高度な技術を会得した私は、一人でいても眠れないということがほぼなくなった。

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