2015/12/30

正直になること

ブログを書いていてもう何年にもなります。

そんな自分のブログを読み返していても何も感じません。
時折つけている日記の方がグッときますね。間違いなく。

まぁ理由はわかっていて、ブログの方はほとんどまったく
自分に正直になれていないから。

何ていうか文章のうまい下手という以前に、気持ちが込もっていません。
それは本人が一番よくわかっています。

それでも、こんな自己嫌悪に陥りながらも「書きたい」という気持ちが
消えないのが不思議なのです。

多分、これはもっと大事にすべき自分の中の何かなんだろうなと思ったり。

もしそうであるなら、自分を偽り続けてブログなどを書き続けるのは
あまりにも人生を無駄にしていることになるよなと、ちょっと真剣に
考えこんでしまいました。

いや、考え抜きました。

もっと自分に正直になろう! と、誓った2015年の年の瀬です。

2015/12/20

「Botanical Life始動」

永らく気になっていた「植物」。

今日、自室のデスクにやってきた第1号はカロライナジャスミン
ひと鉢200円の新しい友達ですが、ビギナーとしてはしっかり育て切りたい、
そんな気持ちです。

春に花が咲くと良い香りが楽しめるそうで楽しみです。

花や緑を育てるという行為を通して、互いに良い影響を与え合える関係を
つくれたらいいなぁと思っています。

まずは一年くらいかけて色々学びながら、デスク周りを植物で覆い尽くすことを
目指しています。











2015/12/17

凡人的視点

敬愛するナシーム・タレブさんの本

ギリシャの哲学者ピロストラトスという人が、

「神は将来を見、凡人は現在を見るが、賢者はもうすぐ起きることを見る

と言ったというような事が書いてありました。なるほどね。

そして、私は凡人的な視点からなかなか脱しきれないということに
否が応でも気づかずにはいられないわけです。

2015/12/02

クリスマスの飾り付け

僕は基本的に面倒臭がり屋なので、クリスマスなどのイベント事の時に特別に凝った演出したりするようなロマンチックなタイプではないのだけど、今年のクリスマスは娘とこんな感じで何か手作りしてみたい気がしている。無性に。

今週末、提案してみようかな。


2015/11/30

何だ、この眺めは。

先日お仕事で逗子は小坪の高台に聳えるとある館にお邪魔しました。

その庭からの眺めがこれ。

一体何なんだよ、この絶景は。

更にこの日の午前中はこの海のアウトでいい感じに波が割れていて、ローカルとおぼしきサーファー達が踊りまくっているのも見えちゃったりして、もう参りました、といった感じでした。

勿論見ないふりして仕事に没頭していたのは言うまでもありませんが。



こんな置物もさらっとあったりして、オーナーさん、只者じゃない感が溢れてる空間でした。





2015/11/02

現場

昨日、車の中でJ-waveの「ビンデージガレージ」を聞いていました。
ゲストは映画監督の紀里谷和明さん。


聴き始めたのは途中からだったのですが、同感する会話がありました。

端的に言うと

「映画現場ではクリエイティブとか言っている状況ではなく、むしろ
ビジネス的なスキルが必要なんだよね」

というような感じの。

ここでいうビジネス的なスキルというのは、混沌とした現場をまとめる為の
大勢の人間を動かす組織運営的な部分なのかなと勝手に解釈してみました。

ともかく、僕が手がけているビジュアルコンテンツもクリエイティブ面と
ビジネス面を如何に融合させるかが重要なので、映画監督の経験からくる
このような言葉には非常に納得感がありました。

というか、こんなこと書いているのに、紀里谷監督の映画を観ていない僕は
完全にまずいですね。絶対観ます。

2015/10/25

ピアノの発表会

娘がピアノを始めてから、かれこれ2年ほどが経ったでしょうか。
僕の体内が捉える時の経過感はいつも極めてあやふやなので、
ちょっと自信ないですが多分そんな位だと思います。

昨日、そんな彼女の初めてのピアノ発表会がありました。

会場で、着替えを済ませた彼女と向き合った時、
日頃の成果が詰まっているであろう彼女の小さな10本の指先が目にとまり、
心なしか頼りなく感じてしまいました。

「大丈夫だろうか」と。

でもいざ始まってみると、親のそんな不安もなんのその。

1曲目は少し緊張していたのか、ところどころつっかえたりしていましたが、
休憩を挟んで挑んだ2曲目では、気持ちを切り替えることができたようで、
かなり堂々と弾けていたように親バカ視点では見えました。

ほんと一安心です。

こうやっていろんな経験をしていくのですね。





2015/09/25

外に開く

昨晩はフリーでCDかつコピーライターをやっている後輩と食事を共にしました。

彼とは最近知り合ったのですが、高校(しかも同じ野球部!)・大学とつながっているという縁がありました。

ストックフォトや広告クリエイティブを取り巻く環境などいろいろな話をしたのですが、むしろ僕の方が多くの刺激を貰ったように思います。

やはり、見聞を広めるにはネットに転がっている一次情報に頼るのではなく、自分自身がもっと積極的に外に開いていかなければなと改めて感じました。

帰宅後はその勢いのままに妻とも腹を割った話ができてこれまた良かったです。

(↓↓そしてこれ読みたいのですが、机に未読の本が積み上がっていてそれどころじゃない感じです)
 

というわけで、今朝は73.0kg/20%!!! 遅くに帰宅してドライカレーの残りを頂いたのが原因か!(一喜一憂はしません)

2015/09/20

お墓参り

しばらくご無沙汰してしまっていたお墓参り(高尾)に母と僕の家族とで行ってきました。

気温は微妙に高めでしたが、それでもすっきりとした秋晴れでお彼岸に相応しい日だったと思います。娘も久しぶりにクミバァ(僕の母親)に会えて、本も2冊買ってもらったりしてかなり喜んでいたようです。

親父と弟が眠る墓前で色々と報告を済ませた後は、みんなで近くの鉄板焼屋で卓を囲み楽しく語らってきました。

こんな一日を幸せだなぁと思える感覚を大切にしたいものです。

そんなわけで、本日も概ね良好な一日でした。




2015/09/15

ソロンの戒め

今朝は、度々読み返しているナシーム・ダレブ著の
まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか
から”ソロンの戒め”を備忘録として引用しておきます。

--以下、引用--
「すべてが満ち足りていた人に不幸が訪れた例はたくさんあります。
今、裕福であるからといって思い上がるべきではありませんし、
今は裕福でも将来そうでなくなるかもしれないときに、
人の裕福さを褒めたたえるべきでもありません。
将来のことはわかりません。本当に様々なことが起こり得るのです。
神から一生ずっと幸せだと約束されたのでないかぎり、
幸せであるということはできません」

この中では、人が裕福だとか、幸せだとかとかそういったことでなく、
将来のことは誰にもわからない、という点に強く惹かれます。

今、少しばかり上手くいったからといって安心することはできないし、
反対にうまくいっていないからといって悲観する必要もありません。

人生には後者の方がより大事だったりするんじゃないかと最近は感じていたりします。

しかしこの本のタイトルはほんと秀逸です。オリジナは「Fooled by Randomness」










2015/09/01

著作権

最近は、著作権方面が騒がしい。

いろいろな要素があるが、どの業界にも特有の商慣行の中に「著作権侵害」が潜んでいるんだということが顕在化されたことの意義は大きいと思う。そういう意味で、今回の一連の騒動は社会への啓蒙という観点でもかなりのインパクトを残したなと思う。

著作権を扱う仕事をしている私としてもこの機会に改めてしっかりと向かい合っていきたいと思う。

2015/08/29

創作脳とリズム

インスピレーションを伴う創作活動には、一定の生活パターンというか型というかリズムのようなものが必要だと考えています。

僕のように本質的にはマルチタスクが苦手な人間が、あれこれと出来る風を装ってみても結局はどこかにしわ寄せがくることになります。

現在はあくまでもビジネス活動(経営)が主であり創作が従という関係ですので、そういったバランスが取れる状態を意識していかなくてはならないなと思ったりしています。

両方の思考が同時に入り乱れる状態が長く続くと、全体的にパフォーマンスが落ちてくるのは自分がよくわかっています。

そんなリズムをつかむためにも、あれこれ試行錯誤してみましょう。


2015/08/28

文脈

仕事には文脈の理解というものが重要だなぁとつくづく思います。

というのも人は何かの流れの中で仕事をしている場合が殆どです。

「今なぜこのような状態になっているのか」といったその仕事の背景の理解が足りていないと、自分のしていることが目指すべき方向からずれていても気付く事が出来なかったりもします。

それでは折角の仕事も意味を持たせる事が難しくなるというもの。

流れを理解し、チーム全体ひいては会社全体のどの部分に自分は貢献しているのかを意識しながら取り組みたいものです。










2015/08/27

印鑑が、、、

昨晩のこと。印鑑が必要になって妻に依頼したのですが、どこを探しても見つかりませんでした。

僕としてもどうしても必要だったので「ちゃんと管理してくれなきゃ困るなー」などと少々イラつきながら呟いたりしていました。

その間も「あなたに渡したかも」とかいうので僕としてもそんな記憶ないし、"そりゃないわ"と一蹴していました。

しかし、どこを探しても余りにも見つからないので、まさかと思いつつ二階に上がって自分のデスクを漁ってみると、、、!

ありました。印鑑。ちゃんとありました。ファイルに挟んである関係書類と共にそれはそれは大事そうに保管されていました。

この状況、もうひたすら謝るしかないです。

今朝も何となくそんな雰囲気を引張りぎみの我が家でした。

探し物はまず自分のボケ化を疑うことから始めなくちゃなりませんね。

2015/08/25

湘南マジック

昨日で5日間(土日込み)の夏休みが終了。

家族、とりわけ娘とは目一杯遊べたんじゃないかなと思うのですが、本人は全然満足していない様子です。その表情からしてもニーズとの大きなギャップが存在しているのを感じます。

それはさておき、最終日の昨日は午前中時間をもらって近くのポイントにサーフィンに行ってきました。一昨日までかなり大きめの波が続いていたので、小波好きの僕にとってはちょうど良い感じにサイズダウンしてかなり楽しめるんじゃないかとの期待もMAXでした。

しかーし、ちょっとこれサイズダウンしすぎ!!


いわゆる湘南マジックというやつでした。

とはいえ、デカくても小さくてもあまり乗れないからどっちでも良いんですけどね〜。

ただ、「湘南マジック!」と叫んでみたかっただけです。

さぁ、今日から仕事再開!

※湘南マジックとは湾型の地形の湘南特有の現象。前日までサイズのある波が炸裂してたにもかかわらず、うねりの方向が少し変わっただけで、一夜にしてその波が跡形も無く消滅してしまうこと。(僕の勝手な解釈。合ってるかな?)

2015/08/22

重なる渋滞

西湖キャンプからの帰りは大渋滞にはまってしまいました。

東名が事故渋滞だったので、秦野中井で降りて西湘バイパスに乗り換えようとしたら、高波で通行止め。

おかげで並走している国道1号線がこれまた大渋滞。文字通りにっちもさっちも行かない状態でした。

疲れもあってか少しイライラしてしまい、家族にも迷惑かけちゃったかなと反省しています。

しかし、気を取り直して先に夕食取ろうということで、一番近場の「スシロー」を選択。

これまで絶対にお寿司は嫌だなんて言ってた娘もなぜが受け入れてくれて、食後は「お寿司も悪くないね〜」ですって。喰わず嫌いの一つをクリアできたかもしれません。

これからは寿司屋にも行ってくれそうです。何というか災い転じてってやつでしょうか。

お陰で食後は渋滞も緩和されスムーズに帰宅することができました。

イライラしていては判断力も鈍りますし安全運転上も良いことはありません。

渋滞如きにびくともしない精神力を持ちたいものです。

そう言えばキャンプをしたエリアの富士の裾野では、長渕剛ライブとかで観客を乗せた観光バスとわんさかすれ違いました。何でも10万人集めたそうな。

あまり好きなアーティストではありませんが、貼ってあったポスターはターミネーターばりに迫力満点でした。

このポスターの構成に敢えて挑んだアートディレクター(いるとすれば)も凄まじいプレッシャーを受けていたはず。


ともかく、朝まで本物探しか、、、

早寝早起き組も負けていられないな!



2015/08/21

day 2


キャンプ2日目は、僕にとっても初ものづくしでした。

カヌー体験に、鱒釣り。しかも釣れた鱒を塩焼きで食しました。

日頃娘に様々な体験をして欲しいなんて言っているわりには、自分も仕事ばかりでそれ以外では大したことしてきていないよなと思います。

まぁ、そんなアンバランスな人生もまた良しかな。

今日1日、家族の中では間違いなく僕が一番楽しんでいたと思います。




2015/08/20

キャンプ

夏休みを利用して家族で西湖にキャンプに来ています。

キャンプは良いですね。自然の中で本来の自分に戻りリラックスする事ができます。

この二日間だけは、世事の気になることを少しだけ忘れて、ゆっくりと流れる家族の時間を楽しみたいと思います。

※只今9時半。妻も娘も既に爆睡です。
※2 祝!母校東海大相模野球部全国大会優勝。


2015/08/19

Kinfolk とセンス


ライフスタイルマガジン「Kinfolk」がオシャレです。

写真のテイストもさることながら、特にテーブル周り。食や食にまつわる食器類のセッティングが好きです。

こういったセンスはどこから生まれてくるのでしょうか。というか何故彼ら/彼女らの産み出すビジュアルに僕はこんなにも魅了させるのでしょうか。

「定量化」という言葉は僕はあまり好きではないのですが、でもこういったセンスとやらの評価の定量化を試みたいものです。

飛び抜けたセンスを感じるビジュアルには、おそらく、いや確実に、どこかに計算され仕掛けられている部分がある筈だと思うのです。



2015/08/18

安眠グッズ

睡眠に気を使うようになって一週間位が経った。

安眠グッズとしてアイマスクと耳栓を使用している。

相変わらず朝は早め目覚めてしまうし、深い眠りかといえばそんな感じはしない。ビフォアアフターで何か変化があったかというとまだよくわからないというのが正直なところ。

しかし、それ以前にそもそもグッズが効いているのかの検証ができる状態にないのだ。

何故なら、寝る前に「よろしく!」と心で声をかけてからグッズをセットするのだけど、朝起きるとほぼ例外なくアイマスクはどこかに消え去り、耳栓は辛うじて耳に引っかかっているような始末だからだ。

うーん、慣れないからか、それともこれらのグッズが自分に合っていないからなのか。。。(確かにケチって安物買ったけど、、、)

ローマは一日にして成らず。あれこれ試行錯誤すべきなのでしょう。

安眠対策との戦いは長くなりそうだ。

2015/08/17

ある種の摩擦

この人間社会の把握には、ある種の摩擦が必要だと思う。

Wikipediaによると、人間が物体を掴むことができるのは指紋による強い摩擦のおかげでこれを静止摩擦というそう。一方、対象が相対的に運動している場合、運動エネルギーは奪われてしまう。しかし周囲に散逸したそのエネルギーは熱に変わる。これを動摩擦という。

静止摩擦と動摩擦。この関係を人間社会に置き換えてみると面白い。

何も摩擦を生じない状態というのは互いになんら関わっていない状態といえる。しかし実社会においてそんな事は難しいのではないかと思う。家族であれ、友人であれ、仕事関係であれ、ご近所であれ、社会であれ、それが例えゲームの中であってさえ・・・人は必ず何かしらの関係性のなかで暮らしている。

だから互いに摩擦のないつるつるな関係というのももしかしたら存在しないのかもしれない。

人間関係における「摩擦」というと衝突や軋轢といったネガティブな印象を持ちがちだけど、より良い互いの理解や関係づくりの為には必要だし、そこから何かの熱量を生む(動摩擦)のに必要なものと捉えるとまったく見方が変わる。

そう考えると、人々の関わりそのものが摩擦から始まると言えてしまうのじゃないかと思う。

そして、互いにポジティブに絡み合うことができれはそこからは動摩擦=熱量を生む事ができるというものだ。

協力は摩擦を生むものでありそして摩擦は協力の糧であったりする。摩擦の力をプラスにできるように心がけていきたい。


2015/08/16

プールでウォーキング

先週から、体調改善策の一つとしてウォーキングを導入しています。

結果としては2回実施/週でした。心情的にはもう1日くらいやりたかったのですが、それはそれでまずまずだと前向きに考えるようにしています。

そして、今日はプールで合計30分程水中を歩きました。その他クロールで数百m泳いだしわりかし良い運動ができました。

なので今週は幸先の良いスタートを切ったといえるでしょう。今週中にあと最低2回、できれば3回は歩きたいところです。

ところで、室内プールでのウォーキングはかなり快適です。この時期特有の灼熱の日差しを避けながら、しかも適度な水温で気持ち良く歩くことができるという好条件が揃っているのですから・・・

更にプールから上がってみて感じるのは、下半身をしっかりと使っているなと。普段のウォーキング30分以上の効果を感じます。

まぁ、あえてマイナス要因を挙げるとすれば、それは平日になかなか行けないということでしょうか。なので、月に何回かの週末をプールウォーキングに充てても良いかもしれません。幸い家族全員プール好きなので何とかなりそうな気もしています。

心地よい疲労感でしたし、今晩はぐっすり眠れそうです!












2015/08/13

25mを泳ぎきること

以前も書いたのですが、我が家では朝食時に「Good & New」をしています。

毎日やっているとマンネリ化は避けられませんしそれに家族全員が良いことだらけの日々でもありません。それぞれに好不調の波があるのです。

それでも続けていると、不思議と再びいい感じの雰囲気が戻ってきたりするもので、そんな時はやはり継続は力なりだよねと感じ入ったりします。

そして、そんな浮上のきっかけになるのが、時折出てくる「すごいトピック」です。

それはやはり子供から発信される場合が多いです。ウチの娘の「すごいトピック」が出てきた時は家族全員で「イエーイ」となり、とっても和やかな1日のスタートを切ることが出来ます。

そんな今朝の「すごいトピック」は、娘が25mを泳ぎ切ったこと。スイミングレッスンも途中でやめてしまっていたのでちょっと心配していたのですが、この夏休みに妻とせっせとプールに通った成果がでできた様です。苦手だった息継ぎも出きるようになって、達成感がドヤ顔的な表情に現れていて、ちょっと可笑しかったです。

スイミングのレッスンでは結果が出なかったけど、きっと会得するまでに時間がかかるタイプの子なのでしょう。そのあたりは大器晩成と言われ続けて既に49歳になる父親に似ているのかもしれません。

ん?でも僕が1年生の時に25m泳げたっけな?

まぁ、それはさて置き今日は朝から娘に物凄い元気を貰えました。

2015/08/12

ミラーレスカメラ

最近、ミラーレスカメラが気になっています。

性能もかなり良くなってきています。

特にそのコンパクトなサイズから産み出される機動性の良さがビジュアルの幅を広げる気がしていて、いつも手に持っていたくなります。

カット数やバリエーションが欲しいストックフォトの人物撮影にもフィットするのではないでしょうか。

ええい、買ってしまおうかな。





2015/08/11

顧客ニーズ

B向けのサービスでは、顧客ニーズにも階層があったりしますよね。

その構造はここでは省きますが、僕らが取り組んでいるストックフォト分野についていえば、結局は最終消費者(エンドユーザー)がそのビジュアルを見て「何を感じてくれるのか」、言い換えるならば「何が伝わったのか」という部分をもっと重視しなくてはと個人的には考えています。

そして、その最終消費者層は得てしてコンテンツを直接購入するわけではありません。

そのような見方をすると、顧客ニーズとはどこを見れば良いのかと少し戸惑ったりもします。

コンテンツ制作者側の視点に立った場合、独りよがりな広告ビジュアルはNGというのは定説ですが、しかしながら最終消費者に目線を合わせるならば、対象の業界、もっと言えば特定の企業などを具体的に設定する事で「この業界或いは企業からはどういったメッセージを伝えられたら刺さるのか」といった「自分=消費者視点」と置き換える逆張り的発想も面白いななんて考えています。

これは昨今のマーケティングでは否定されがちな直感的とも言えない取組みだと考えています。

顧客ニーズのどの階層に焦点を置くかで制作者側のアプローチも変わってきますよね。

ビジュアルコンテンツ作りは本当に奥が深いです。

2015/08/10

ロバート・キャパ

現在推進しているストックフォト関連のプロジェクトに、マグナムフォトという世界的な写真家集団のマネージメント会社に関わっていたメンバーが二人も参加してくれています。

マグナムフォトといえば、そう、あの報道写真家として超有名なロバート・キャパらが創立した組織です。創立から現在に至るまでの写真史的にも重要な写真家が多数在籍し活動を続けています。

ところで、ロバート・キャパという写真家については、マグナムフォト創設メンバーであり「Falling Soldier」など幾つかの有名な作品をなんとなく知っているという位で、告白しますと本人についてはほとんど無知でした。

というわけで遅まきながら彼に関する本を2冊ほど購入しました。キャパ その戦い (文春文庫) とちょっとピンぼけ (文春文庫) です。特に後者は本人の著作ですので彼の考えに少しは触れることができそうで楽しみです。

現代を代表する写真家達と関わってきたメンバー達ですから、写真への造詣の深さや姿勢は深いものがあります。そんな彼らと一緒にストックフォトの仕事ができている僕は幸せだなぁー。

おかげで、いろいろと学びの多い日々を送っています。



2015/08/08

体力増強!

結局、昨日は体調を崩してしまい会社を休んでしまいました。

泥のように一日中眠れてしまっていたので、相当疲れが溜まっていたのかもしれません。

50歳を前にして、ここのところ感じている急速な体力の衰えはなんとか対策を打っていかなくてはならないレベル。

そこで、妻とも話し合って今一度基本にたち返ろうということになりました。

十分な睡眠、適度な運動、規則正しい食生活などは基本中の基本。最近は意識して酒量も減らしています。

特に運動については「筋力アップが良いらしいよ」とのアドバイスを妻からももらいました。

週末のサーフィンと、週に3、4回のスクワットだけでは足りないのかもしれません。全身にバランス良く筋力を付けないとということで、先ずは手軽なウォーキングを取り入れてみます。

無理せず週に2、3回位で慣れさせて徐々にペースを掴んでいければと思っています。朝できなければ夜やるなど、継続するには柔軟さも必要です。

何事も体が資本ですからね。しっかりと取り組んでいこうと思っています。

2015/08/06

暑い

今日は終日ほぼ外出先での仕事でした。

そんな時のこの異常な暑さはほんと堪えます。

でもこれは自分だけじゃなく、我々日本人全員にとっての試練なのですよね。

そう考えると何だか楽になります。皆も頑張っているんだよなと。

体調管理をしっかりやって、この夏を皆で乗り切りましょう!

2015/08/05

帰宅にかかった3時間と小世界とジョニ・ミッシェル

京浜東北線で架線が断線 

こちら、昨晩わりと大きいニュースになりましたね。ちょうど帰宅途中だったこともあり、僕もこの影響に巻き込まれました。

電車が止まった当初のアナウンスではその内運転再開するだろう的な雰囲気だったのですが、さすがに30分位経った頃でしょうか、周りもざわつき始めましたように思います。

しかし、僕は病気療養中のジョニ・ミッチェルを聞きながらの読書に夢中で、暫くは「あー、止まったのか」位な感じで何にも気になりませんでした。

そこから更に1時間位経過して、さすがに気になってSNSを確認したりして、まぁそんなような状況だったということを初めて知りました。

その時、正直「これはチャンス!」という思いがチラッと頭をよぎりました。乗った電車がそんなに混雑していなかったこと、止まってしまう直前に幸運にも座れたこと、座席が角っこだったこと、などなどちょっとした好条件も重なって自分だけの小世界が作れると思ったのです。

ええ、もうそれからはいろいろな作業に没頭しました。仕事関係では未読になっているチャットの読み込み、感性を養う為のビジュアルをせっせとPinして、それでも時間があったのでAppleMusichの「オフラインで再生可能にする」でダウンロードしておいた曲の数々を聞きながら、あれこれとプレイリストを整理したりしていました。

そんなこんなで3時間位の時間はあっという間に過ぎ去ってしまいました。普段、こんな贅沢な時間の使い方はなかなか出来きません。

周囲の方々も、少なくとも表面的には冷静な様子でした。みなさん、どんな小世界を楽しまれていたのでしょうか。





2015/08/04

共感とSNS

幾つかの用途でSNSを使っています。

僕の場合は、Facebook, Twitter, Pinterest, Instagramの4本柱です。いずれもそんなにフォロワーが多いわけではありませんが、SNSの特徴としての""シェア"like""いいね"等はやはり気になります。中でもPinterestとInstagramのビジュアル系SNSでもらう"評価"は他のものよりも少しだけ特別の感覚を覚えます。

ストックフォトにのめり込んでいる僕は、日常においても見たり・聞いたり・読んだりしたものを頭の中で一旦ビジュアルに転換することを試みていて、例えばPinterestなんかで自分なりに気になってPinしたビジュアルに他のユーザーから共感してもらえたりするのはやはり嬉しいものです。

ちょっと違ったところでは、様々な人のコメントが特徴であるニュースアプリなんかも使っていますが、人のコメントを読み込みんでいるうちに、何だかわかりませんがちょっと辛くなってきます。あまり共感できる感覚にはなりづらいなといったところが原因でしょうか。

むしろ、最近はそれ以前に自分の独自の考え方を養う方がより大事だな、なんて改めて考えていたります。世の中の事は自分が目指しているものほど重要じゃない場合が多いですからね。

やはり「共感」をベースに展開しているサービスが好きだな、と思っています。

で、今後はPinterestとInstagramにより力を入れて、前者は世の中のビジュアルトレンドの把握や感性アップに、そしてInstagramはスマホを活用した自身のクリエイティビティの実験の場として活用していこうかなとつらつら考えています。




2015/08/03

子供達の成長と花火

先週末は、家族で小淵沢の義妹家族を訪ねました。特に約2年ぶりになる3人の子供達のそれぞれに成長した姿に接する事ができて感慨深いものがありました。

それにしても、よく言われていますけども、小中学生の子供達のこの時期の激変ぶりにはびっくりさせられます。

背丈はもちろんなのですが、最近の興味の先、物事の考え方や話し方とか、「お前ら、別人かよ」って感じでした。友人や周りの人々の影響、様々な体験などをどんどん吸収していっている感じが伝わってきて嬉しくなりました。

多分、色々としつこく聞いてくるおじさんはウザがられたと推測しますが、それでも引き続き定点観測は怠らないようにしたいと思います。

そして、義妹達からすればウチの娘の成長ぶりに目をみはるといった感じな訳で、毎日接している親が気づかないところを指摘してくれたりしてくれて思わぬ気付きがあったりします。そんなやりとりも楽しみの一つでした。

一泊二日でしたが、娘も遠くにいるお兄ちゃん、お姉ちゃんとの関わりできっと色々吸収してきたことでしょう。

やっぱり、家族っていいですね。

そうそう、花火を見てきました。ここの花火大会は間近で見れるのでほんと迫力満点。ホースショーも併せて開催されるのでオススメです。


2015/08/02

思考の先走り

例えば、自分の嘗ての成功体験を更に進化させて再現するようなプロジェクトを主導する場合には、一緒に取り組むメンバーに対して様々な注意と配慮が必要だ。

特にそのチームの構成メンバーが、過去の体験を共有できているのか、それともすべてが真っさらの新メンバーなのかによって状況が全く変わってくる。

前者の場合、既にある程度の課題感を共有できているケースが多いので、進化させようとする新しい試みが何に対して新しいのかを直感的に理解出来る。だから、まぁ、一度やってみようか、と直ぐさま検証フェーズに入りやすくなると考えられる。

しかし後者の場合は、その手法の前例が無い新しいものであったりすればそもそもが理解されづらいので、もっと効率的で妥当なやり方があるではないかといった意見が出てきやすくなる。

そして、その「妥当な方法」が得てしてこれまでに試してきたものの後追いであったりするのだ。そんな時は注意が必要だ。

それが実は「いつか来た道」であり遠回りであるという事をファクトベースでしっかり説明出来ないと、新しい施策のどこがなぜイノベーティブなのかに共感と理解を得るのはメンバーが優秀であるほど難しくなる。

従って、プロジェクトのメンバーは時間と共に変わり続けるという前提で考えるならば、新規事業にしても何にしても、PDCAの実行に際してはその過程を適時記録しておき、メンバーの入れ替えの度に共有・振り返りが出来る状態にしておく等の気遣いが必要になってくるだろう。いや、むしろ仕組みとして落とし込んでおく必要がある位だと思っている。

経験者は思考が先走る。プロセスをすっ飛ばして先の事ばかりを語ってもメンバーには響かないのだ。

最近あったある出来事を通して、そんな事を考えさせられている。自戒を込めて。


2015/08/01

家族との夏休み

この2年間は海外での仕事が多かったこともあり、夏休みシーズンはほとんど家族と一緒に過ごすことが出来ませんでした。

しかし、今年はこれまでの鬱憤を晴らすかの様に、毎週末に何らかのイベントが予定されています。色々セッティングしてくれている妻には大感謝です。

特に、まだ小学一年の娘と過ごす時間を沢山作りたいなと考えています。

きっと数年も経てばお友達と遊ぶ方が好きになってしまうのですから、今この瞬間にどれだけ時間をかけても足りないくらいなんじゃないかなと思っています。

子供がある程度成長している友人たちも「親と一緒にいてくれるなんてほんと小さいうちだけなんだから」と大体口を揃えて言ってますしね。

なので、まぁ子供のために時間を作るというよりも、父親である自分の為だというのが正直なところかも知れません。

大好きなサーフィンも程々にして、この貴重な時間を有意義に過ごしたいなと思っています。

今日は、これからはまかいじ号に乗って山梨の義妹家族を訪ねます。





2015/07/31

映画「ライフ イズ ビューティフル」とセレンディピティ

 

家にいる時、家族と過ごす時間以外は読書か映画かネットサーフィンか、
仕事かのどれかがほとんどの時間を占めている。

そんな時間のやりくりの中で、映画なんかはレンタルDVDを借りに行くことはあまりせず、ケーブルテレビの幾つかある映画プログラムにチャンネルを合わせることが多い今日この頃。

番組表もあまりチェックしたりしないので、以前観た作品は勿論、まだ観ていないもの、知らなかったもの、かなりマイナーであったり古かったりするものなど、ありとあらゆるジャンルの映画があちらからやってくる事になる。(まぁ番組側がキュレーションしているんだけどね)

先日もたまたまテレビをつけたら、まだ観ていなかった「ライフ イズ ビューティフル」がやっていたのでついつい見入ってしまった。

この有名すぎる映画には、お涙頂戴的なイメージを勝手に持っていてなんとなく避けていたのだけれど、何というか全編を通したこの強引なまでの明るさと、明らかに矛盾した展開とが繋がってきた時、それはやはり感動したし、号泣というよりは切なさとやるせなさで心が埋められてしまい見終わった時にはとても感傷的な気分になってしまっていた。

内容的にもホロコーストに絡めたストーリーということも初めて知った。

これはきっとタイミングもあって、若い時には気づけていなかった部分に、人の父親になった今だからこそぐっと入ってきたのだと思う。

好き嫌いが作品選びの基準になってしまっていては、きっと観なかった作品だったにちがいない。

本なんかもそうで、興味の関心の輪の中でぐるぐる回っているだけでは、その枠は広がらない。もちろん失敗と感じることも多いだろうけど、ある程度は流れに身をまかせてみるのも実はとても大事なことなのかもしれないと思っている。

偶然は必然という言葉もある。
年齢を重ねてくると自分の好みの中に身を任せてしまいがちになるから、こういった偶然の出会いみたいなもの(セレンディピティ)も、大切にする人生を送りたいものだ。


2015/07/30

出版の未来とストックフォト

社内でシェアされていたWiredの記事出版の未来は「出版社」ではなく「ブランド」にあるを読んで益々ストックフォトの重要性が増してくるなと勝手に感じています。

なぜなら、この記事にもあるように、各々のブランドが提案する世界観を独自の雑誌やネットメディアという形で打ち出す流れが加速すると、当然の結果としてビジュアルニーズが爆発的に増えてくると予想されるからです。使用されるビジュアルはもちろん撮り下ろしが主体となるでしょうが、この用途に耐えうるクオリティとセンスを兼ね備えたイメージをストックフォトとして提供することができれば、新たな市場が開拓できます。

ただし、これはストックフォトコンテンツ自体に変化が求められることにもなります。従来の何にでも使われることを想定した「Easy to use」のシンプルなイメージから、様々な世界観に対応しうるリアリティが感じられるイメージとでも言いましょうか、いわゆる「Authentic」なイメージのニーズに対応していかなくてはなりません。

写真的に言えば、明るすぎるフラットな写真ではなく、濃淡のあるしっかり奥行きを感じさせる写真への移行が進むでしょう。

これは撮影技術だけの問題ではなく、コンテンツのコンセプト作りの時点から勝負は始まっています。

選択するテーマ性、プロジェクトに反映させるトレンド(シーン、スタイリング、小物、背景設定など)の取り入れ方で随分と差が出てきます。

人物撮影においても、動作、表情の切り方はもちろん、その人々のライフスタイルのバックグラウンドがビジュアルにどう表現されるのか、といったレベルで物を考えていく必要があります。

本物らしさを実現するには、対象を深く掘り下げる作業が必要になってくるのです。

ストックフォト制作のアプローチにも相当変化が起きそうですね。

このテーマについては今後も折を見て書いていきたいと思います。





2015/07/29

通勤時間

電車通勤は割と好きです。
毎日北鎌倉(か大船)と渋谷を往復していましてドアツードアで1.5h位の時間をかけています。

職住は近い方が何かと良いとする考え方もありますが、何より海や山を中心とした自然が多い鎌倉のエリアがウチの家族もみんな好きだということで、 住むところを優先させている結果ですのでそこに不満はありません。

会社の方針もあって出勤が10時なのも助かっています。大体大船始発の電車に乗ってゆっくり座っていけるサイクルを維持できていて、電車に乗っている約1時間の間の過ごし方をあれこれ考えるのも楽しみの一つです。

その過ごし方としては、まぁ月並みですが基本的に音楽を聴きながら読書をしています。面白い本だと電車に乗るのが楽しみにさえなってくるので、読む本のチョイスは結構重要なポイントです。前にも書きましたがなるべくビジネス系は避けて小説かノンフィクションが中心です。

そして、不可抗力に対しての心構えも重要。いつも使っている路線は3つの路線に接続されていて、色々と影響を受けやすく遅延や運休が割と多いのです。ちょっとしたことに反応しているとイライラが止まらなくなるので、「あ、またかー」といった感じで受け流せる域に達することができればもう一人前。(たまにチェッ、的なことは今でもありますが・・・)

まぁ何はともあれ、僕の場合は本のチョイスが最優先事項。そんな今はJアーヴィングの「ガープの世界」を読んでいます。こんな面白い本を今まで読んでいなかったとは、、、というくらいハマっています。

暫くは充実した通勤ライフを送れそうです。














2015/07/28

スタイリングマップとストックフォト

ストックフォトコンテンツの制作を成功に導く要因のなかで、スタイリングは重要な要素の一つです。

「ただ着せる」、だけの発想では急速に進んでいるコンテンツの陳腐化に対応出来るプロジェクトにはなりづらいと思われます。

せっかくの企画もスタイリングで台無しになってしまうことは個人的にも過去に幾度も経験してきました。

一般的な企画の場合、スタイリングはそのロケーションや他のモデル、季節感などのバランスのなかでそれぞれと全体が如何に調和しているかが重要なので、個別的にオシャレすぎてもダメだし、ましてやモデルの持ち物をそのまま使ってしまうのは偶然の勝利を望んでいるようなものです。

もし何らかの理由で後者を選択するならば、事前に何を持ってきてもらうかを写真で具体的に把握し、可能な限りのリクエストを施す事で出たとこ勝負になるリスクを低減させるのは必須です。

とはいえ、ストックフォト撮影において、専門のスタイリストを起用するのは予算的に厳しいところ。おのずと自分たちで対応することになります。

そこで、自分達でスタイリングをする場合、メンバーの感覚だけでは捌ききれない領域への対応はクリアすべき課題の一つとなります。

雑誌や他のビジュアルを参考にすればある程度はイメージを持てるのですが、実際ショップに行って選ぼうとするとこれが結構迷います。

単品単品の判断は可能でも、全体のバランス感や小物使いなど、細部においての選択が難しいのが現実です。

この辺りの解決策としては、チーム内で専門の担当を養成していくか、または自分自身経験を積んでいく必要があるという属人的な方法もあるのですが、日頃から世代別/性別/シーン別/等の切り口でスタイリングをマッピングしておくことが重要かなと個人的には考えています。

ストックフォト撮影のように、あらゆる蓄積を価値に変えていけるような継続性のあるプロジェクトの場合は、このスタイリングマップはかなり重宝する筈です。


2015/07/27

スーツで戦闘モード

昨日、久しぶりにスーツを新調した。

そんなに高いものではないが、なんでも日本製の生地を使用しているからクオリティの割にリーズナブルな価格設定というスタッフさんの説明があった。

濃紺で少しシェイプしなくてはと思わせる程の体にフィットしたタイプだ。白いワイドスプレットのワイシャツに無地の紺タイを合わせるイメージでいきたい。僕の場合は年齢を重ねる毎にどんどんシンプル志向になっている。

2010年にPIXTAにフルコミットする様になって、結婚式とか以外はいつの間にかジャケットすら着なくなっている。まぁそれはそれで楽で良いのだが、たまにスーツに袖を通すと何というか背筋が伸びる感じがする。

こういった感覚は、ファッション業界があの手この手でイメージをキープしているのだろうけど、結果としてこれだけ長く続いていてしかも多くの人々に浸透しているわけだから、多分多くのビジネスパースン(何事にも例外はあるが)には本質的に抗えない感覚なのだと思う。

出来上がりが楽しみだな。

鏡に映る採寸されている自分の姿を眺めながら、久しぶりの戦闘モードになった。
(それにしてもやせなくては似合うものも似合わないのだけれど・・・)





2015/07/26

東海大菅生野球部早実に逆転負け!

夏の高校野球:西東京代表は早実 東海大菅生に逆転勝ち


残念な結果だった。東海大菅生の若林監督は、僕の東海大相模野球部時代の同期だ。

彼は、東海大卒業後社会人野球を経て投手として中日で6年間在籍した経験を持つ。しかしその後サラリーマンをしたりして紆余曲折したのち、2007年に東海大菅生野球部の監督に就任した苦労人だ。今年の春は選抜出場も果たしている。

まぁ同期といっても彼は高校入学時から半端無い投手で、一年生の最初からレギュラー組だった。

そんな投手だったので、基本的に僕なんかはかすりもしない相手だったわけであるが、ある日のシート打撃で彼から一度だけ右中間二塁打を放ったことがある。なんていうかこう左腰を開かずにぐーっとおっつける、という感じね。あの感触は忘れられないなぁ!

・・・少なくとも僕の記憶の中ではあの時の投手は若林だったはずだ。しかし、卒業後しばらくして同期で集まるようになって、飲みの席とかで毎回の様にこの話をしているのだけど、全く誰も覚えていないのだ。若林本人も全然覚えていないという。。。

というわけで、最近は自分自信も確信が持てなくなってきて、あれは幻だったのかなと思い始めている。一体あの感触は何だったのだろう・・・

まぁ、そんなことはどうでもいい。ともかく同期の彼が夏の甲子園一歩手前までチームを導いているということに熱く込み上げるものがある。

今回は残念だったが、明日から早速新チームになるし、また新たなチャレンジに歩を進めていくことだろう。心から応援している!!

そして、3年生諸君には本当にお疲れ様でしたと言いたい。この経験はこれからの人生にきっと役立つことでしょう。

それにしても、学生時代の同期の頑張りというのは刺激になる。僕も道は違えど自分なりのチャレンジを続けていきたいと思う。


2015/07/25

「熱意ある地方創生ベンチャー連合@福岡」にて

昨日は、ウチの代表 古俣 大介 の代理で出席してきた「熱意ある地方創生ベンチャー連合」の発足記者会見@福岡でした。


僕の故郷福岡ということも個人的にはあるのですが、高島福岡市長や錚々たるベンチャー経営者の皆様の持つ熱気の中で、いつの間にかメラメライオンに取り憑かれてしまったかのように何か力にならねばと思うようになっていました。

ベンチャー+地方の課題解決という組み合わせは、結構ハマりそうです。

記者会見の後にセットしていた本業関連のアポも上手くいって、かなり充実した福岡ラウンドになりました。

やはり、生まれ育った福岡という土地には何かしらの縁があるのかもしれません。







2015/07/24

2015/07/23

体力維持について

ここのところ夜まで体力が持たない気がしています。疲れやすいというかなんというか。

体力そのものというよりは集中力と言った方が正しいのですが、まぁ物事をしっかり考えるにはやはり体力が重要です。

結果として、週末のサーフィンや毎朝のストレッチ&スクワットだけでは体力維持に繋がらなそうなので、何か対策をと思うのですが今の所妙案が浮かびません。

とはいえ、直ぐに着手できる事としてはまずは睡眠の改善。少し短いかなぁと感じているので、その辺からのテコ入れが現実的かなと考えています。快適な睡眠を取るための改善施策とか色々と試してみようかな。

何事も体が資本。

アラフィフともなると、ほんと意識的に気を付けていかなければなりませんね。お酒も程々に!

明日は久しぶりの我が郷里、福岡へ出張です。

2015/07/22

クフ王に感謝 〜 Asaba Art Squareにて。

先日、友人の奥様達が切り盛りしている金沢文庫のAsaba Art Square内にあるカフェに家族で行きました。

僕の仕事がらみということで終日バタバタでそんなにゆっくりはできなかったのですが、とても素晴らしいところでした。そもそも子供向けのアートスクールですし、ウーファーのホストもやっていて、様々な人種のともかく互いを尊重し合うオープンな人々が集う場所です。昨日あたりから流し素麺をやっているようで、気軽に楽しめるそうです。やっぱり夏は流し素麺でしょう!

そして、そんな魅力的な場所に黒猫が君臨しています。その名も「クフ」。あのエジプト最大のピラミッドを造ったクフ王から頂いたそうです。そう言われてみると凛とした雰囲気も感じるような・・・ハートをあしらった首輪もとても可愛かったです。

ところで、ウチの娘は動物が苦手で、犬なんかを見つけると固まってしまう系です。なんとかしたいなと思ってはいたのですが、何とそのクフにはすーっと自然に近寄って行って、恐る恐るでしたが尻尾あたりをなでなで出来たのです!

彼女にとってはとても刺激的だったようで「初めて触れた!」と喜んでいました。多分ちょっとした自信にもなったことでしょう。

クフが持つ大らかな雰囲気とあの場所に集う人々の極めてオープンな姿勢に重なり合いを感じて、何だかやはりそういったものは互いに影響し合って一つのカルチャーみたいなものになっていくのかなと思いました。

というわけで、娘に自信を付けさせてくれたクフに感謝です!


2015/07/21

Amazonの映像コンテンツ制作部門

「ナチスドイツと日本に支配された米国」を描く名作SFがドラマ化
というWIREDの記事をツイッターで見かけた。

もちろんドラマの内容と原作自体に興味を持ったのだけど、そもそもAmazonの映像コンテンツ制作部門などというものがあるんだということを知らなくて驚いたし、次の瞬間なるほどなとも思った。

関連記事を検索してみると、今年1月のリリースが見つかった。(Reuter)
米アマゾンが劇場向け映画制作へ、公開後早期にネット配信

同社は、映像コンテンツの膨大な販売データとそれらの協力な販路を持っているし、それらを活用して成功したオリジナルコンテンツは利益率が異常に高いはず。それに独占配信ということになればAmazonのプライムインスタントビデオ自体の魅力も高まってくる。Reuterの記事の方にもあるように、今後成長が見込める新規の投資先分野として当然考えられる選択肢だと思う。

先日も本ブログで書いたのだけれど、Amazonが今後「売れ筋の誤謬」にどう立ち向かうか、本作(掴みは良さそう!)含め今後リリースされるコンテンツ群にも注目していきたい。他メーカーの売れ筋のリプレイスをひたすら追うような、コンビニのPB商品的なコンテンツをマーケットは望んでいないはずだし・・・

それにしても、キュレーション系も含めて各メディアはオリジナルコンテンツに力を入れ始めているように見える。こちらの視点でもコンテンツビジネスの今後の方向性にアンテナを張っておきたい。

2015/07/20

梅雨明け・・・

関東地方もどうやら梅雨明けしたらしいですね。

本当に暑かったです。更にいうと湿気が殊の外多かった気がします。

今日は訳あってずっと屋外にいました。汗をかきっぱなしだったということもあり、少々体力を消耗してしまったようです。

今、自室でパソコンに向かっています。目の前の窓の隙間から夜風が吹き込んでいてレースのカーテンを揺らしています。

体調万全ならかなり心地よいと感じるはずですが、やはり少々疲れているのかそんな気分になれません。

よって、今晩はもうこれで閉店いたします。

おやすみなさい。。。。

2015/07/19

本当の俳優はどこに?

今朝の波。
僕にとってはちょっときつかったけど、海に入れるだけ幸せだ。



そういえば昨晩、ベストセラー連発のミステリー作家、マイクル・コナリーの真鍮の評決 リンカーン弁護士 (上) (講談社文庫) を読み終えた。

これはまさにハリウッドのどんでん返し系アクション・ミステリー映画の構成そのものだ。どっちがどうっていうのもあるけど、ラスト数十ページの展開はこれまでにも観たことあるような映画のシーンが容易にイメージできてしまった。

内容的にも、そういった構成の妙みたいなものに瞬間的に気持ちを揺さぶられるだけで、ストーリーとかキャラクターがハートに落ちてくるようなパンチは少なくとも僕は感じられなかった。

作中に出てくるセリフに

ハリウッドでは本当の俳優はカメラの後ろにいる

という箇所がある。皮肉だけど、まさにこの作品の全体こそがそんな感じなのだ。

書いた本人ではない誰か(例えばマーケティング)に操られているようなそんなイメージ。言い換えると「本当の作家はライターの後ろにいる」的な。

映画化されそうな小説市場にも「売れ筋」というものがあって、マーケティング重視のコンテンツはどこか似通ってきてしまうのかもしれない。或いは大衆が支持するベストセラーを映画化しているから当然なのだろうか。

こういった売れ筋の誤謬は、どのコンテンツ市場にも潜んでいそうだ。

情報拡散のスピードがかつてないほど速いインターネット時代は、このようなコンテンツの均質化とどう向き合うのかが課題の一つになると思う。

人々が独創性だけを求めているとも思えないのだけど、多くの制作者が売れ筋を追いかけていては、少なくとも埋もれるし、果ては飽きられてしまうリスクが高まっているのは事実だろう。

とするとこれからのコンテンツ市場はデータードリブンで「売れ筋」を理解しつつも、同時に疑い敢えて外していくというような感性が求められてくるのは予想するに難しくない。

そういう意味で、コンテンツ制作者側の個性のあり方こそが、これまでのどの時代よりも注目される時代になってきているのかもしれないな、なんて考えている。

2015/07/18

「娘の夏休みが始まりました」

娘は今日から小学校入学後初めての夏休みです。

子供は一夏ごとにすごく成長すると言われているし、その為にも様々なことを体験して欲しいと思っています。

そんな初日は一緒に散歩からのスタートでした。

従姉妹の子達にハガキを出しに近くのポストまで行きました。微妙なペアルックも父親的にはうれしかったです。↓↓↓


その後、家に戻ったら彼女はおもむろにピアノを弾き始めました。もう習って一年位が経っているので、それなりに弾けるようになっています。

それはそれで凄いなぁと思っているのですが、最近は「いずれ自分の曲を作れるようになるといいね」とことあるごとに彼女の耳元で囁いています。

何でもそうだと思うのですが、練習や勉強それ自体を目的にするのではなく、技術や知識取得の上に自分の感性をプラスして、何か新しいもの・こと・考え方を生み出すことに意味があるというように、僕はここ数年考えるようになってきました。

携わっているベンチャービジネスが影響しているのかもしれませんが、そういう意味では、僕は大企業を渡り歩くプロ経営者よりも、小さくとも一つの事業を生み出してそれを成功させそしてまた新たな事業を生み出していく、というようなシリアルアントプレナー型に魅力を感じています。

起業から成功への一つのサイクルでの学びを次に活かすことができれば、再び新たな価値を社会に提供できることになります。

決して娘にそこまでなって欲しいということではなく、そういう考え方も楽しいよと知ってもらえたら嬉しいなと。

もちろん、自分が小さいときはそんなこと考えていなかったし誰も教えてはくれなかったので、まぁこんな大人になってしまっていますが、もし小学生の頃に何らかの気付きがあったなら、もう少しシュッとした中年になれていたのかもしれません。完全に"たらればの空想”ですね・・・

ところで、娘は今朝、ついに作曲らしきものをしました。そのタイトルは「楽しい夏休み」だそうで、完全な親バカではありますが、たしかにそれっぽかったと感動しました。

彼女の成長の夏休みが始まったようです。

2015/07/17

台風など

台風が山口県あたりに上陸とのこと。

昨晩は、会社のメンバーの歓迎会(これまた良い方が入ってきてくれた)だったので、帰宅が遅くなったわけだけど、大船ついたら土砂降りのど真ん中。そして、タクシー乗り場は長蛇の列。

きちんと並ぼうかと思ったけど、すこし遠くまで歩いてエリア外のタクシーを拾った。列に並ぶのは苦手。

そして、昨日は台風以外にも日本では様々なことが起こったんだよね。

例えば、安全保障関連法案が衆議院で半ば強行採決されたり、芸人の又吉さんが芥川賞を受賞したりと。

前者は、僕たち日本人にとって多くの重要な事柄を内包していると思うが、部分的かつ個人的(感情的)な意見はあれど、正直、じゃどうすればというところまで考えが至っていない。これには日頃から社会のトレンドを云々言っている自分自身全く情けない限りだなと思う。

後者については、まずもって対象の本を読んでいないのでなんとも言えないが、「芸人候補」という言われ方には、なんというか政治家っぽいし、かつ売らんかなプロモーションの香りがしてイマイチ琴線には響いてこない。プロモーション自体は重要なんだけど、作家なのに政治家っぽさを連想させるセンスはいかがなものかと個人的には感じる。

小説業界的には、ここで盛り上げよう、という戦略も当然あるだろうけど。

まぁこれからさらに売れちゃうんだろうと思う。何故なら小説に関しては完全にフォロワーの僕も読むつもりだから。。。

で、読後はプロモーションがどうとかはどうでもよくなったりすると思われる。

という訳で、仕事に追われているつもりはないんだけど、社会で起こっている事柄にはいつも反応的だ。思考がそこに留まっていないし、留めきれない。

何というか、昨晩の台風の様に自分の住んでいる地域を直撃しないと、決して自分毎にならない感覚に似ていないでもない。

結局のところ、世の出来事の多くはわーと来てわーと去って行ってしまうのだ。





2015/07/16

継続→習慣→そしてその先

自宅で目覚めた時は、ほぼ毎朝トイレ掃除をしています。1階と2階の2箇所です。
(たまにカプセルホテルで目覚めることとかありますからね・・・)

いつからだっけなと自分のブログを読み返してみると、2012年の12月29日からでした。2013年の抱負的な意気込みとして思いついたようです。「トイレ掃除に命をかけるのだ

途中海外の行き来も多かったので、実質としては毎日というわけではないのですが、期間としては3年目を迎えていて、今では完全に習慣に落とし込めていると言いきっても良い状態かもしれません。(これは、自堕落な自分には珍事といって良い現象です)

寝起きで調子の悪い日であっても、家族全員の布団をあげて(こちらも僕の担当)から、トイレ掃除を始めると徐々に気分が落ち着いてきます。

そして、これだけ毎日やっていると、掃除の仕方のパーターンにも変化が現れてきます。目指すべき綺麗な状態を、時間も含めたローコストで如何に作りあげられるかとあれこれと工夫するようになるんですね。

そうすべき、とかなんか頑張っているわけではなく、続けているうちに自然にそうなってくる、そうしたくなるといった感覚です。この「自然にそうしたくなる状態」ってなんかいいよなぁって思っているのです。

一度その感覚を味わうと、何かやりたいことがあった時に、「まずはやってみてしばらく継続してみよう」という気持ちになれます。自分ならやり切れる、という自信めいたものがいつの間にか宿っている気がしています。

結局のところ、継続してみないとその先に何があるかはわからないわけで、実際に自分で掴んでみないことには腹に落ちてこないのだろうと思います。

ですから継続することで何かを得られた経験がある人は、多分ですが、その価値を体で知っていて、いい感じのライフサイクルを回しているんじゃないかと。

私の場合はこのトイレ掃除を継続することがそんな感覚を養う助けになっている気がしています。

スケール小さいっすけどね!

そして、仕事以外ですが他にも3つほど継続サイクルに入っている事があって、こちらもどう進化していくのか楽しみではあります。












2015/07/15

健康診断

これから健康診断。

健康診断の朝は前夜から続く飲食の禁止がつらいです。特に動物占いが水好きである「コアラ」の俺としては!

僕はお腹が減るとイライラしがちで妻からは良く「子供か!」となじられるのですが、今朝もそんな感じです。

何ていうか「お腹が空いた」という事実を自覚した瞬間に意識をそこに集中してしまうんですよね。仕事でもそういうところがあってまずいなと思うこともしばしばです。

普段の業務では、マネージメントとビジュアルクリエイティブという脳みその右と左を行ったり来たりするレイヤーの異なる仕事が多いので、そこらへんうまくやれないときの疲労感といったらありません。

もう少し意識の分散、みたいなことをうまくやりたいなぁと思いますが、何か良い方法ありますかね。

というかこうやってブログを書いているイマは空腹と喉の渇きが多少癒されている気がします!

変な病気が見つかりませんように。



2015/07/14

旧交を暖める

昨晩、半年位前に退職した方と久しぶりに会って飲みに行きました。

彼女は、ウチの会社に約5年位務めてくれていて、初期の成長に多大に貢献してくれました。

そんな彼女といろいろ話したのですが、まぁ辞めてみて良くも悪くも見えてくる事が多いよね、という辺りは客観的な見方としてかなりの気付きがありました。

退職後でもこうやって率直に話をしてくれるなんて嬉しい限りですし、そんなつながりは大切にしなければと思いました。

人は会社を辞める時は多かれ少なかれ複雑な思いを持っていると思うのですが、離職後一定の時間が経過し、ある程度感情が薄れてきた段階で見えてくる客観的な視点に案外価値があるのかもしれません。

耳が痛い事に心を閉ざしていたら前進はない!という事です。

2015/07/13

ロストジェネレーション

昨晩寝がけに開高健の「生物としての静物」を読んでいたら、ラッキーストライクを語っている章のところで、ジョン・ドス・パソスという作家の名前が目に留まった。

アメリカの歴史を小説風に書こうとしたと開高氏には紹介されていて、これまで幾度となく読んでいてほぼスルーしていた箇所にもかかわらず、昨晩は不思議なくらいに気になってしまい、ちょっとググってみたりした。

結局のところ彼はアメリカのロストジェネレーション作家の一人として括られているようで、著作も「マンハッタン乗換駅」などはおもしろうそうだと思った。

同時代の作家は有名どころはある時期に何人か読んだ事あるが、実はそんなに良いなと思った記憶がない。

当時の自分を振り返ると、多分、「みんなが読んでいるから」という理由だったのだろうと思う。それは間違いない!

ところで、僕はそもそも「ロストジェネレーション」とは何なのかが良く分かっていない。

wikiによれば、広義では「欧米諸国で20代の時に第一次大戦に遭遇して、従来の価値観に懐疑的になった世代」を指すというし、文学の世界でいえば、そんな1920年代から30年代に活躍した小説家を現す語であるという。また一方ではそんな時代にやり場の無い思いと共に酒や享楽に溺れた自堕落な世代とも言われている。

戦争というものを経験していない僕らには、そんなにも人生の価値観が変わるきっかけになるような社会全般に起こる現象は多分少ない。

日本に起こった震災にしても、如何に自分毎になれるかで人々の捉え方が全く異なるだろう。僕自身は残念ながらそういった想像力に欠けているよう感じている。

でも、ビジネスに取り組んだり、混沌とした社会の一員として生活し、同時に子供の未来を考えている身としては、戦争のような禍が無くとも、「従来の価値観への懐疑」は少なからず意識し続けていなくてはならない姿勢だとは最近特に感じている。

そういう意味で、この辺りの時代の小説家の作品をもっと読んでみることで、何かを感じとることができるだろうか。

僕にとっては、"今"だからこそ学びや刺激が多そうな気がしていて、ど真ん中ではないが、早速レイモンドカーバーなどをポチッとしてみた。




2015/07/12

無人島「猿島」

台風の波が押し寄せている湘南を横目に、横須賀にある猿島という無人島に行ってきました。

仕事の一環といえばそうなのですが、まぁ3家族揃ってのBBQを堪能してきたのでほぼ普通に楽しんでたと言った方が正しいですね。

肉も魚介もたらふく食べたので大満足ですし、子供達も水辺で水遊びできて楽しんでいたんじゃないかな。

少々残念だったのでは、運転ということもあって僕自身は「ノンアルコール」であったこと。そもそもノンアルでのBBQというものが成立するのかどうか不安でしたが、結論からいうとまぁ全然OKでしたということで。何事もやればできますねー。

ところで猿島。いろいろ見所もあるようなのですが、僕らは渡し船で着くなりBBQ(焼き担当)の準備に追われ、合間合間に子供達と海水浴などしていたら、気づくと帰りの船の時間。慌ただしく片付けての帰船となりました。約2時間位の滞在でしたか・・・

ですので、いろいろ観察する暇があまりなかったのですよね。ただ、ウチから比較的近く(車で40分)にこんな場所があるなんてちょっとした発見でした。

紹介してくれた方々に感謝です。また今度ゆっくりと訪れたいと思っています。

↓ちなみにこんな感じのロケーション。





2015/07/11

安井草平写真展

今日、午前中は久し振りに顔を出した太陽の元で地元の夏祭りを堪能しました。


梅雨らしい天候がしばらく続いていたので、久し振りに恵まれた刺すような日差しを貪る事で、人々は夏の訪れを確かに実感したのだと思います。

午後は、一緒に働くメンバーである安井草平君の写真展を観に、会場のある新宿に家族で行ってきました。


詳しくはこちらからどうぞ。
http://www.konicaminolta.jp/plaza/schedule/2015july/gallery_b_150704.html

残念ながら、僕はある作品を明確な言語で説明する力を持ちえていないんですよね。

僕の写真の見方は、どちらかというと撮影するその人自身を知っている度合いに左右されます。

つまり、そういった感覚を作品に感情を移入させて楽しむタイプなので、その意味では普段接している彼自身の思考、これまでの活動歴が重なって、今回の作品群で表現されたロマのコミュニティーが撮られた背景を少し体感する事ができた様に思います。

短い間でしたが濃厚で有意義な時を過ごさせてもらいました。

安井君の写真展、おすすめですよ!




2015/07/10

暗闇の魔力

昨晩は、久しぶりに寝つきが悪かったです。

直前に妻と娘の教育について議論したのがまずかったのか、寝がけにいつもの読書ではなくスマホでTwitterやってしまったからかなのか、そういえば昼間にコーヒー飲みすぎたな、とかもありますが何が原因かはよくわかりません。

ともかくここ数ヶ月は眠れないなーと感じた事がなかったので、「おや?」といった感覚でした。

・・・そんな時に限って夜中に地震。少し揺れました。

やはり暗闇って何か余計な事を考えてしまうものです。「このタイミングは何かの前触れだ」とか、「おぉ、地震予知が働いて眠れなかったったのか!」とか、「すぐ逃げ出せるように日頃から地震セットはちゃんと準備しておこう」、とか色々。

でも、気づくと朝になっていました。どうやら一頻り思考を発散させて安心したのか、その後すぐ寝てしまったようです。そして妻に「昨日青森の方で地震あったみたいよ」と言われるまで、昨晩の地震のことすっかり忘れていました。

よく、夜に勢いで書いたラブレターとかブログとかはそのまま出さずに翌朝見返せと言われますが確かにそうですね。

暗闇は視覚的情報が少ない分半端ない集中力を生みます。しかし、そんな状態を軽く突き抜けて、周囲から隔離された妄想の世界を作り出す魔力も潜んでいるということなのでしょう。

逆説的ですが、そんなネガティヴに捉えられがちな暗闇の魔力ですが、むしろ上手く味方に付ける事が出来れば、もっと独創的な発想力を獲得する事もあながち無くはないのかもしれないなとふと思いました。どなたか研究しているのかも?

まぁ、僕の場合はせいぜい「地震セットの準備」位の発想なので、極力早く寝るよう心掛けるのが吉ですね!

2015/07/09

未来を考えるときには制約を外す

昨日、長い付き合いの写真家氏との打ち合わせで、ストックフォトのあり方について色々と議論し、個人的にはとても良い意見交換が出来たと思っています。

ストックフォト分野に対する議論といってももちろん幾つかの視点があります。

それは、利用者としての顧客(クライアント)やコンテンツ提供者(コントリビューター)、加えて発信されるビジュアルを目にする人々(ビジュアル消費者とでも言えば良いのか?)。実はこのビジュアルを目にする人々の視点が意外とおろそかにされがちなのですが、まぁそれはまた今度。そしてざっくりまとめちゃいますが、僕が携わっているようなサービス運営者(プラットフォーマー)です。

世の物事は多面的な構造になっているので、利害関係者が多ければ多いほど、すべての面をフラットに見ようとどんなに努力しても、おそらくなんらかの偏りが生じることはさけられないのかなと考えています。

むしろあらゆるところからの見方を良しなに調整しようとする試みから生まれる産物は、結果として凡庸なものになりかねません。

で、昨日の我々の議論ですが、やはり必然というか、どうしても写真=コンテンツへのアプローチの話になりがちでした。それを認識しつつ、物事は多面的なんだと自分に言い聞かながらも、その議論は現在のストックフォトの構造からすればかなり遠方まで飛んで行ってしまいました。コンテンツ的に(笑

しかし、そこから現実に戻って来る過程で新たな発見があったりするのです。まぁ、何を議論し何を発見したかはもう少し頭のなかを整理してから機会があれば別途書こうと思います。実際は一つの薄い層として脳の一片に残っているに過ぎないのかもしれませんし。

つまり何が言いたいかというと、こういった議論・ディスカッションではちっちゃな「制約」を設けてはいけないと。一度振り切れるところまで振り切ってみるのは悪くないなと。そうすることによって、いくつかの将来の姿を描いていくことが出来ると思います。

要は健在化していることを言語化するのに力を浪費するのではなく、まだ気付かれていないけども潜在的なニーズは何か、どこにあるのかと深く考え抜けるかどうかが一つの未来を描ききる為のポイントの一つだと思いました。

同じロジックで、顧客、コンテンツ提供者、ビジュアル消費者、サービス提供者、それぞれの当事者の振り切った議論の成果はどんなものになるのでしょうか。興味ありますね。

きっと、その時点で作成するレーダーチャート(グラフ)は、相当いびつな形をしていることでしょう。







2015/07/08

From "Rolling in the deep by Adele"「ギャップがたまらない」

AdeleのRolling in the deepを聞いていて、パンチがあって改めて好きな曲だなと思ったので、何について歌っているのか気になってちょっと調べてみました。(英語の曲の歌詞を聞き取るのがあまり得意ではありません、、、)

超流行った曲からか、翻訳している人が多かったです。そんな中、こちらのおよげ!対訳くんからサビの部分を引用します。

-----------------------------------------------------------
We could have had it all,
(Your gonna wish you,never had met me)Rolling in the deep,(Tears are gonna fall, rolling in the deep)You had my heart inside of your hand,(You gonna wish you never had met me)And you played it to the beat.(Tears are gonna fall, rolling in the deep)

上手くいってたのに
(出会ったことを後悔させてやる)
覚悟しな
(泣くことになるよ 気をつけな)
愛されてるのをいいことに
(出会ったことを後悔させてやる)
人の気持ちを弄んだ
(泣くことになるよ 気をつけな)

-----------------------------------------------------------

・・・・

パンチのあるリズム上にはこんなディープ歌詞が跳ね飛んでいたのですね。意外でした。

流行った当時はラジオや店とかでかかっているとついリズムを取ってしまう様な曲だったと記憶していて、どちらかというとポジティブな歌詞なのかなと勝手に印象付けていました。

まぁよく読むと究極のポジティブと言えなくもないですけど。

この現象、洋楽のヒアリングが苦手な私にはありがちなんですが、この曲は特にギャップ感はたまらなかったです。

考えてみれば、こんな感覚を感じることができるのは英語の苦手な日本人ならではかもしれません。

最初は歌詞とか関係なくただただ自分の感性を信じてリズムをど真ん中に置いて聞く。そしてしばらく経っても心に残っている曲を歌詞を理解しながら聞き返してみる。

そこで感じられる刺激が新たな発見につながるといった感覚です。

つまり、洋楽って2度おいしいという事でしょうか。

Adele。今年はニューアルバムイヤーだそうです。楽しみですね。

2015/07/07

なでしこジャパン

昨晩、なでしこジャパンの奮闘の結果はニュースで見ました。

開始数十分には勝負がついてしまったような展開でしたが、その後の粘りというか一心不乱な姿にはニュースの編集というフィルターを除いても素直に感動しました。

もちろん、プロセスだけではなくW杯銀メダルという立派な結果を残しているからだとも思います。

特に、宮間選手のキャプテン力というか、先頭を走りつつ、チームメイトへの気配りで皆を懸命にまとめようとする姿にはなんというか心が熱くなりました。最後のピッチでのコメントなんて最高でした。

目の前の「勝利」という超シンプルな目標に向かって、ほぼ全員が一丸となっていくために瞬発力のあるリーダーシップを存分に発揮しているなと。

いろいろなリーダーシップの形があるの思うのですが、僕はこのタイプ非常に好きです。自らもそうでありたいですし、また、是非そういった人と仕事したいなと思います。あいつを胴上げしようぜ、というかなんとい。。。そういった働き方も悪くないですよね。

ともかく、なでしこジャパンの皆さん、元気をありがとうございました!

※今日は七夕。年齢を重ねる毎に自分の願いよりも家族や周囲の人々の健康と幸せを願う気持ちが強くなってきた気がします。体型とともに丸くなってきたのかな。

2015/07/06

#古典系本0013: 詩学・アリストテレス

この本は「詩学」と名がついていますが、小説・映画・ドラマは勿論、広告やビジュアルコンテンツの表現方法の基本が盛り込まれています。

私の頭では1回では理解しきれなかったので直ぐに再読しました。

為になった点は沢山あるのですが、仕事(ストックフォトコンテンツ分野)に絡めて私なりに頭に入れておきていポイントを2つに絞りました。

まずは詩作の起源について
(本文引用)
一般に二つの原因が詩作を生み、そかもその原因のいずれかが人間の本性に根ざしているように思われる。
(1)まず、再現(模倣)することは、子供の頃から人間にそなわった自然な傾向である。しかも人間は、もっとも再現を好み再現によって最初にものを学ぶという点で、他の動物と異なる。
(2)つぎに、全ての者が再現されたものをよろこぶことも、人間にそなわった自然な傾向である。このことは経験によって証明される。なぜならわたしたちは、もっとも下等な動物や人間の死体の形状のように、その実物を見るものは苦痛であっても、それらを極めて正確に描いた絵であれば、これをみるのをよろこぶからである。
もうこの点だけでもこの本を読んだ価値はあるなと思っています。

小説や映画等は行為の再現で成り立っています。

そして、飛躍かもしれませんが、広告やストックフォトコンテンツも広義ではこの範疇に入れても構わないと考えています。

特に私が心血注いでいるストックフォトの人物イメージにおいて、この本は正にその目的を言語化してくれています。つまり、人々を喜ばせる(魅了する)ビジュアルというのは、人間の行為や彼らの人生の再現の中にあるのですね。

「行為の再現」
この言葉は絶対に忘れないようにしたいです。

そして、最終的にはどう再現するのかがポイントになってきます。その方法、構造、技術論についても本文では言及されていますが、そんな中で2つ目にあげたいのはとてもシンプルな一節。

それは、詩作には「筋」が一番重要でそれ以外は場面であると。そしてその筋自体は非常に短くまとまったものでなくてなければならない、と書かれています。

これは各場面をおろそかにしていいというのではなく、先ずは筋があって、その展開にフィットした場面が繋がれて初めて一つの作品ができるのだと言い換えられます。

ストックフォトクリエイティブに言い換えるなら、表現したいテーマ=筋は何かをしっかり定め、表現の手段としての演出=場面を添えていく。過剰な演出が先にきてしまうと本末転倒なプロジェクトにもなりかねません。

この辺りはイマイマでも肝に命じなければならない観点です。

という本書から肝に命じたい2つのポイントでした。感想というよりも備忘録ですね。

ともかくこの時代にこれだけのことを既に看破していたとは、アリストテレスとは一体どんな人物だったのでしょうか。。。

折に触れ読み返したい作品です。







2015/07/05

T-SITE 湘南をちょっとだけ観察してみた。

T-SITE湘南に行ってきました。

故障したiPhoneの交換場所である「カメラのキタムラ」の一番近いところがたまたまそこだったということもあり、ついでと言ってはなんですが評判のおしゃれエリアで家族と一緒にランチしたりしてきました。

あくまでも「蔦屋書店」がベースになっているので、本・雑誌関係の充実度はかなりのレベルです。特にデザインコーナーーなどは昔良く行ってた六本木の青山ブックセンターばりで、私のような仕事をしている身には嬉しい品揃えです。家族には申し訳なかったのですが、ちょっと時間をもらってあれこれ見て回りました。偶然見つけた撮影用のアイデア満載の資料もゲットできてちょっと嬉しかったです。

また、子供向けのコーナーも絵本なんかは結構充実していて、ファミリー層にもしっかり対応している印象ではあります。

あと、立地が「湘南」ということもあるのでしょうか、サーフ系、カリフォルニア系的な匂いを漂わせたライフスタイルの提案なんかも見られました。私はサーフィンをしますが、そこまで西海岸的なライフスタイルに憧れているわけではないので(実際、メディア上の情報以外は知りませんし)、「ふーん」て感じで写真集なんかをパラパラと眺めるに留めておきました。

そんなT-SITE湘南ですが、ランチをしたカフェなども含めて、全体的な「おしゃれさ・こだわり具合」の演出はさすがCCCでした!!

反面そのフロアの規模と人の多さに比べて「レジ」に並ぶお客さんの少なさは、たまたまだったのかもしれませんが、ちょっと気になりました。

勿論、ほんの数時間いただけで儲かっていないと断定できるわけではありませんが、ふとこだわりの演出を収益に比例させるバランスはどこにあるのかなんて考えが浮かんでくる位に攻めた空間だなとは感じたのは確かです。これはストックフォトにも言えることですのでまぁ私にとってはわりかし重要なテーマではあります。

とはいえ、ただただ既存に顕在化しているマーケットニーズに焦点を当てるのであれば、マスを意識した普通のショッピングモール的なものがベースになってしまうのかもしれません。

そんなところに、あえてCCCが突っ込む意味・意義は全く感じられませんし、この尖り具合から察するに、先行者としてのリスクを取りながらも、それなりにライフスタイル感度の高い層の潜在的なニーズの掘起しを目指しているのではという考え方もできるなと思いました。

上場廃止を選んだ同社は「やりたいこと」をどんどん実現してゆく面白い企業になっていきそうな予感もしますよね。

私もMBAマーケター的に既存のマーケットにフィットすることに一生懸命になるよりは、このように「潜在的なニーズの掘起し」に力を注ぐ仕事に接し続けていたいなと強く思いました。

そういう意味ではとても刺激のある空間体験でした。

※娘の写真ばかり撮っていて、肝心の店の雰囲気を伝える写真を撮り忘れました。また今度!

2015/07/04

Appleサポートとのやりとりとサーフィンな土曜日

昨日のポストでiPhnoeの電源の減りが速いと書きましたが、とうとう電源すら入らなくなってしまいました

昨日までのワクワクが一点残念な状況に・・・

iOS8.4のバグなのか、Apple Musicが原因なのかどうなのか。ともかくiOSのアップデート後に調子悪くなったのは間違いないので何らかの影響があるのではないかというわけで、今日(土曜日)は朝からAppleサポートとのやりとりに費やすことに。

先方からの折り返しの電話から、あれこれと約3時間以上の格闘の末(途中バックアップや、アップデート、初期化などの作業など含みましたが)、結局は新品のiPhoneと交換ということになりました。

原因特定には至りませんでしたが、Appleサポートの皆様、対応ありがとうございました。本当にほとんどストレスを感じさせない素敵な対応でした!(ちゃっかり勝手にいろいろと学ばせて頂きました)

というわけで、昨日からiPhone無しの生活ですが、このアナログ感、たまにはいいかもですね。

そして、夕方からはサクッとサーフィンに行ってきました。鵠沼のスケートパーク前というポイント。波はまとまりのないながら腰〜腹位のサイズでまぁまぁ楽しめました。

それにしても、この時間帯& 雨模様というのはかなり狙い目ですね。あの魔の鵠沼エリアがほんと人がいなくガラガラで波に乗り放題というご褒美を頂きました。

アフターサーフは家族団欒で夕食。奥さんの唐揚げ最高!あー幸せ〜


Apple Musicに使用されている写真など

少しづつ使い方も慣れてきたAppleMusic。使えば使うほど、便利さを実感しますし何より楽しいですね。

ちょっと気になるのはバッテリーの減りが以前よりも増して速いこと。設定でバッテリーの使用状況を確認すると30-40%をAppleMusicが占めています。あの手この手でバッテリー節約の手立てを施して少しは改善している気もしますが、油断はなりません。

ところで、このサービスには至ることにおしゃれな写真が使用されています。個人的にもAppleのビジュアル使いのセンスは以前から注目していました。タレントなどを使用して無理やり目立たそうというのではなく、写真も映像も、さりげなく、しかもキャッチーなイメージを多用している印象です。何だか人々の生活の中に自然に溶け込んでいる感じがするのです。

これはストックフォトコンテンツに於いても捉えておくべきポイントの一つだと考えています。(個人的には)

そんな答えの一つが、Apple社のビジュアルの使い方に現れているかもなと考えながら眺めていました。

この辺は深堀していつか書いてみたいと思います。

因みに↓↓↓こんな写真が沢山でてくるので、妻も「おっしゃれー」といって喜んでいました。









2015/07/02

Apple Musicとテイラー・スウィフト

昨晩Apple Muscを家族共有版で使い始めました。

3ヶ月トライアルということが決めての一つでした。まぁこういった後に有料版が控えたトライアルというのは統計的にはそのまま更新する人の割合が比較的高いと言われているようですが、まだ一晩だけではありますが既に私もその一人となってしまいそうな予感です。

音楽ストリーミングと言えばスポティファイがサービスとして先行していますが、アプリをダウンロードしてはいたものの、本格的に使うまでには至りませんでした。

というのも曲は今持っているもので十分という思いもありましたが単に面倒臭かったという理由としてはしょうもないものです。

しかし、iPnone5から6への変更に伴い、データ移行が面倒だなぁと思っていてこの数ヶ月放置していたところに良いタイミングで結果的には「また音楽聞きませんか?」的にリマインドされたというところでしょうか。

つまりこの数ヶ月音楽をあまり聞いていなかったということになりますね。移動中によく音楽を聴いていた出張が減ったのも原因だったかもしれません。

で、AppleMusic。
いやー、「今持っている曲」で満足していたのはやはり間違いでした。当たり前なのですが、世界には様々な音楽が溢れているんですよね。

思いのままに曲をマイミュージックに登録して、新しい曲を知ることと昔聞いていた懐かしい曲を超久しぶりに聴く喜びを改めて感じています。

そして、私のような物ぐさな人間にはこういった所有を前提としないサービスは非常に向いているのかも知れないな、なんて思いました。

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そんな中、テイラー・スウィフトのAppleMusicへの抗議が話題になっていたのを知りました。

米紙が称賛したテイラー・スウィフトの抗議 アップルの方針変えさせた (1/2ページ)


まぁ色々な意見があるようですが、もしPRだったとしてもそれはそれで「Oh ok」ということで。どちらにせよ発言内容は共感するところであります。サービス提供側でもある身としては双方の対応に学びもあったりするわけです。

彼女のことは、これまで「最近の女の子シンガー」位にしか認知していなかったのですが、早速「1989」を聞きながらこのブログを書いています。

いいかも!









2015/07/01

無関心は想像力の敵!

先日、米国の最高裁で同性婚を認める判決がでました。

米最高裁が同性婚を認める判決--シリコンバレーのリーダーらが続々と支持を表明

Facebookでもアイコンをレインボー柄に変えて(celebrate pride)、同性愛者であることをカミングアウトできる機能を実装したりと、世の中の動きに敏感に反応しています。

ぶっちゃけ、私は「性的マイノリティ」というイシューに関して日頃関心を寄せているかというと決してそういう人間ではありません。

もちろんメディアや映画のテーマなどでも取り上げられていますし、最近はテレビにタレントとして出演され、むしろ”ウリ”にしている方々も多いこともあり、個人的には普通に受け入れられているよね、という感覚ではいます。

しかし、実は私のように「感覚では受け入れいている」しかし「実は無関心」という層が結構多かったりもするんだろうなと思うのです。少なくとも私の周辺ではそんなに議論が活発ではないようです。

一方、東南アジアの友人達のフェイスブックを覗いてみると、積極的にコメントしたりしていてわりかし議論が活発な印象です。そういう意味で、日本ではこういった姿勢を示すこと自体が「マイノリティー」なってしまうのかもしれないなと思いました。

偏見や差別に関しては「無関心」なことで間接的に加担してしまっていると言われることもあります。こうやってニュースに触れると少なからず気になったりもしますが、結局日々の生活の中に埋没してしまうのが現実ではないでしょうか。

ところが、記事に紹介されている様に欧米の起業家(に限らずですが)は社会の出来事にとても敏感なように見受けられます。お国柄と言ってしまえばそれまでですが、ビジネスと社会の深い階層までが密接に絡みついているのを強く感じます。

私もストックフォトという業界で仕事をしている身。普段から「世の中のトレンドをビジュアルに取り込むにはどうするのか」と考え、社内外でも発言している一人です。

欧米の同業界をウォッチしていると、最近「性的マイノリティ」をテーマにしたビジュアルが多くなったなとは実感しています。
米国のストックフォトサイト「Stocksy united」 で「LGBT」を検索

社会の多様性がビジュアルの多様性にもつながっていて、そういった社会でこそこの業界の存在する意義を強く感じているところです。

無関心は想像力の敵!もっともっと「社会」に対する関心を具体的に持っていかなくてはならないなと思いました。

※最後に、記事にあるセールスフォースの創業者のツイートを改めて紹介します。日頃から関心を持っていないとおいそれと言えない言葉だなと思いました。↓↓↓

”Congratulations. Equality for all.”

2015/06/29

古典系本012:「サリンジャー戦記」

先日、村上隆訳ではない「ライ麦畑でつかまえて」を読みましたが、その後、ネットで色々と他の方の書評を読んでいて、いろいろな感想というか幾つかの見方があるんだなと気づきました。

それは、私が感じた「少年〜青年が大人や社会にもつ不信感・反発みたいなものを表現した」という視点はどうやら一側面に過ぎないという点。

大方はこのいわゆる「中二病」的な視点での読み方が多いのですが、もっと掘り下げると全然異なった側面が見えてきます。

で、いずれ村上訳を読んでからと思っていて、デスクの上に永らく積読状態であったこの「サリンジャー戦記」をふと読んでみようと思い立ったのです。

こちらは村上隆さんが翻訳した「キャッチャーインザライ」についてその魅力などを語りつくしている本です。

内容については読んでもらうしかないのですが、ともかく村上さんのこの本に対する捉え方の深さと独自性の半端なさには脱帽です。

原作者(サリンジャー)の考えをあれこれ想像(いや分析といった方が良いかも知れませんが)しているその目線が、この物語を通してかなり深いレベルで原作者の経験に疑似体験しているというか、原作者が村上さんの言葉を通して語っているかのごとく、超リアルに聞こえてきました。

実際に小説家である人の見方というのもあるのでしょうけど、どこからその感性はくるのか、或いは読み取る技術みたいなものがあるのかとても興味が湧きました。

本の読み方というのは、もっと自分が感じたことを大切にしていいんだ、重視すべきなんだと今更ながら学びました。

そういう意味で、若いうちに本をたくさん読んでおけというのは確かにその通りです。

しかし、今にして改めて思うのは、私のように歳を重ねてからの読書は、若い人々に比べてより意識して感覚を研ぎ澄ます必要があるということです。

でないと、いつの間にか多くの感覚を社会の一般常識(と言われているもの)・価値観に依存するつまらない大人になってしまっているのかもしれません。

それはちょっとまずいですよね。

自分の中で勝手に狭い常識をこしらえていないか、常に問い続ける姿勢が必要だなぁということでしょうか。

この本が世界で読まれ続けているのが何となく理解でしました。









2015/06/24

ロバート・デ・ニーロのメッセージ

ロバート・デ・ニーロさんのニューヨーク大学芸術学部ディッシュ・スクール・オブ・アーツの卒業式でのスピーチが話題になっている。


「理性、倫理、常識。芸術学部で? 嘘だろ?」ロバート・デ・ニーロがクリエーターを志す若者たちへメッセージ(logme)


私も何度も読み返しました。特に、

「芸術に関して言えば、情熱は常に常識に打ち勝つべきだ。君たちはただ夢を追っているんじゃない。自分の運命をつかもうとしているのだ」

の一文。

なんとなく予定調和こそ善といった雰囲気の昨今。「情熱は常に常識に打ち勝つべきだ」というこの言葉にはこの胸に楔を打ち込まれたかのごとくに響いてきた。

決してアートをやっているわけではないが、ここで言っている”芸術”は自分なりの言葉に置き換えることができる。

常に常識を疑え!ってやつだ。イノベーティブな発想を嫌って現状に甘んじていてはいけない。

まさに、イノベーションそのものの発想ではないだろうか。



2015/06/22

飲みニュケーション徒然

私は飲みニュケーションを重視しているわけですが、先日も普段はあまり一緒に行かないメンバー達(それも女性ばかり4人に囲まれて!)と渋谷のとある牛タン屋にいってきました。

中でも特にパートタイムで働いてくれている面々と盃を酌み交わすのは初めだったので色々と楽しみにしていました。

始まってみれば、話題は「生い立ち」「掛け持ちの仕事のこと」といった個人的な話から、「ジェンダーイシュー」「ベジタリアンについて」など社会的なところまで多岐に渡り最初から最後まで大盛り上がりでした。

彼女達の人生における意外なストーリが炸裂で、思わずグラス片手に固まってしまうことも幾度かあったくらいです(笑 

アルコールが入るにつれ互いの生い立ちとか普段何を考えているのかとか、自然にしかも積極的に話し合うことができて互いの理解に少しは前進があったんじゃないかと思っています。

たかが一晩の酒の席かもしれませんが、これまで見えてこなかった一面を知ることができて、私的にはさらに彼女たちへの興味・関心が深まりました。

相手へ興味・関心を持つことってコミュニケーションの基本だと思うので、そういう意味でもまずは相手を知る機会を持てる飲み二ュニケーションはこれからも大事にしたいなと思います。

まだまだ飲みニュケーションは続きますよ〜


2015/06/17

#ストックフォトコンテンツ

現在のマイクロストックフォト系のコンテンツの傾向に関しては色々と複雑な思いを持っています。

ポイントはいくつかあるのですが、その中でもっとも気になっているのは「これは売れる」となるとその分野のコンテンツが集中的に増える傾向があるというところ。

現在のマイクロストックフォトのように、コンテンツ制作をコントリビューターに依存しているビジネスモデルでは、彼らのコンテンツ一点あたりの収益を最大化させたい動機が働くという点でこれは当然の流れと言えます。

この不特定多数の才能を世に出すことの優劣の差がサービス力の差につながっているのが現実ですし、そもそも購入者ニーズに集中的にスピーディーに答えることができるという点では圧倒的な強みであると思います。

しかし、これは反面同じようなテイストのいわゆる類似的なイメージの量産にも繋がります。

購入者のニーズは気まぐれなものです。例えば人物写真ジャンルですが、購入した同じモデルの写真が他社と被ってしまうとか、どのサイトを探しても同じようなテーマ、構図の写真しか見つからなかったりというケースも多くなってきているようです。

そんなユーザー体験が増えてくると、これまで「使いやすい」「ニーズを満たしている」として重宝されていた利点が、一転ネガティブな見方に変わってしまうかもというリスクを個人的には感じています。

この点を弱みになり得る、かつ解決すべき課題の一つとしてしっかり認識しておく必要があると考えています。

そして、ネットの発達により情報の流通スピードが以前にも増して高速化・増大化していて、メディアの数もうなぎ登りに増えている環境の中では、同時にビジュアル素材の消費量がかつてないレベルに到達しています。

その結果、この「飽きられてしまうかもという飽和点」の位置がどんどん低くなっているという考え方が成り立つのではないかと思うのです。

事実、そんな状況に対応するかの如く、欧米では”写真”にしっかり向き合ったクオリティを追求したブティク型や、スマホで撮影したコンテンツ(=様々な加工力も魅力)をベースにした更にオープンなストックフォトサイト(もはやストックフォトと呼んで良いのかもはやわかりませんが)が生まれてきています。

彼らの特徴は既存のストックフォトプレイヤーに対して「つまらないイメージとはおさらば」といった感じで、コンテンツの方向性に違いを打ち出そうとしているところです。

それらの取り組みは既存大手を辞めた人が立ち上げたり、クリエイティブ大好きな起業家が全く新たな発想で挑んでいたりしていて、ストックフォト市場に於ける新たなイノベーションの始まりを個人的には感じています。

もはやこの分野は、インターネットが好きとかいうだけのレベルではなく(それは当たり前)、コンテンツに対してどのような思想を持っているのか、といった領域での勝負になってきているのかもしれません。

そういう訳で、日々行動しながらも更にコンテンツに対する思考を深め、自分自身もどんどん変化していかなくてはならないなと痛感している日々です。

自己否定を恐れてはイノベーションは起こせません!

このカテゴリは、あくまでも私個人の見方であり、所属する会社を代表するものではありません

2015/06/11

塗り絵の枠をはみ出してみる。

娘は塗り絵が好きなようです。

最近は、もともと描かれている枠の中ではりますが、ただ色を塗るという行為から彼女なりに工夫がみられるようになりました。

例えば動物であれば、本体のメインとは異なる色で縁を彩ったり、ハートなどの様々な模様を配置したり、果ては何か別なパーツを新しく付け加えるといった感じです。

そういう「オリジナル」っぽい部分を見つけた時には積極的に褒めるようにしています。

塗り絵というものを改めて見ていると、やりようによってはある程度自由に選択できる余地があるんですよね。枠があるだけで、「こうやって塗れ!」と指示があるわけでもありませんからね。

とはいえ、はじめに「しっかり塗る」という基本があったからこそ枠を外すという行為が活きてくるのかなとも考えたりします。

まぁ私レベルの凡人の域で、規格外的な感覚が云々と言っても始まりませんが、「枠をはみ出す」「はみ出してみる」ことに何がしかの価値があるという考え方はビジネスの世界でもガンガン言われていることです。

しかし、逆説的ですが「枠をはみださない」ことにも価値はあるよなと。ただ、それはその「枠」自体を大きくしていくことが前提となります。容易にははみだせない位の枠を自分の中に持ち続けるということです。

小さい枠をはみ出る生き方と、枠を大きくし続ける生き方

なんとなくですが、もともとの小さい枠しか持たない私のような凡人には、後者を選択すべきな気がしています。

ただそれも、今持っている枠を意識的にはみ出す行動をし続けることで得ることができるのだと思いますけど。

娘の塗り絵のやり方を見ていてそんなことを考えていました。

2015/06/08

古典系本011:「ファウスト」の一節

読書をしていると、ある一節に甚く共感する場面があります。

自分の置かれているその時の状態や過去に経験したことが、くすぶっていた焚火が小枝なんかの投入がきっかけで再び舞い上がってくる、そんな感覚です。

今、長い時間をかけて読んでいる「ファウスト」にもそんな一節が所々にあります。この小説はともかく長いわけですが、ストーリーの内容というよりも、そういった数々のぐっとくる一節の表現に魅力があるのだと個人的には感じています。

下巻の後半に突入して、やっとそんな感想を持ち始めているのですから、私の読み手としてのレベルが見えてしまうというものですが、まぁそれでもいいかともはや達観して読み進めています。。。

そんなこんなで、最近気になった一節はこれです。

・・・
禍福の吹き回しにもてあそばれて、
禍にも服にも、平静な心で立ち向かうことができず、
よるとさわると啀み合って、てんやわんやの大騒ぎ。
喜びにつけ悲しみにつけ、同じ調子で泣いたり笑ったりさ。
・・・

これって、なんだか何をやっても上手くいかない集団(組織や家族なんかも含めて)の典型例のようです。

内輪で啀み合うということは、人間社会においては昔からありがちなことなのだろうけど、同様にその影響による害も大きいよ、と言われてきていると思います。自分の周りだけよければそれで良しという考えでは結果としてその害が自分に跳ね返ってくるのです。

この一節に続く話もそういった結末です。

そのような状態になってしまうのは、大概において人々の勝手な思い込みがきっかけになっていて、そこに誤解が生じ、果ては嫉妬や被害者意識などが拡散されやすい環境そのものに原因があるのではないかと思います。

そこまでいってしまうと、一旦解体でもしない限りもはや誰にも収拾できなくなってしまいます。

ですから、そういった環境そのものをしっかり整えるということに常に多くの注意を払う必要があるのかなと思います。それにはまず根底に相互の信頼関係のあるなし(強弱)がとても重要だなと。

じゃないと、何をどう懸命に伝えてみたところで、いつまでたってもまるっきり異なる意味でしか伝わらないので、全てが徒労に終わってしまいます。

昔も今も、ある程度の相互信頼の上に立つ基本的なコミュニケーションの重要さを痛感します。

あるいは、何かを成し得ようとする組織であれば、そもそも互いを認め合おうとする基本姿勢のある人々で集まろうよということなのかもしれません。

この作品は、他にもついつい考えてしまう一節が数多く散りばめられています。

繰り返しになりますが、この作品には個人的にはストーリーとしての面白さはなかなか感じることができませんでした。戯曲というあまり慣れない形式にも理由があるのかもしれません。

しかし根気よく読み進めていくうちに、出会う数々の一節についてちょっと立ち止まって考えてみる、そんな読み方もあるんだなと新たな発見があったようでちょっといい感じです。

年齢を重ねた後に古典を読むということは、そういうことなのかもしれません。


2015/06/05

飲みニュケーションにおける去り際

基本、飲みニュケーションを大切にしています。

なので後輩や部下が飲みたそうにしていると察知したときはなるべく誘うようにしています。

ただ、私は勢いがつくとついつい先陣を切って飲みすぎてしまう傾向にありますので、結局自分が飲みたいのか!ということなのでしょうが、ここは妻にも指摘されることではあります。

「あなたは、自分が最大限楽しんでしまうのがいけないの!部下の方々と飲むときは、程よいところで、”後はこれで楽しんでくれ”とお金だけ置いて、すっと消えるのがいいの!」

とのこと。そんな上司を彼女は慕っていんだと、いつだったかそんな昔話を聞かせてくれました。

彼女と長年付き合ってきた結果、(内容如何にかかわらず)妻の話を傾聴するこはかなり重要なことなのだとやっと理解し始めている今日この頃の私としては、この話は心に突き刺さる説法のようなものでした。

おそらくそんなことが私の心か頭かどこかに残っていたのでしょう。先日のとある飲みの席で、ついに、いや自然とできてしまったのです。

われながら「達成感」が半端なかったです。

ええ、帰宅後すぐに妻に報告しまして、

「あら、よかったわね」

とお褒めの言葉を頂きました。この御言葉を心に刻んで、これからも精進してゆこうと誓いました。

2015/06/03

「私にとっての転職とは」

私は、ストックフォトといって、広告やウェブサイト向けの写真・イラスト・動画素材のマーケットプレイスを運営している会社に勤めています。

中でも、素材そのものである「コンテンツ」の担当であり、日本中いや世界中から良質な素材を集めてくる業務を中心に担っています。

今の会社に入社する前も、国内ではいち早くストックフォトのウェブ販売に取り組んだ会社の立ち上げに参加し、サイト運営と営業を担当しました。そして、その後自社でコンテンツを制作する会社を起業して7期代表を務めました。そんなわけで、この業界に携わり既に12-3年が経とうとしています。

今49歳なので、おそらくこれからもこの業界に関わっていくんだろうなと漠然と考えていますが、まぁこればっかりは何が起こるかわかりません。

なにせ、それ以前は証券会社や外資系金融、独立系商社(それも水産!)モバイル系スタートアップなどを転々としていましたからね。結局「会社」という枠で考えれば今の会社で起業含めて7社目(!)です。業種的には3業種(金融・商社・ネット)となります。

こんな飽きっぽい性格の男がなぜストックフォト関連の仕事は長く続くのか、と考えたときにやはり「ビジュアルが好き」という一点に尽きるなと最近改めて認識しているのです。

それも「作る」方により近いポジションを取ることが私のモチベーションの源泉のような気がしています。

私にとってのその魅力はもっと深いところにあるのですが、まぁそれはいずれちゃんと整理しようと思います。

この業界に入ったきっかけは偶然でしたが、そういう意味では幸運に恵まれたなとしみじみ感じているところです。

こうやって振り返ってみると、私にとっての転職や職業を変えるという選択は、自分にフィットする組織を探し求めるということではなく、生涯付き合っていける(いけそうな)仕事とは何かを見つけるためだったと言えます。

私の場合は「誰とやるかより何をやるか」だったのかもしれません。

その為には組織カルチャーやその他に少々難があっても、自分のやりたい仕事がここそこには存在しているか、に主眼を置くと色々と見える風景も変わってくるのかなと思いますね。

それがなければとっとと転職してしまうのも勿論一つの手段です。

直近では身の周りでもそんなこと(転職)を色々と考えている知人も多いようです。

こんな私の人生でも一つの参考になればいいな。


2015/05/28

おはようーGood&New!!

「おはようー、Good&New!!」

我が家の朝食はこの掛け声で始まります。

Good&Newとは組織内においてポジティブ思考や円滑なコミュニケーションを促進する一つのツール。 以前、ウチの社長(だったかな)が全社に紹介してくれたものです。

聞いたのはかれこれ一年以上も前になると記憶していますが、我が家では「これはいい!」ということで私の独断と偏見でほぼ同時期に導入し、今でも愚直に続けています。

出張がちだった私の不在時でも妻と娘の二人でやっていてくれたようです。

今では、家族全員が「いただきまーす」と同じようなレベルの当たり前感覚にまでなっています。

娘「おは」
妻「よー」
私「グッドアンド」
全員「ニュー!!」

という感じ。いやー楽しいです。娘や妻が昨日どんなことを良いなと感じられたのか、またはどんな新しいことを経験したのかなんて知ることができるのは貴重な時間です。

そこから自然にいろいろな会話に発展していきますので、朝食の時間がとっても充実したものとなります。

そして、ふと気付くと私たち3人には「ポジティブになろう」とか「コミュニケーションを円滑にしよう」なんて目的意識みたいなものが薄れているのです。

でも、そうしていると自分たちがとっても楽しい、と思えるから続けられているんだろうなと思います。特に娘が率先しているのは間違いなくそこ。

効果やアウトプットばかりを考えていると、肝心な「楽しさ」や「心地よさ」が置き去りにされてしまいがち。

世の中、効率・成果ばかりに焦点をあてすぎると、逆に人間関係がギスギスしてしまって進むものも進みません。

でも、Good&Newのように気楽にに取り組めるものを愚直に続けていると、相手が何を考えているのかということを互いに感じやすくなってきます。

まさに継続は力なりです。

互いに関心があるのがわかると、そこには安心感と信頼が生まれてきます。

すると嫌なことや失敗も受けもめられるような余白のある関係が築けるんじゃないかなぁと思うんです。

他人とそこまでの関係になるのはなかなか難しいしやり方はそれぞれだろうけど、本音を忌憚なく言い合えるようになる為にもトライしてみる価値はあると考えています。

私も、いずれ娘にもビシッと言わなくちゃならない日も来るでしょうし!!

※とはいえ、家族内では私が一番やらかすことの多いダメパパですから、Good&Newには非常に助けられていると言わざるを得ないのが現状です。




2015/05/26

やりきる

先日とあるベンチャーキャピタリストとの飲みに参加しました。業界では名の通った方で私も楽しみにしていました。

都合2時間位&4人の会ですから、そんなに深く話せたわけではありませんが、彼のような事業立上げ&運用も経験しているVCの視点をリアルに伺うことができたのはやはり良かったです。

ところでリアル。。。
ネット上の記事で読むことと、本人から直に話を聞くことのこの理解度の差というのはなんでしょうね。考えてみれば当たり前の話だったりもするわけですが、何だか響き方が違うんですよね。

もし、直接ピータードラッカーからマネジメントについて話を聞けたらなぁ、なんて思っちゃいますね。(そんなバーチャルなサービスなんてのもありか)

でもこれは事前にネットで情報収集していたからの効果だとも言えます。その人のキャリア的背景をある程度つかみ、現在のポジションに対して「凄い」と感じているからこそ、リアルの言葉から得られるインパクトも大きかったのだと思います。

つまり、どんな話であれ何かを得たいのであれば、それは、聞く側の姿勢次第だということになりますか。

逆に言うと、相手にそういう姿勢になってもらえるかどうかで自分の伝えたいことの浸透度も変わってくる筈です。

いやー、最近は新しい人と会うのが億劫になってくる自分を認識していましたが、これは意識的にやらないとダメですね。

お誘い頂いた皆さんに感謝です。

あ、そうそう、結局その会で何が私の心に超響いたのかというと、(他にも沢山ありましたが)この一点につきます。

物事はやりきれるかどうか

やはりそうですよ!!

2015/05/25

正五九月


昨日は家族で深川不動堂に「正五九月」の厄払いに参ってきました。

私は信心深い方ではないのであまり気にしてはいないのですが、妻が彼女なりの思いにより以前から続けていて、もはや我が家の定例行事となっています。

海外出張が多かったこの2年間ほとんど一緒に行くことができなかったので、これからは出張も減りそうだし可能な限り一緒に参っていきたいと思っています。次は9月か。

正午九といっても我が家の場合は特別に何をするというわけではなく、厄除けにご利益があると言われる不動明王に参るだけです。

それだけでも良いのですが、今回は、定時に行われる護摩修行に参加してきました。燃え上がる炎と打ち鳴らされる太鼓の共鳴の中で、厄を払ってもらっているという気持ちとともに背筋がぴっと伸びました。

ところで、護摩の時には祈祷依頼された人々の名前が一人一人呼ばれます。その中で、代表取締役を一人で何社も勤めている人の名前が立て続けに呼ばれていたのに気付きました。さしずめ、グループ会社を持つ企業のオーナーの方といったところでしょうか。

そういえば、かつて自分で創業した会社を経営していた時は、個人名と共に会社名も併記して祈祷してもらっていたなということを思い出しました。

今では、私も祈祷依頼する場合は何故か個人名のみとなっています。このことは特に深く考えていませんでしたが「あれ、今の仕事、ちゃんと自分事として捉えられているか?」とちょっと微妙な気持ちにもなりました。

その流れでふと思ったのですが、「◯◯株式会社社員誰々」といった呼ばれ方はあまり、いやほぼ聞かないなということ。中にはいるのでしょうがそれはおそらくかなりの少数派。

祈祷依頼は個人のお金でするものがほとんどです。そこには個人それぞれの根本的な想いが顕在化しているわけで、個人としての最も大切にしていること(優先順位が高い)がここには自然と願われているのです。

そういう意味で、経営者と会社に働く個人とでは人生に対する優先順位が随分異なるのかもしれません。もしかしたらそこ自体は交わらないのかもしれません。これは良い悪いではなく、社会の現実であり前提なのでしょう。

あくまでも相対的な捉え方ですが、経営とか組織運営とかはそこを念頭においておく必要もあるよなと考えたりもしました。

ともあれ、妻も娘もなんだか満足げでした。これだけでも行く甲斐があったというものです。

ただ、せっかく深川まで行ったのに家系ラーメンを食べて帰ってきたというのは少々風情が足りませんでしたね。








2015/05/12

スケアクロウ

超人気作家、マイケルコナリーの比較的最近の作品。

一人称と三人称が交互する構成は、ハリウッドのサスペンス映画を見ているようにスリリング。

早くページを捲りたくなる。

そして、いかれた犯人との決着を付けるラストもそんな映画そのもの。

それまで頭脳的に立ち回っていた犯人も最後はドジを踏む。

というか、これはまさに主人公の絶対絶命時に於けるおきまりパターンだ。何処からともなくいきなり助けが入るっていうあれ。

映像ではその辺うまく表現できるのだろうが活字では難しいのか、手を抜いたのか。唐突感は否めなかった。

とは言え、日常から離れて、スリリングな感じを味わうにはまぁ面白い作品かなという感じ。

あと、主人公はネットに押されて凋落仕掛けている新聞社に勤めているのだけど、ネットとリアルの問題をうまく絡ませていて面白かった。

作者自身も新聞社に勤めていたそうだ。やはり中の人のその辺りの描写はかなりリアルに伝わってくる。想像では中々追いつけないのかも知れない。ビジュアル作りにもテーマ毎にその分野の方のアドバイスを取り入れていくべきだろうね。

何せビジュアル先行で考える人多いからね。バランス、バランス。

種の起源、ファウストもすこーしづつ進んでます。

2015/04/25

古典系本009: 復讐の掟

「種の起源」と「ファウスト」を読み始めて随分経つのですが、両者ともなかなか手ごわい相手ということで手こずっていまして、現在進捗率70%といったところでしょうか。

しかし、読書というのは苦しみだけでは続かないもの。たまにはエンターテインメント的なものを入れて気分転換したくなります。

というわけで、先日たまたまケーブルTVで見た「野獣死すべし(仲代達矢版)」に感動したこともあり、人生初の大藪春彦として「復讐の掟」を手に取ってみました。この作家自体は日本のハードボイルドを盛り上げてきた方で、その分野では元祖=古典系といっても良いのではないでしょうか。


復讐の掟 (双葉文庫)
で、こちらの本。

その昔、ヤクザな世界にいて何人も殺してきた主人公。数年後の今ではきっぱりと足を洗い、家族を持って地道に生きています。しかし、そこに昔の仲間が助けを求めにやってきて再びその世界に嵌っていく、という設定です。まぁ、ありがちな話ではあります。

まず、あらゆる面で表現がとてもストレートだなぁと感じました。どうストレートかというと子供にはちょっと勧めづらいレベルとでも言っておきましょうか。

直喩を多用しており、場面場面を直接的にイメージできます。人物の心情もある意味わかりやすいです。同じハードボイルドでも比喩の秀逸な(考えさせる)レイモンドチャンドラーなんかとは全然雰囲気の違う作品だと思いました。

ともかく、世の中への不満というか反発というか、そんなものを政治家個人や警察組織に対する激しい攻撃で表現しているように思いました。

展開はとてもシンプルで、いやシンプルすぎて、現代ではあまり受け入れられる作品ではないかもなと思いますが、逆にその激しくもストレートな表現が引き立つ結果となっている様です。

そんな印象の残る作品でした。

「野獣死すべき」「汚れた英雄」「蘇る金狼」などを読んでみるべきなのでしょうね。

ちなみにこの作品、二日間くらいで軽く読めました。




2015/03/26

野党系にこそ何かある

ジャカルタでは、こちらで頑張っている多くの日本人の方々に会っています。

ネットベンチャーを中心に、中堅、大手広告代理店等の方々が中心です。

皆様には本当に良くしていただいて感謝しかない毎日です。

そんな皆さんには、何だか共通しているなと感じる部分があります。それは、良い意味でフリーな考え方、行動力を持っていらっしゃるというところ。

言い換えると、放っておいても自走して何とかしてしまうようなオーラを放っておられるのです。

勝手な想像ですが、日本本社の目の届かない海外現地でこそ、待ってましたとばかりに本領を発揮しそうな、そんなタイプです。

例えば、ベンチャーであれば成長段階において、外部から優秀と言われる人々が多くやってきてやがて普通の会社になっていくわけですが、そんな日本本社の中では、いい意味で野党系のマインドを持ち続けているような人です。

そんな人には「あの未知の国を何とかしてきてくれ」と多くの権限を委譲して、任せきった方が絶対に良いのです。あまり管理し過ぎないほうがいい。

当初考えた戦略通りに物事が進むなんてことはありませんしね。ましてやここは外国。

そんな時に、手詰まってしまって新たな一歩を踏み出せないようでは、いたずらに傷口を拡げてしまうだけになりかねません。

ちゃっちゃと方向転換出来るセンスってとても大事だと思います。

そんな人こそ、ゼロイチの海外展開の担当者には向いているのではないかと思うのです。

その腹の底に隠しているマグマの塊のような鬱憤を事業開拓にぶつけてみろよと。

ベンチャーマインドをもう一度!ってやつです。

何だか最後は脱線してしまいましたが、まぁ、そんな感じのイケてる方々が多いよねというお話でした。



2015/03/24

古典本系008:忘れられた日本人


著者は民族学者の宮本常一さん。

この本は、明治生まれの地方の農村に住む老人たちに、当時の生活状況を聞き歩いてまとめた内容が主体となっています。

現在の歴史学が記録をベースにしているとすれば、民俗学は記憶を土台にして歴史を捉えている分野だと思いました。

もちろん、民俗学も後世に残すために記録はしているのですが、それは、単に過去の文献にあたるだけでなく、実際に人々の記憶を掘り起こして書き留めているところに決定的な差があります。

そういう意味では、宮本さんが掘り起こした明治〜戦後期までのミクロな日本民族の足跡は非常に貴重なものだと思います。

以前読んだフェルナン・フローデルの歴史の捉え方にも通じる考え方です。歴史を時間軸だけでなく、水平(同時代の庶民の 暮らしの視点)にも展開していくことで、政治的なイベントの影響を市井の人々にまで落としこむことで見えてくる世界があります。

ともするとほとんど影響を受けていない、あるいは影響が出るまでに相当の時間がかかる地域や人々もあるわけで、そんなミクロの視点に切り込むことでその時代はなんだったのかと考えることができます。

この本では、主に明治初期から大正前期までを扱っていますが、明治前期の士族の乱から西南戦争に至る過程の西日本での農村部の人々の生活などはとても興味深いのです。

政治的なビッグイベントに少なからず影響されている社会と、静かに時が流れる現実的な生活空間とがモザイク的に折り重なっている。そんな情景が老人たちの声から目に浮かぶようでした。

私自身も幼少の頃は、いろいろな事情で福岡県の田舎で祖父母の手で育ったせいか、実際の情景とは異なるのですが、全編を通してなんとなく懐かしささえ感じてしまいました。

宮崎駿さんも、宮本さんに影響を受けた一人だと聞きます。いずれもう何冊か読んでみたいです。

因みに今は「種の起源(上)」と「ファウスト(下)」を読んでいます。この2冊は4冊分にカウントしますからね。ヘビーです。