2011/12/30

苦手なやり方はしないほうがいい。

やはり年末になると、今年1年を振り返ってみようかという気分
になってきます。

年末だろうが何だろうが1日は1日で、365日分の1日だという気持ち
で毎日を過ごそうと思ってはいても、年末になると自然とそうなる
のです。この気分自体に抗っても、あまり意味はなさそうなので、
「人間の本能」として受け容れることにしました。

思えば、物心ついてから数十年。毎年のように、年末にはその年の
「反省」をし、年初には「新年の抱負」を立てるというパターンを
繰り返してきています。
その結果として、1年というスパンではなく、45年という自分の
人生そのものを振り返ってみた時に決して満足のいく成果をあげて
きたとはとうて思えません。

何故でしょうか?僕は、この12月に入ってからそのことをずっと
考え続けてきました。
一つの結論として、自分のダメだったところを見つけようとする
「反省」という行動と、やるべき事を決めて実行するという
「抱負を立てる」との組み合わせが、自分にマッチしていないのでは
ないかということに思い至りました。
反省をして打ちひしがれているのに、さらに、そんな自分に鞭打って、
あっという間ににやってくる新年に抱負を建て実行せよ、などという
のは土台無理な話です。

というわけで戦略を大きく変えてみることにしてみました。

具体的には、まず、1年の総決算である年末に、今年できたこと
を数多く書き出して、積極的に「自分を評価する」ことで良い年
だったと締めくくる。まずは「褒めてやらねば・・・」です。

さらに、年頭にはやる必要のない無駄そうなことを書き出し、
来年1年間で「やらない事」を決めます。これは結果として
よりやるべき事に集中する環境をつくることに繋がります。
「やらないでいる事」の状態をキープするのは理性との戦いですが、
もしくじけそうになったら、

「幸せの一つの扉が閉じると、別の扉が開く。しかし、私達は
閉ざされた扉をいつまでも見ているために、開かれた窓に気付かない
ことが多い」

とのヘレン・ケラーの言葉を自分流に言い換えて
「本当は閉ざされていなければならない窓をいつまでもみているな」
との言葉を思い出すことにします。

いくつもの選択肢を同時に追う事はできませんからね。

被災地の復興を祈念しつつ、そんなことを考えている年の瀬であります。

2011/12/06

Amazon

Amazonから本が届く。封を開ける。なんとなくワクワクした気分になる。
その本は自分で買っているにも関わらず、誰かからプレゼントして
もらっている気分になる。

Amazonてすごいな。

さて、本日届いた本は例の「選択の科学」。「○福の科学」ではありません。
これは現在の読書ラインナップに割り込むこと必定。
現在のラインナップは、これまた例の「虐殺器官」と「女の一生」w
大体2-3冊の本を平行して読んでいる。僕にはこのやり方があっている。
特に時間配分などは決めていないが、気分によってすんなり移行できるよう
いつも異なるジャンルを携帯している。

因みに、僕は通勤時間に往復3時間かけている。毎日だ。
一週間で、3時間×5日=15時間 月間では約60時間。年間だと720時間!

720時間!

すごい時間を交通機関の中で過ごしているものだなぁ。何かを成し遂げ
られる時間じゃないのか。

といっても、主に読書とtwitterかFacebookに費やしているのが現実。

といわけで、何かを成し遂げるという大それた事を考えるより、明日増える
読書ラインナップを楽しみに、寝るとしよう。

僕にとっては、その方が生産的だと思う。

2011/12/04

本と映画の関係

本と映画(その映画の原作ではない)の双方に、根本的な考え方の共通性が
存在し、さらに思考を深められたり発展できたりという、互いに影響を及ぼし
あえる関係性の発見はとてもワクワクする。

まずはこの本



を読んでから、

この映画「127時間」



を見るつもり。

人生は色々なものを奪われることを孕んでいるけど、「自分の選択」だけは誰にも
奪われることはないんだ、とうことを考えていると力が沸いてくる。

というシーナ教授の言葉に、感無量。「座右の書」になる予感がする。

2011/12/02

覆されるもの

SFとは、一般的には「Science Fiction」であり、その定義は、wikipedia
によれば様々な考え方が交錯していてどうも定まっていないようだ。

サイエンス・フィクション (wikipediaより)

論争の中身には、SFに科学の題材が含まれることが必要かどうかといった
そもそも論的なことが中心で、ちょっとびっくりでもある。
(ソースがwikiだけにに頼っているようではお話にならないのだが、
まぁ、当たらずも遠からずという感じでしょう)
更には、「SF=Speculative fiction(思索的な小説)」として
「さまざまな点で現実世界と異なった世界を推測、追求して執筆された小説」
と従来のSFとは差別化して捉えようとする向きもある。

まぁこの際定義についてはどうでもいい。僕がそこに何か影響を与えられる
はずもないしね。

で、SFジャンルにはどんな作品があるのか、早速、カタ・カタ・カタと
キーボードを叩いてアマゾってみた。・・・絶句である。
よくもまぁ人間はこれだけの空想というか、アイデアが沸いてくるものだな
という世界がそこには展開されている。

SF・ホラー・ファンタジー (Amazonの書籍カテゴリ)


こういう発想ができるSF作家を集めて、新規ビジネスモデル開発フォーラム
なんかを創設したらすごい事になりそうだ。
僕は、最近キュレーションという考え方に傾倒しているから、百花繚乱の
アイデアを、現実のビジネスとをつなぐ糸口をみつけられそうな気がしていて、
先に誰かがやってしまわないかとドキドキする。
じゃ、自分でやれよという話だけどもね。だれかSF作家紹介してください。

ビジネスの話は置いておこう。
とはいえ、どの考え方も人間の脳から生み出される産物である以上、僕等の
住む世界の延長上に位置しているわけだ。
僕らが生きている現実では、日々、少しずつではあるが気付かないうちに
様々な現実が覆されている。
スマートフォン、Facebook、twitter、skype等の出現は、僕にとってそういう
思いにさせる対象だ。

そう、今もどこかで何かが覆されようとしている。

しかし、近い未来、人類と宇宙人との接触が実現して、僕らが彼ら(?)
の存在なり社会を知った時、これまでSFの世界で空想されてきた、突拍子
もないけどすごい世界だよな、と思われているもの自体が一気に陳腐化
してしまうと考えてもおかしくはない。
一体人間の英知を超えた現実とはどんなものなんだろうか。

もしくは、実際は人類と全く同じ現実がそこかしこにあったとしても、
それはそれで、ある意味僕らの想像を完全に覆しているはずだ。

宇宙にもジョンレノンや村上春樹や、そしてスティーブジョブズがいる
のかな。

そんな事を考えていたらまさに今、一つのSFアイデアが閃いた。

「全宇宙と無線インターネットで繋がっている世界」を描くSF。

どうでしょう。このコンセプト!!

ハリウッドプロデューサー様のコンタクトをお待ちしておりますw

※因みに、このブログを読んだ方は、アイデア取り放題の特典付いてますw