2014/04/28

ストックフォトの現場から。 Vol.2

今日は、マレーシアのとあるフォトグラファーのお宅にお邪魔して、ストックフォト撮影にご一緒させて頂きました。

ご主人も奥さまもカメラマンというこちらの二人には、素敵なご自宅の一部を簡易的なスタジオに転用しストックフォトに取り組まれています。奥の部屋では、産まれて3ヶ月の赤ちゃんのぐずり声も時折聞こえてきました。

そんなほのぼのした現場ですが、撮影は無駄なくテキパキとしていました。互いの担当分野を決め、相手が撮影する時には片方がアシスタントやディレクションに回ったりと、息の合ったお二人のすばらしいコンビネーションに、私の入る隙間はほとんどありませんでした。アドバイスというよりは、私の方が色々と勉強させてもらったくらいです。特に奥さんのその場で繰り出すアイデアが素晴らしかったのが印象的でしたね。

良い嫁もらったよな、と彼に耳打ちしようかなと思ったのですが、2人がとても対等に見えたのでその言葉はぐっと飲み込んでおきました・・・

途中、赤ちゃんが泣き出せばどちらかがあやしに行く、といった場面もあってなんというか、少子化対策は小難しく考えるのではなく、まずはこんなところにヒントがありそうだよなと思ったりもしました。ネットを活用した小規模なファミリービジネスというものをもっと奨励したり、夫婦での独立開業支援策とかも検討の余地がありそう。夫婦で在宅で仕事をすることによって、子育てにもプラスの効果をもたらすのかなと。

今日のようなストックフォトの現場にいると、そんな可能性についてもついつい考えてしまいます。

そういう意味では、ファミリービジネスとしてのストックフォトというのも、新しい切り口だし、社会的にもうまく活用してもらえたら嬉しいですね。

予断ですが、小規模ファミリービジネスを支援するサービスのニーズが高まりそうな予感がしています。ストックフォトだけをとってみても、ファミリーで取り組まれている人々は世界にも大勢いそうですしね。

これについては、また別のエントリーで書いてみたいと思います・・・いつか、きっと。

2014/04/24

アイデアそのものは重要でない???

クラウドソーシングは、もはや私たちの身近な問題をも解決してしまう、まるで魔法の杖のような存在になりつつあるのかもしれません。

即日配達ECは激戦へ…最短1時間で生鮮食品が届く「Instacart」を使ってみた!


昨日読んでいたTechWatchのこちらの記事で紹介されていたのは、アプリから生鮮食品を注文すれば最短一時間で届けるという即日配達サービスの話でした。

実際の使用例が紹介されていますが、その便利さがとても良く伝わってきます。

普段の生活の中で、例えば冷蔵庫を除いてみて野菜が見当たらない場合、その日は早々に諦めてピザなんかを頼むか、またはあり合せのもので済ませるかして凌ぐ事が多いのではないでしょうか。しかし、このサービスを使えば、周辺に契約している買い物を代行してくれるShopperという人々を活用して、最短一時間後には意図した野菜を手に入れることができます。このShopperの存在がいわゆるクラウドです。

野菜を使った料理を作ろうと思い立ったその時でも、何をつくるのかがイメージでき、更には料理をするタイミングすらもある程度把握できるので、時間的ロスもそれなりに調整できそうです。また、売り手も販売の機会ロスの低減が期待できそうです。

日本におけるクラウドソーシングは、デザインなどの仕事発注系や、アイデア共有などの分野で定着しつつありますが、米国では、私たちの日常の瑣末な問題をも”実際に解決”してくれるサービスになりつつあるのです。

ところで、記事を読んだ瞬間はこの事業モデル自体を革新的であるとはあまり思えませんでした。なぜなら単純にスマホアプリを活用した「買い物代行」ですからね。それに、ちょっと考えてみても参入障壁が低そうに思えました。事実、既に激戦状態らしいじゃないですか。

ただ一方では、革新的なビジネスモデルではないけど、「なんかすごいし、なんかすばらしい!」とも感じていました。

その「なんか」の感覚て何だろうと昨日からつらつらと考えていたのですが、今朝、またTechWatchを読んでいたら、下記の記事の中で飛び込んで来た言葉に「はっ」とさせられたのです。

経験者が語るYコンビネーターの魅力とは?革新的なビジネスモデルはどのように生み出されるのか?


この中で紹介されている、あのYコンビネーター出身の起業家の言葉は重要だと思います。

『一般的に、アイディアそのものは重要でなくて、そのアイディアを革新的な方法で実行することが重要だと思うよ。』

と。これですよ。これ。つまりシンプルには買い物代行なんだけど、注文を受けてから即日に配達する(最短では一時間以内)仕組みそのものに、従来の買い物代行とは異なる革新的な部分がある、ということなのですね。そこに表に出ていない彼らのビジネスの本質があるわけです。

あー、スッキリしました。

それにしても、この考え方が様々な分野にも当てはまるのではないかと捉えてみると、無限の起業ネタがありそうじゃないですか?あれとか、これとか、それとか・・・・


2014/04/22

ストックフォトの現場から。Vol.1

ストックフォトの撮影現場において、クリエイティブのディレクションを担当する役割の人がいると、その撮影のバリューアップにつながり易くなります。

設定されているゴールに向けて、抜け漏れを確認しつつ正しく導いてくれる役割の存在は、つい撮影に集中してしまうカメラマンには有難い存在です。

とはいえ、予算等の理由からディレクション担当を入れる事が出来ない撮影現場が殆どなのは承知しています。

ディレクション担当者が特定できない場合でも、もしカメラマンも含めて複数人で現場が運営されているのであれば、カメラマン以外の人が進行管理を担当し、必要であれば参加者全員がアイデア出しなどにカットインできるような柔軟な現場運営というのも一考に値します。

といいますのも、ストックフォトのように一回の撮影で多くのカット数を目指すようなビジュアルづくりでは、ある程度設定されたゴールに向かいつつも、その場の即効的なアイデアが予想以上の価値につながったりもするからです。

そのような環境は主催者(この場合のほとんどはカメラマンかも)が意識して作り出していかなくてはなりません。カットインする人が突然その場をかき回してしまうような(または、そのように周りの人達が感じてしまう)事態にならないよう、事前のコミュニケーションが重要となります。特に初めて仕事をするメンバーとは、その場で思いついたアイデアの共有方法を事前にきっちり確認しておくとより効果的でしょう。

参加する人に「あ、私も何かアイデア出してもいいんだ!」というマインドを持ってもらえるかは重要です。たとえそれがモデルの人であっても。

複数の人から出てくるアイデアを活かす工夫が、費用対効果を上げて行く為の一つの鍵であることは間違いなさそうです。

※ストックフォトプロダクションに携わって10年以上が経ち、アジアでは今でも現場に立つことが多い私の経験や思うことをこれからも不定期で書いていければと思います。




2014/04/20

「所変われば品変わる」

仕事でマレーシアのプタリン・ジャヤというところに来ていまして、今日で3日目となります。

マレーシア自体はかれこれ56回目の訪問となりますが、直近の3回は連続でこの地に滞在しています。それ以前はクアラルンプールに泊まっていましたが、いくつかの視点からここが便利だという判断をしました。

それはそうと、ホテルの一室に落ち着き、デスクに向かって今日一日を振返っていると、ふと、今私がいるこの場所は一体どういう特徴があるのか等、殆ど何も知らないという事に思い至りました。

昨年シンガポールに進出するに当たって東南アジア各国の歴史や経済状況をそこそこに勉強していたのですが、ことマレーシアの地域性には殆ど関心を持てていませんでした。

経済はグローバル化しているというのはもはや常識のレベルです。しかし、一方でローカライズという言葉も重視されています。インターネットの発達によってビジネス自体はグローバルに展開(参入)しやすくなってきています。ところが、サイト言語を増やしてその市場に参入したとしても、それは何の意味もなくて、むしろ国境を超えて事業を展開すればするほど「所変われば品変わる」ということわざの存在感の大きさに気付くのが現実です。

なのに、その「所」の理解がなければ事業の成功は望むべくもありません

表面的なリサーチだけでなく、その国に、社会に、文化に、人々に積極的に興味を持ってゆく姿勢を持ち肌で感じることで、市場のより良い理解に繋がるのだと思います。

あと日間ほどの滞在となりますので、しっかり体感してきたいと思います。

※そういえば、TDL等は最近ジャパンオリジナル化が凄いという話を聞きますよね。同社のやり方は参考になりそうです。

2014/04/17

プレイングマネージャーについて

シンガポール出張の為、只今成田へ向かってます。

今回の最大のミッションは、直近の体制に関する方針の取りまとめにあります。

また、現場的な個人タスクもそれなりに抱えており、役割としてはプレイングマネージャー的な動きが求められていると言えます。

プレイングマネージャーというものは、現場の成果を二兎どころか三兎も四兎も追いつつも全体俯瞰とのバランスを失ってはならないポジションであると考えています。

私の脳内では、出張が近づけば近づくほど個人的タスクの追求意識が高まりがちです。ですからそこをグッと抑えて極力冷静になるよう努めています。まさに今がそんな感じです。このブロクを書くことで冷静さを取り戻せてもいるので、これは習慣にしたいですね。

そういう意味で、今期から監督兼捕手になったまさにプレイングマネージャーである中日の谷繁さんの考え方、姿勢などか気になったりしています。選手であることと監督であることのバランスをどうとっているのか。しかし、マスコミから聞こえてくる話で特筆すべき点は今のところ残念ながら見当たりません。まぁ、今シーズンが終わってからでしょうかね。

あ!野村元監督ってルートもありますね。

まぁあれこれと試行錯誤しながら頑張ってきたいと考えています。

2014/04/16

子供の誕生日に祝うということについて

今日は、娘の6歳の誕生日でした。平日ということもあり家族3人でささやかにお祝いしました。

月並みですが、「早いなー。すぐ大きくなっちゃうんだなー」という思いが去来します。お腹の中にいた頃のエコー写真を引っ張り出してきて眺めてみたりして、ちょっとした感傷に浸りました。

しかし誕生日はあくまでもお祝いの日です。彼女の成長を喜ぶ気持ちも勿論あります。無事に成長してくれることが一番の幸せであることを忘れずにいたいですね。

ところで、子供の成長は親としての成長にも繋がっている気がします。彼女は、私が42歳の時に授かった子ですが、当時私はいわゆるアラフォーですした。アラフォーですよ。それなのに何だか自分勝手な振る舞いの多い、まさにとっちゃんぼうや的な人間であったと自信を持って断言することができます。まぁ、そんなことに自信を持っても何の意味もありませんけども。

そして、父親としての時間を重ねるにつれ自覚も強化されるのか、その辺りの改善がゆっくりと進んでいます。本来であればピシッと心を入れ替えてすぐさま変わらなくてはならないのかもしれませんが、私の場合は時間をかけて成長している会社の株価チャートのように、上昇と下落を繰り返しながらも長期的には右肩上がりのトレンドを描けているという感覚なんです。

と、娘の顔を見ながらそんなことをつらつらと考えていましたら、子供の誕生日を祝うということは、子供の成長を喜び合うと同時に、親としての成長度合いを自ら振返る日でもあるんだなという思いに至りました。

親は、子供から教わる事が多いと良く言われますが、子供ってまさにこういう気付きをもたらしてくれる存在でもありますね。

ともかく、お誕生日おめでとう。これからも元気に育ってください。

2014/04/15

気持ちの切り替え

直近の一ヶ月間は、この一年では最も長く日本に滞在した期間となっています。

昨年5月末からシンガポール(SG)での業務をスタートしているのですが、それ以来、彼の地に約一ヶ月滞在、そして日本に一週間滞在というサイクルを続けています。

今回、日本滞在が思いのほか長くなった要因は、現地のメンバーが増えことである程度任せられる状況になってきたこと、及び四半期毎に集中する日本での業務が諸々重なったことによります。

それにしても随分長くいるなぁという感覚が強く、そのせいかどうかはわかりませんが、SG業務の個人タスクが少々遅れ気味なのも気になっています。

実は、個人的に抱えている日本とSGの業務内容がかなり異質なものなので、双方の業務をスムーズにこなす為には、日々の中でも気持ちの切り替えが重要になります。私は自分なりに業務バランスを調整することで、こういった状況に何とか対応してきました。

しかし、これだけ長く日本にいると、ほぼこちらの業務にかかりきりな場面が増えていて、これまでのバランスが若干崩れ始めているのに否が応でも気付きます。恐らく生活リズムの変化もまた影響しているのと思います。仕方ないのかもしれませんが、どうしても日本側の思考に傾きがちです。人間はやはり環境に左右されてしまいがちということでしょうか。

とはいえ明々後日から再びSGとなりますし、ここらで気持ちをきっちり切り替えていこうと思っています。



2014/04/13

経営合宿を終えて

一泊二日の経営合宿を終えました。

帰宅した昨晩の段階では、もう色々ありすぎて正直いうと頭の中は乱雑とした状態で上手く収集をつけることが出来ていませんでした。しかし一夜明けてみると話し合って来た将来ビジョンや諸々の課題への取り組みなどを思い浮かべることができるレベルにはなっていました。おらく就寝中に脳内タンスの整理が急速に進んだのでしょう。

当然ですが、それは課題が全て解決したという意味ではありません。ただ、忌憚のない議論を納得するまで繰り返すことである程度の答えを導けるんだ、という自信めいたものを持つ事が出来たということです。これは非常に大きいな前進だと考えています。

そして、そういうことができる仲間と事業を現在進行形で展開できていることの意味もしっかり捉えていかなくてはならないなと同時に思いました。

そういう意味で、「何をすべきか」ではなく「誰とするか」という考え方への理解と共感が実体験を通して一層深まった合宿でした。

具体的な内容を書く事は出来ませんが、他にも多くの気付きを得る事ができました。人は簡単には変わる事が難しいといいますが、結局は実行するかどうかにかかっています。実行しなければ何も得られないわけですから。

今回の合宿で得た気づきを実践し、振返り、発見した問題点を修正していく、という活動の繰り返しで少しずつ理想に近づいて行けるのだと思います。

余談ですが、今日は娘が初めて自転車を運転できた記念日でもあります。彼女はまさに実行して結果を得たわけですね。素晴らしいなとちょっぴり感動しました。

2014/04/12

経営合宿

経営合宿で昨日から船橋に来ています。

かなり濃厚な議論が出来て、マネジメントを担当しているメンバーと充実した時間を共有することが出来ています。

オフィスから離れて、日頃と違う空間で語り合うことは、モノの見方や発想の柔軟さにもつながるのか、気付きの多い初日となりました。

合宿プログラムとしては、二日目の今日がメインイベントだということなので、昨日にも増してしっかり取り組みたいと思います。

全体の感想はまた改めて。


2014/04/10

コッテージチーズを洗う

故あってビジョナリーカンパニー②を再読しています。
いつ読み返しても熱く読める箇所が多いですし、同時に自分の至らなさも痛感します。

その中でも、今の自分にとってもっともガツンとくる場面は「コッテージ・チーズを洗う」という規律の部分。

ここでは以下の文を引用します。

『トライアスロンの世界的なスター選手、デーブ・スコット選手は毎日の練習で、平均して自転車で百二十キロ、水泳で二万メートル、長距離走で二十七キロを一日も欠かさずこなしている。太りすぎるはずもない。それでもスコットは脂肪分が少なく、炭水化物が多い食事をとれば、さらに能力が高まると確信している。そこで、毎日の練習で少なくとも五千カロリーを消化していながら、文字通りコッテージ・チーズを洗って、脂肪分を少しでも取り除いた後に食べるようにしている。コッテージ・チーズを洗わなければならないことを示す証拠があるわけではない。核心はそこにはない。チーズを洗うのは小さな事ではあるが、この小さな方法によって自分の力がさらに少し強まると本人が確信している点にこそ核心がある。この小さな方法を多数の方法に付け加えることによって、強烈なほど規律ある一貫した計画を作り上げているのだ。』

というもの。文字通り太字の部分にいたく共感しています。彼のような研ぎすました習慣を身につけなければと真剣に思います。

しかしながら、それは何か、ということが問題です。自分にとってのコッテージ・チーズを洗うということはどういうことなのだろうかと。

・・・

何となくですが、それは「ブログを書く」それも「毎日書く」、ということなんじゃないかなと感じているのです。それもわりと昔から。

結局のところ、今の自分に足りていないのは縦方向への思考力。自分で言うのも何ですが、ちょっと器用(貧乏)なところがありまして、わりと何でもチャチャチャとできてしまいます。しかしながら決して驚異的な成果を叩き出しているわけではないのです。概ね平均点以上という感じです。

この年(もうすぐ48歳)になってみて気付くのは、ここまでは過去の遺産でやってきたのであって、ここから突出した結果を出し続けてゆくには、新たな再成長のステージづくりが必要だということです。それには、物事をしっかりと深く考え抜ける能力を身につけなくてはいけないし、その為にはこなれた習慣を強引に変えてゆく必要もあるでしょう。

そのきっかけとして、まずは「思考する為に書く」ということを習慣化することによって、考える癖を付け、それを他の多数の方法に結びつけてアクションにつなげてゆくという流れにつながるのではないかなと。

継続したブログの更新が、私にとっての「コッテージ・チーズを洗う」ことになるのかどうか、現時点では確信してはいませんが、まずはトライしてみたいと思います。

2014/04/04

アナと雪の女王を見ました!

先日、といっても数週間前ですが、ディズニー映画の最新作「アナと雪の女王」を家族で観に行きました。

内容自体は大人にとっても程々に共感でき、楽しめるものでした。ミュージカル仕立てということもあり、吹き替えではありましたが見事な歌が見所(聞き所?)の一つでもありました。今でも歌声が耳に残っていて、ついつい口ずさんでしまうほどです。レット イット ゴー♩レット イット ゴー♩♩

それにしても、アニメの吹き替えに有名人を起用するようになったのはいつの頃からなのでしょう。この傾向は昔からありましたっけ?そうだとしても最近特に多いような気がしているのは気のせいでしょうか。

そうする理由として考えられるのは、おそらくその有名人を認知している親世代への訴求を意識しての事だと推測しますが、なんとなく釈然としませんでした。

確かに、ショッピングモールに位置する映画館の客の殆どは家族連れが多勢を占め、従来の中心勢力だった若者たちにを完全に凌駕しているように見えます。

それに、子供にとっては声の主が誰であるかは今は関係ないでしょうし、親達は「アナは誰々の声なのよ」と囁き合い、副次的な話題で盛り上がるのは否定しません。

しかし、私の中の違和感は、その声の主が誰々だと具体的にイメージ出来てしまうと、むしろ雑念として膨らんできてしまうところにあります。どうしても有名人の存在がキャラクターとダブってしまうのです。そのイメージが良い方にピタッとくればいいのですが、キャラクター=有名人 という等式はどうもなぁ、という感じがします。

アニメのキャラクターはそのキャラクターそのものであって欲しいと思うわけです。個人的嗜好&古い話で恐縮ですが、飛雄馬、哲郎&メーテル、ハーロック、古代守、ケンシローやルパン三世のように。それにしても古いですね。

子供達も成長して、色々と理解するようになってくると、「えー、アナの声はあのおばさんだったの?」となるようなならないような、、、

その点、プロの声優は様々なイメージで表に出る有名人に比べて、無意味な露出度は低そうなので、キャラクターの声としてのイメージを長期的に保ってくれるのではないでしょうか。

そんなところにプロの声優の価値があるように思ったりしました。

という訳で、私はアニメの吹き替えには極力プロの声優を起用することを希望する次第です。