2012/12/29

トイレ掃除に命をかけるのだ。


photo credit: MrUllmi via photopin cc

 最近、身の回りが整理整頓されていないと、以前よりも増してなんとなく落ち着かない気分になることが多いいんですよね。はぁ、年のせいかなぁ。

 特に考え事などをしている時には、余計なものがとても邪魔になります。だからデスクの上とか自分の部屋は極力シンプルに保つように気を使っています。それでも何かが引っかかる・・・

 だからそれはきっと部屋の状態とかモノとかそういうんじゃないんだろうな、もっと精神的なものなんじゃないかな、と最近は考えたりしていました。

 そんなこんなで年末の休みに突入しました。今日は妻は終日外出で、娘とは以前から一緒にお絵描きをする約束をしていました。朝食を食べて、準備を始めるのにその辺を片付け始めたら、ついつい気が乗ってきてあちこち掃除を始めてしまいました。

 お絵描きがなかなか始まらないので、だだをこねる娘には1時間だけもらって、せっせと掃除を続けました。そして、トイレにさしかかった時、ふと妻の言葉を思い出しました。「トイレ掃除って、事業をしている人とかにとってすごく効果があるのよ。あるのよ。あるのよ、あるのよ・・・・」とリフレイン付きで。

 まぁその話はこれまでにもなんとなく聞いた事あるのですが、うまく乗せてトイレ掃除をさせようという魂胆だろうとその時は完全にスルーを決め込みました。

 しかし、。トイレ掃除をしていくうちにみるみる集中していく自分がいました。そして納得いくまで奇麗にし終わった後の気分の爽快な事といったら、森高千里も顔負けでした。この一心不乱感が欲しかったのかもしれません。

 これだ。これです。この感じ!

 来年はトイレ掃除に命をかけます。
 
あ、こちらのブログも更新しました。STANDING OUT from the crowd.

2012/12/28

46歳症候群


photo credit: evalottchen via photopin cc

ぶっちゃけ体調があまりよろしくない年の瀬ですが皆さんは如何お過ごしですか?

ま、それでも家族は元気だし、仕事は充実しているし、という生活の軸はしっかりしているから日々ガッツ入れて生きられてます。

反面サーフィン行けてないとか、お金貯まらないとかあるわけですが、人生トレードオフということで、できないことを追っかけてもね。今できることになるべく集中することにしてます。

あ、そういえば「46歳の危機」っていう症候群があるじゃない。え!知らない?そりゃまずいですね。ふと気付くとアウトプット過多の状態になってしまって、脳がスカスカのスポンジ状になってしまっちゃうアレですよ。怖いですね。ま、勝手に名付けてるだけですが。

そういう危機感も相まって、最近新しくブログを始めたんです。

おおっぴらにアウトプットしていくにはしっかりとインプットしなくちゃいけませんからね。緊張感もって取り組むことにしています。

あー、サフィンいきたい。

2012/12/15

多様性を受け入れる社会

いよいよ明日は衆議院選挙の投票日です。

もちろん投票には行くわけなんですが、自分の投票行動が社会を良くする事に貢献出来ているのかと自問すれば、悩むところですけど、やっぱり答えはYES!なんでしょう。

私は、「良い社会」というのは、いろんな考えの人々が共存できる社会と考えています。だから、脱でも反でも、増でも減でも色々あっていいのです。

結局、多様な考えの人々で社会が成り立っているからこそ、千差万別のニーズに対応していくビジネスも産まれてくる。そうじゃなきゃ、例えば変な小説書いていたり、ワケわからない音楽作ったりしていても、誰にも興味を持ってもらえず、ご飯食べていけないですよね。

だから意見の違う人がいたって全然いいじゃないですか。多様性オッケーです。むしろそういう社会を継続する為にも「好き勝手に」一票を入れるベきなんです。選挙って、投票率が低いと一部の組織票が有利になってしまう構造になっています。

それこそ硬直した生きづらい社会になってしまいませんかね。

今はネット上で色々とまとめてくれています。その気になれば誰が何考えているのかちゃんと考えがわかる時代です。政党とか候補者多すぎてわからない、という言い訳は通りませんな。

Google 選ぼう2012


2012/12/12

山の気分

(c)Kotaro Uchida

海から山に越してきて約1ヶ月経ちました。

間違いなくこちらの方が空気が綺麗です。胸いっぱいに空気を吸い込むと、濃厚な葉の香りが体内に染み渡ってきます。その気持ち良さといったら、「なんも言えねぇ」としか表現することしかできません。

山の麓に住むっていうのは46年の人生でも初めての経験ですが、まぁ悪くはないですね。最初は不便かなぁ、チャリでサーフィン行けなくなるなぁと思ったりもしたが、やっぱり悪くないです。山の住人たちもとても優しいし、何より娘も喜んでいます。珍しい奴です。

というわけで、今はとっても山な気分。

※写真はまさに家の裏にある山の中です。


2012/12/01

新しいブログを始めました。

新しいブログです。
Standing out from the crowd.

競争が激しい個人クリエイターの市場に焦点をあてて、どうやったら勝ち抜いていけるのかを考えていきます。例えば自分がミュージシャンだったらどうするか、とできるだけ当事者意識を持って書いていこうと思っていますので、宜しくお願いします。

そして、KOTARO'S blogはますますとりとめのない個人的な内容に振れていくことになると思います。ですのであまりおすすめはできませぬ。m(__)m

2012/11/18

(映画)完全なる報復 副題:まさかのアレ




ごく最近、といってもこの1年以内くらいに観た映画の感想メモが30作品を超えてきました。

そこで、これらの感想を少しずつブログでシェアしていこうかと思います。これだけ映画評論サイトやプロ顔負けのブログがある中で何で?という思いもあるのですが、まぁ、好きで観てる映画を忘れない為の備忘録、とでもしておきます。アウトプットを意識して観ることで得られる事もありますし。

でも、どこかで誰かの参考になることがあれば、至極光栄です。だって、90分から長ければ2時間程度の無駄に使ってしまうリスクが、このテーマの記事を読んでもらう事で回避される人がいるかもしれない、思うと少なからず価値はあるのかな。何とも消極的な考え方ですね。

なので、ネタバレには気をつけます。見所を絞ってお伝えしていきます。観ているジャンルはポリシーはありません。ほんと雑食系の勝手な言い分としてしか書けませんので、あしからず。

それでも、続けて行く過程で映画の見方に関する何らかのフレームワークを編み出すよう意識しておきたいとは思います。

記念すべき第一弾。

■基本情報
(タイトル)
完全なる報酬」詳細はこちら
(原題)
Law Abiding Citizen
(ジャンル)
サスペンス・アクション/復讐もの。

展開・構成
家族を強盗に殺された男・クライド。これはクライドの復讐劇です。その実行方法がこの映画のポイントとなります。実行犯を殺した容疑で刑務所に入れられたクライドは、しかし次々と関連する人々への復讐を実行します。一体どうやって?最後まで全くわかりません。オープニングからトップギアの展開で進む構成に引き込まれます。人生で教訓にできる言葉も随所にでてきます。

うん、充分に面白く、かつ引き込まれる映画だ・・・・った。ラスト15分位までは。

果たして、何がまずかったのか。それはオチです。この映画は、まさに「復讐方法のトリックを見破る」、がメインコンセプトになっています。刑務所の中からどうやって?誰か協力者がいるのか?巧みな展開・構成でその謎は終盤までかなり盛り上っていました。答えをあれこれ考えながら観ていましたが、ふと超陳腐なネタが頭をかすめました。「まさか、アレじゃないよね?」「いや、そんなのあり得ない。そんなストーリーなら俺でもシナリオライターになれるぜ」と自分で自分のアイデアを打ち消すのに必死。

そして、そういう疑念が膨らみつつも、いよいよクライマックス!!
・・・・あぁ〜結果は、そうです。その「まさかのアレ」に・・・・・・リアルに「ええええぇ」という感嘆詞が口から漏れてしまいました。

ハリウッドの映画は、ストーリ展開などにマーケティングの要素を加味していると聞きます。エンディングも何通りか用意して用意周到に決めて行くと。この映画もそうだったとしたらハリウッドのマーケティング力を疑わざるを得ないですね。

結論としては、残念ながら、オチで全てを台無しにしてしまう映画です。原題からも想像できるように社会的な問題意識もテーマであったはずなのですが、結局中途半端なアクション映画と成り下がってしまったのでありました。オチって大事ですね。

観たらいい度
★★☆☆☆

番外編
しかし、映画の中では、プロセイン王国の軍事学者であるカール・フォン・クラセビッツという人が書いた「戦争論」というものが引用されていて、この存在を知ることができたのは良かったです。いつか読んでみたい本。





引越しは断捨離のチャンス!


photo credit: Ozyman via photopin cc


この度、引越しました。

社会人になって24年、今回で通算で7回目の引越しです。ざっと3.4年毎に移動している計算になりますか。住んでいた場所を◯◯時代と区切って振り返ってみるとそれなりにストーリーがあって感慨深くなります。一体成長できているんですかね。

何故引越しをするのか?
ところで、人は(私は)何故引越しをするのでしょうか?・・・は?みたいな問いかけですが、よく考えてみると重要な事なんです。いくつか理由を考えてみました。

・子供の進学や転勤などの位置的なもの
・収入も上がってきたしもっと良い物件に住みたい、あるいは家賃比率を下げたい、などの経済的なもの
・都心から自然の多い地方へ(または反対も)のような環境改善的なもの
・「なんとなく」というような気分的なもの。(これで引越しできるのって贅沢)
などなど。他にもありますかね。

どれかひとつだけかもしれませんし、複数該当する場合もあるでしょう。私達家族の今回の該当ポイントは、「位置的、経済的(後者の方)かつ環境改善」な感じです。まず、住む地域をある程度限定しての物件リサーチでしたが、コスパを上げつつも気分的な満足度を高めてくれる物件に出会えたのは非常にラッキーでした。引越しをするにしても、事前に満足度の優先順位を明確にしておくことで、たどりつく結果も大きく変わってきますから、ある程度しっかり考えておく必要はあるのでしょうね。

断捨離
そう言う意味では、良い結果を出せたといえる今回の引越しですが、作業を通して「あー、なんかいろんなもの抱えてしまっているなぁ」というかなり強い危機感を持ちました。私のようなズボラな人間は年齢を重ねるごとに色々なモノが増えていってしまいます。余計なモノに雁字搦めにされていては行動や思考に良い影響を与えるはずも無いです。ですので「断捨離」というものに取り組んでみようかと思います。それも大規模に。

本来の断捨離
そこで、「断捨離とは何か」というわけで、ちょっとWikipedia様に聞いてみました。まず、「断捨離」が個人の方の商標になっていることにプチ驚きです。てっきり禅とかそういった昔から存在するコンセプトかと思っていましたので。

wikiによると
ヨガの「断行(だんぎょう)」、「捨行(しゃぎょう)」、「離行(りぎょう)」という考え方を応用して、人生日常生活に不要なモノを断つ、また捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考え。単なる片づけとは一線を引くという。
断=入ってくる要らない物を断つ
捨=家にずっとある要らない物を捨てる
離=物への執着から離れる 
ということらしいです。つまりは「入」をどうするかが重要なんですね。断捨離後が勝負ということです。

ターゲットは本
ということで、知識や思考の整理も兼ねて「本」を断捨離のメインターゲットにしてみました。3つある本棚に入りきれていませんからね。セピア色に変色したビジネス本などはもう間違いなく読み返さないでしょう。で、スローガンも決めました。それは「もったいないを捨てる」。やったしまったかな、と痛みを感じる位に切り込む覚悟であります。

また、タイミングの良い事につい先日Kindle Paperwhite を予約しました。こと書籍に関しては来年初頭からどんどんシンプルな管理形態が実現していくのは間違いなさそうです。

そういえば、物理的なモノを整理すると「あーさっぱりした」という感覚になりますが、それって脳にも非常によい影響があると聞いた事があります。ノイズが多い脳ではインプットもアウトプットも遠回りしてしまいますからね。

断捨離=脳のクリーンアップ、ということで目的も明確になりすっきりできました。

さぁ、あとは実行のみ!






2012/11/11

経験について



photo credit: dullhunk via photopin cc

皆さん、素敵な日曜日を過ごしていますか?
私は昨晩パスタ(エビとアボガドのジェノベーゼ)をつくり、妻と白ワインを飲んで10時に寝たので、今朝は5時に起きる事ができました。早起きすると一日が充実しそうな予感に包まれますね。さて、今日は「経験」についてちょっとだけ考えてみました。

ググる
今の世の中、Googleさんに聞けば大方の回答は見つかります。外国語がわかればその世界はさらに拡がります。どちからというと上手に関連する答えを探してくる能力が評価されやすい世界かもしれません。様々な考え方、ノウハウ、フレームワーク、プログラミング・・・そしてこの10年携わってきたビジュアル作りにおいてさえもそれらの方法論がネットの世界に存在して溢れていてサンプリングし放題です。何かを知りたいと思ったら、それらの大海原の中から効率よく探し出してくれば全てOK!ですよね・・・え?本当ですか?

知識と実践
Googleも然りですが、私はふとこの先関連技術が進化していく過程で、検索するのに能力なんて殆ど意味のないものになってくるのではないかと考えたりします。知らなかった”情報”のありかや”すっきりしたまとめ”を誰かに提示されること自体に「さすが!」などと感動しているのは今だけの事象でしょう。そういうニーズがあれば必ず誰かがサービスとして解決してくれます。そうなるとやはり人間にとって重要なのは、得られた知識を如何に実践できるか、という能力になるのではないかと思うのです。・・・当たり前か。

経験に勝るものはない。かのダビンチも・・・
実践にはエラーがつきものです。私は実践=経験だと考えています。経験を積むという事を怠ってはいけないよね、と最近良く痛感しています。エラーの頻度を少なくしていくには、その経験を繰り返す過程で修正し改善していけます。その改善が進化につながるのかなと思います。

ですから、これまで積んできた経験は継続させることで更なる向上につながりますし、そして、何か新しく得た知識を本当に自分のものにしたかったら、まだ経験したことのないことは実際にやってみる、という事ですよね。

というわけで、私も重い腰を上げて先週から新しい経験となるものを2つ始めました。追々ブログでも紹介していこうと思っています。

最後にレオナルドダヴィンチの言葉を紹介しておきましょう。
経験のうちに在しないものを経験から期待するものは道理にはずれている
便利な社会になればなるほど、肝に銘じておきたい言葉だなぁ。



※今日の写真、Googleのクラシックなロゴ。いいですよね、こういう感じも。

2012/11/06

「Gゼロ」後の世界




こういう側面からの考察もビジネスの将来予測の重要な要因となりえる。様々な書評を読んでみても、いずれも興味深そうな評価だ。国家間のパワーバランスにおける世界の動向を読み解く一冊となり得そう。

特に中国の力をきちんと認めなくてはならないということは、もはや世界では常識なんだし、ASEMあたりで変なつばぜり合いをしている暇はないよね、と言っているような気がする。

あー、そうそう、こういう本こそkindle paperwhiteで読みたい。こちらも予約せねば・・・

備忘録として。

2012/11/04

思ったら即行動!



photo credit: Eneas via photopin cc

やはり生活の全ての源泉は健康であると痛感している。

本来の意味からは逸脱してしまった言葉ではあるが、「健全な精神は健全な肉体に宿る」にまずもって集約されていると思う。

そのように改めて思ったのは、風邪の悪化が理由。つい先日まで熱が37度超あり、節々と喉がやられていた。咳は未だに続いている。えっと、一つニつ・・・数えてみるとなんと四重苦ではないか。病院で薬を貰ってきたが時既に遅し、だ。そうなると、そもそも「やる気」という存在自体がどこかへすっとんでしまう。気力でカバーしようとしても良い発想が産まれないから創造的な仕事に繋がらない。ルーティンワークはなんとかこなせるが、それも半端なく非効率。

予防が一番重要なのは言うまでもないが、風邪について良く言われているのは、ひきはじめの処置が全てを決めるらしいということ。「かかったかな?と思ったら♪はやめの・・・」うーん。CMもたまには良い事を言う。そうそう、ビジネスや家庭の状況と一緒で状況が悪化してしまってからいくら対策を講じても遅すぎるんだよ、ということを今回の風邪が身を以て教えてくれてると思う事にしよう。だってつらい毎日を過ごしているんだし、せめて教訓の一つでも得ておかなきゃ損だよね。

「あのとき、すぐに行動しておけばよかったな」っていう後悔ほど残念なものはないなとつくづく思う今日この頃なのでありんす。

にしてもまた、風邪引いたら同じ事思うんだろうな・・・やれやれw

※今日の写真面白い。




2012/10/25

帰国の朝



さぁて、5日間滞在のシカゴも最終日。

とてつもなくヘビーなシカゴピザの洗礼から始まった一連のイベントではあったが、仕事面では同行メンバーのみんなが結果を出してくれたのが大きな成果。そして、オフの昨日はシカゴ美術館にも行く事ができたし様々な意味で充実した出張だったと言える。

前回のエントリーで書いた「刺激」については、それなりの果実が得られたのではないかと思っている。あとは如何にそれらをただの刺激ではなく「インプット」という形に変える事ができるかということだけど、現段階ではいくつかは明確になっているが、いくつかは今朝のシカゴを覆う深い霞のようにぼやっとしていて不明瞭なものもある。後者は愛読書にも書かれているように熟成させて発酵させるとしよう。

「そう、霧はいつか晴れるものなんだから」(出た。名言!!)

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と、ここまでシカゴのホテルで書いて時間切れでアップできなかった。時差ボケで夜中の2時に起きてしまった今、続きを書こうかと思って読み返してみたけど、まぁ、そこそこまとまっているなと思うので、そのままアップしておこう。あ、写真付きで。








2012/10/20

初シカゴ!



以前「旅(移動)には新たな刺激がついてくる」と書きましたが、出張においても勿論それは同じです。初めて見るもの、経験するものが沢山あるのですから、それらから刺激を受けながらなんらかのインプットにつなげる絶好のチャンスです。



というわけで、今回は会社の出張でシカゴに来ています。僕にとっては初めての場所。ホテルの北東に面した窓から、世界で6番目!の面積を持つミシガン湖を眺めながらこのブログを執筆しています。もうこれだけでも様々な刺激に繋がります。ちょっと調べてみますと、ミシガン湖の面積は58,016㎢で、なんと東京都の約20倍!。「それって海だろう」などど突っ込みつつも、米国五大湖という存在の正確な認知に繋がりました。そして、いつか五大湖制覇できたらいいなぁ、なんて意味不明な野望を胸に頂いたりしてしまいました。知らなければそんなこと思いもよりませんしね。

因に、今回の出張の目的は業界カンファレンスへ出席しながら自社を売り込む事。期間中の殆どはホテルに缶詰ですが、それでも刺激ゲットの芽はいくらでも転がっているはずです。漫然と過ごすのではなく意識するかしないかが勝負。

昨晩到着して、まだ24時間も立っていませんが、ふと思ったり感じたりした事が既にいくつか出てきています。

・米系航空会社・・・:『日系と米系航空会社サービスの違いについて』
・機内映画『people about me』:『身につまされた事』
・米国入国審査:『2時間もかかるって。米国の事情に思う』
・ドレスコードの意識:『日本との違いとは』
・同行メンバーと機内で聞いた面白い話:『そ、そんな事が・・・』

などなど。

もうしばらくブログネタに困りませんw

という訳で、仕事では「成果」というアウトプットをしっかり出す事!これ第一。そして様々なインプットを増やせる4日間になるよう、楽しんで過ごそうと思います。

Data is new oil.ならぬ、A input is a beginning of output. ですからね。

※ただいま入りました速報によりますと、僕が悠長にブログなんか書いている隙に、同行女性2名は、既に早朝から周辺を歩き回って情報収集に努めているようです。インプット活動においては、彼女達にスタートから完敗の様相を呈しています・・・orz.

2012/10/16

「戦略とは何か」



photo credit: hobby_blog via photopin cc

スマホとLTE戦略でシナジー創出――孫社長がSprint買収の狙いを説明 
[田中聡,ITmedia]

ソフトバンクの勢いが凄まじいです。

孫さんを見ていると、本田宗一郎さん、盛田昭夫さん、松下幸之助さんら日本の伝説的な創業経営者を彷彿とさせます。

慎重に、健全に、失敗しないような内向きの経営ばかりを続けていて、いつの間にか縮小均衡に陥ってしまっているのが日本企業の現状であると孫さんは分析しています。世界で戦える企業が少なくなってきたと・・・そして、今の大企業に君臨するサラリーマン社長にはリスクを取った経営ができていないという点に問題意識を持っていらっしゃる様です。そういう企業をいわゆる「経団連銘柄」と表現していました(10/15の報道ステーションへの出演にて)。皮肉なものです。僕らが社会人になった頃は世界でも存在感のある企業ばかりが名を連ねていましたからね。

少子高齢化が急速に進む日本市場は、内需減少への対応方法はもちろん重要な課題です。しかし、「持続的な成長」という観点から考えると、海外市場に目を向けていかなければ実現は不可能に思えます。「男子たるもの世界でNO.1を目指さなきゃ」とも孫さんは言います。男子、女子は別にして「経営者たるもの」という意味として真摯に受け止めたいと思います。

しかし、当然と言えば当然なのですが、そういった"あるべき論”だけではなく、実際の戦略はしっかりとしたものを打ち出されています。僕が注目したポイントは、世界でもトップクラスに位置する日本の通信速度の提供」という部分です。

冒頭のリンクで取り上げたITmediaの記事によると「モバイルデータ通信の平均実効速度(2011年)は日本の2Mbpsに対して米国では1.1Mbpsで、日本の約半分ほど」。この差異を先行しているLTE技術で埋めていき、顧客に「ネットに繋がる速さ」を体感してもらえれることができれば、既存キャリアからのスイッチも可能なんじゃない?というストーリーです。戦略の基本である「顧客への価値提供」と「競争優位性の確立」をしっかり捉えた戦略だと思いました。


今後のソフトバンクの展開が非常に楽しみですね。戦略とは何か」を改めて学べる良い機会でした。

と、色々考えていましたが、私自身はauユーザーなんですよね。こんな魅力的な経営者だと感じている会社のサービスではなく、実際は競合他社のサービスを使っているという。何と消費者は分かりにくい存在なのでしょうか!

SB へのスイッチは4sの支払いが終了したら考えようっと。ある意味これは販売戦術の一つに嵌ってしまっているんですけどね・・・

というわけで最近久しぶりに本棚から引っ張りだした本↓。至る所にアンダーラインが引いてあり、カバーもぼろぼろになっていましたが、良い本でした。しかし、現実の経営に適用できているかといえば難しいところです。







2012/10/13

海水の透明度


2週間ぶりのサーフィン@由比ケ浜。

海底を這うカニさんが見えるんじゃないかと思うくらい、今日の海水はすこぶる奇麗でした。太陽に反射した水飛沫も青みがかっていて、その合間から沢山の魚が嬉しそうに飛び跳ねていました。彼ら、絶対に笑っていたはずです。

サーフィンしていると感じるのですが、この時期の湘南の海は透明度が増すようです。海流とかそういったのが関係してくるのでしょうか。サーフィンするには夏は確かに暖かくて良いのですが、海水は海に入るのを躊躇するくらいに濁っている時があります。そんなわけで、少々肌寒くても秋のサーフィンは実に気持ち良いのです。

デカい波にはビビってしまうし、年数だけは長くやっているけどサーフィンの腕前は一向に上達しない自分ですが、奇麗な水と戯れているだけでも幸せな気分にしてくれるサーフィンというスポーツと海の存在に大感謝です。

で、気になったのでちょっと調べてみたのですが、海水の透明度はプランクトンの量に影響されるらしいです。そして海水温度の上昇(餌増える)がプランクトン増加の要因であるため、海水温度が下がる今の時期は必然的にプランクトンが減少するということになります。

結論としてですが、他にも存在するであろう要因をすっとばして端的にまとめてしまうとすると、

(夏)海水温度上昇⇒餌増える⇒プランクトン増加⇒透明度下がる
(秋)海水温度低下⇒餌減る⇒プランクトン減る⇨透明度上がる 

という図式に強引にまとめてみました。なります。

僕ら人間は透明度の高い海水を求めがちですが、プランクトンや別の生物にとっては一概にそうとは限らないと言う事ですね。共生しています。



2012/10/08

長井漁港に想う・・・



3連休の最終日。

家族3人で海沿いをあての無いドライブに。海の近くに住んでいてもやはりいいものですね。気持ち良かったです。

逗子、葉山を抜け横須賀方面に向かいました。何度か行った事があるソレイユの丘方面に向かって右折し、そのまま突っ切ってみました。初めて足を踏み入れる地域です。目的地がないドライブですからパパの気の向くままです。

突っ切った先は漁港でした。その名は「長井漁港」。迫力ある漁船の一群が奇麗に整列されていて、まるで海軍のような規律ある漁師集団の姿が目に浮かびました。そしてその漁港の中心には水産加工工場兼鮮魚販売店が鎮座しています。その名は何と"長井”漁港株式会社。漁港名と会社名が一緒ってすごくないですか。そういう一致ってあまりないですよね?長井家がこのエリアを牛耳っているのか、と僕の鋭利なビジネス感覚が直感的にそう感じさせました。であれば、きちんと停泊されている漁船群の緊張感ある雰囲気も頷けるというもの。かなりのリーダーシップのある”ドン”なのでしょう。完全独占状態でありながら規律を重んじる!すばらいビジネスをされていらっしゃるな、などと独り言ちて鮮魚売り場店に入りました。そして、シマアジの瞳を見つめて鮮度を見抜くふりなどをして、しきりと頷いてみせたりしたのでした。家内の視線を強烈に感じながら・・・

しかし、後ほどググってみると、そもそもあのエリアは"長井"という町だったのですね。同社社長のお名前も”長井さん”ではありませんでした。どうやら「長井家独占」というわけではなさそうです。残念ながら僕の「仮説」はその部分では外れてしまいました。しかし、あのサイズの漁港であのサイズの水産加工場が一社(見える範囲で)というのは、かなり独占的ビジネスを展開されている、という部分はまだ検証余地があるはずです。(しませんが)

しかし、車に乗ってそのまま走り過ぎていたら「清々しさ」などは感じられるけども、こういったプチ刺激は得られなかったな、とちょっと得した気持ちになりました。これからも「初めての場所体験」をちょっぴり意識してみようと想います。これも旅みたいなものですし。

あ、最後は葉山のこちらで食事して帰ってきました。本当におすすめです。

焼き肉「友琉館」





2012/10/07

『ミケランジェロの教え』

photo credit: tj.blackwell via photopin cc

サウジで発行のカタログ写真から女性を消去、イケアが謝罪
「加工は現地のフランチャイズ店に要請されたわけではない。サウジアラビアのイケアのカタログ見本を提示する前の作業工程で過ちが発生した」2012.10.03/CNN.co.jpの記事より。
まず、この記事だけでは事の本質はわかりません。しかし、報道された事実をそのまま受け入れることで、本件を考えてみました。

私としては、記事の中で同国在住の女性ブロガーも言っているように、手法そのものは特に気になりません。むしろ宗教的慣行に対するマーケティング上の"配慮"と捉えています。更に、制作したデザイナー、撮影をした写真家、女性モデル自身の契約上の処理はきちんとなされている(当然の前提ということで)のですから、資本主義世界のルール上は全く問題のない行為でしょう。

それよりも気になったのは、進出先のマーケットとブランディングの関係について同社の中でどのような戦略があったのか、と言う点です。そこが、本件に関係して私が知りたい本質と言えます。事実モデル自体を「レタッチで消去」いるわけですから、同国市場の特殊性は理解していたはずです。しかしながら、女性とファミリー層の支持が高い同ブランドなので、そこのところは社内で相当な議論になったはずです。ですから可能な範囲でその議論の内容を公開し、今回の決定に至った過程の説明をした方が、より同社の考え方を示す方法としては有効だったように思うのです。その上で過ちだと認めるのであれば謝罪をするというの順序の選択がより良かったのではないでしょうか。ですので、冒頭に引用したようなコメントだけでは、むしろあらゆる方面からマイナスなイメージを持たれてしまうリスクを感じます。

同一カタログの使用による「世界的なブランディングの統一性」を図ろうという意図があったのであれば、それは脆くも崩れ去りました。同社の規模であれば、「再撮影」の選択もあったのだろうと思います。サウジアラビアという国の宗教上の慣行に配慮したビジュアルの構築はいくらでもできたはずです。勿論、時間やコスト等の表に出てきていない要素が意外にも方針の決定に大きく影響した背景があるのかもしれません。しかしそれはオフィシャルでの説明はなされていませんでした。

現在の私達は、デジタル空間で「ある存在」を簡単にしかも完璧に消す、あるいは創り出すことができる技術を手にしています。それはこれからも更に進化するでしょう。どのような現実をデザインしていくのかという思想がより重要になってくるんだと思います。コンセプトを考える人々の重要性が増々高まってきますね。

先日読み終えたばかりの「ミケランジェロの生涯」にもある意味同じような意味の事が書かれていたので最後に紹介しておきます。
「絵は頭で描くもので、手で描くものではない。自分の思想を持たぬ者は、己が面目をつぶすだけだ」




2012/10/02

Deta Is the New Oil !!


photo credit: pshab via photopin cc

今日は、20年振りくらいにとある女性とネットで再会を果たし、更にその方が別の知人とつながっていたという・・・。そうかと思えば、仕事でしか接点がないと思われた方と、別の仕事で繋がっている知人が高校の先輩後輩ってことがわかったりと、Facebookの威力をまざまざと見せつけられた一日でした。まぁ、世間ではこの様なケースは日常茶飯事ですよね。しかし、友人との繋がりも一段落していた、言うなればFb停滞時期だったのでちょっとした刺激となったのでした。Facebookで友人と繋がれば繋がる程、その蓄積がこのような体験数を更に増やして仕組みになっているんだなと改めて気付かされます。

多様な個人データーを同社に差し上げている日々ですが、ま、引き換えにこういう楽しみを得ているということで納得ですかね。数億人のデータがこうやって日々蓄積されていると考えると「ビックデータ」どころか「ヒュッジデータ」ですよね。

「持てる者はますます富み、持たざる者は更に失う」

とは同社の為に用意されていた格言だったのでしょうか。
さぁ、僕らもボヤボヤしていられませんよ。とにかく蓄積していきましょう!今、このときから。分析なんかは後でいいのです。分析して活かす為にもまずは蓄積。


Data is the new oil !!


「ビックデータの衝撃」(重要ワード)




「ビッグデータ」・・・流行のワードに飛びついたカモのようで若干照れがありますが、話題になって久しいコンセプトです。ウチの社長に借りて読んでいます。自分で買えよ、て感じですが、たまたま彼のデスク上に放置されていたので、可哀想ですしせっかくだから拝借しました。

本書の冒頭で、「ビックデータ」の定義について、狭義で言えば「既存の一般的な技術では困難な大量のデータ」としています。その管理が困難になる要因として、①volume(量) ②variety(多様性) ③velocity(頻度)の3Vがあげられるそうです。もちろんこの定義だけでは意味が無く、広義な部分では、データを蓄積・処理・分析していく為の技術を指し、或いは、その結果を活用してビジネスをより良く導いていく為の組織、人材を作って行くという方向にも繋がっていきます。しかし、このコンセプトそのものはそう新しいとは思えません。では、何が変わってきたのでしょうか。

例えば、”データマイニング”という分析手法があります。私などが10年程前に手がけていたモバイルマーケティングの分野でも活用していた仕組みですが、本書にも重要なコンセプトの一つとして登場します。しかし、データマイニングに限りませんが、ビックデータの分析に関わる手法は、もはや当時とは比べ物にならない位に実行する技術の進歩が著しく、そしてその結果恐ろしく低コストで膨大なデータ処理が実現可能になってきているのです。それが本書のポイントであり”衝撃”と題された理由の一つであると思います。また、ウェブとより連動性を強めることにより様々な活用がなされていて、このあたりの事例はとても面白く勉強になります。まだ読んでいる途中ですが「重要なワード」ということで忘備録的に紹介しておきます。どちらかと言うと、エンジニア向けではなく、僕らのような”非”エンジニア系の人間が、ビジネスの側面から理解できる内容となっていますので、みなさんも是非読んでみてください。ウェブサービスに携わる者としては必須の基礎的な知識習得には役立つのではないでしょうか。

関連して興味深い記事を2つ程紹介します。

(ギークだけでなく)誰もがビッグデータを気にすべき理由 (wired記事より)

このような流れは既にエンジニアだけの世界ではなくなってきているようです。プロジェクトの推進者がフォトジャーナリストという事も興味深いです。

doryokujin's blog

また、こちらのブログはTreasure Data社の提供するクラウドサービスである、ビックデータ分析向けのプラットフォームについて書かれている記事です。併せて読むと更に理解がすすみますので参考まで。






2012/09/29

サーフボードデザインと境界線

そして、今日は娘とお絵描き会。

彼女は絵本のキャラクターを、僕はサーフボードのデザインを描きました。

最近は、国々の動きも感じながら、はっきりとした線ではない「曖昧な境界」というものがが気になっていて、サーフボードのデザインもこんな感じににも反映できたらいいなぁと空想し考えながら描きました。色の配色パターンだけ事前に決めて、境目の曖昧さは偶然の結果をそのまま尊重する、みたいな。それぞれの色がにじみ合っている部分は「互いの尊重」というコンセプトです。この水彩のようなボードへのペイント水彩だからが可能なのか、いつか相談してみたいです。





南西うねりは由比ケ浜にヒットせず


photo credit: Phil Gibbs via photopin cc

台風17号が北上しています。

サーフィンを趣味にしている者は、台風の接近にワクワクします。

台風のウネリから発生する波は高く、しかもパワーがあるのでいつもよりもサーフィンを楽しむ事ができるからです。特に鎌倉エリアのサーファー達にとってはいつも小波で我慢しているから尚更ですね。あ、因に僕は小波専門ですからどちらかというと大型台風の接近は「緊張」する派です。

それでも、そんな僕でさえSNSなどで共有された台風情報を目にすると、ついつい「いいね!」やリツイートして皆にも喜んでもらおうと思います。しかし、一方では同時に進路にあたる地域で生活している人々の事を考える時があります。台風が大きければ大きい程、予想される災害も比例することでしょう。ですから、「いやいや、喜んではいられないぞ」といつも自分を戒めて、拡散の行動を控える様にしています。その位しかできませんがね。

良く思うのですが、サーフィンというスポーツは非常に個人的で内面的な遊びです。色々な見方があるでしょうが、僕はそう思います。「個人的」というのは、波の斜面を滑っているときは結局の所自分と波だけの空間でしかありません。まさに波(自然)と一体になるその感覚が楽しいのです。

そして、その素晴らしかった空間も、最後は何事も無かったように跡形もなく消え去ってしまいます。これよく考えると不思議なんですよね。さっきまで確かにそこにあったパラダイスな空間が徐々に消え失せてしまうんです。「内面的」というのはそこからです。僕らはその無くなってしまう事がわかりきっている何ものか(実際は波なんだけど)に向かって再びパドリングして沖に向かいます。サーフィンとは結局のところその繰り返しでしかありません。そんなサーファーを見ていると、さながら終わりのない問いの答えを探しもとめている哲学者達のように見えるときがあります。

ね、サーフィンて意外に内面的でしょ?知的でしょ?(ま、殆どの時間は何も考えていないのかもしれませんが・・・)

何はともあれ、非常に個人的なことで満足できることであるならば、台風がきても殊更騒がなくてもいいのかな。自分や仲間内で共有できれば、それで良いのかな、という感覚です。

台風17号の南西うねりは、今の所我がホームポイントにはヒットしていません。先ほどすれ違ったボードを抱えたサーファーに聞いたら、七里は潮が引いてきたら良くなりそう。とのことでした。

予定もあって他のポイントまで足を運ぶ事ができませんが、その引き換えにこの文章を書く時間が出来たのでした。それはそれで有意義です。

とりあえず、早起きして良かったと思う土曜日の朝。

そういえばこの本に出てくる「ハナレイ・ベイ」という短編作品は、サーファーなら一度は読まれてみても良いかもしれませんね。




2012/09/28

多様なパイプ作り




米国の前大統領は、世界でも未だにその存在感は光り輝く彗星の様に強烈です。

クリントン・グローバル・イニシアティブ(CGI)という団体を設立し精力的に活動しています。(当サイトのabout us から抜粋:ビル·クリントン大統領によって2005年に設立され、CGIは世界で最も緊急の課題への解決策を作り出すグローバルリーダーのコミュニティを開催しています)


つい先日も反米に傾きつつあるアラブの超大国エジプトのモルシ大統領が、この団体のイベントに出席し英語でスピーチをしました。報道によるとこれは出席している多くの米国人に親密さをアピールすることに効果をもたらしたようです。(この大統領は普段は英語を使わないそうですね)先の国連では西欧諸国を強烈に非難する演説をしたモルシ大統領ですが、彼らにとっても表向きは米国と対立しているものの、関係維持の為にも別のルートとしてCGIを利用しているものと思われます。この組織以外にもパイプはありそうですよね。そういう連想をさせる米国の懐の深さは底知れないです。

この団体設立の真の背景とか気になるところですが、今日書きたいと思った事はそういったことではなく、このような活動が米国の外交ルートの多様化につながっているのは間違いという点です。時の政権がどういう方針であれ、あらゆる状況毎に対応できる組織が常に存在していて、各国、各勢力とのパイプを切らさないような活動を脈々と行っているのだと、このCGIなどの存在が裏付けてくれます。

大事なのは、平時においては、無駄な組織/活動だと思えてしまうものでも、あらゆるシナリオに沿って、万が一の非常時に備えてしっかりと準備しておく事ができるかどうか、なのですね。そしてそういった活動のできる"余裕"の確保が何はともあれ重要です。

翻って日本はどうなのでしょう。私が既存の報道から得ている情報だけを元に考察するとすれば、この国の外交には多様性が足りない気がして仕方がありません。パイプも細いし、何より長期的な継続性がなさそう。政権というか政治における主流派が足の引っ張り合いでコロコロ変わってしまうので、そもそも継続できる方針を持てない状況にないのではと推察します。最近の中国などは、実は色々と話をしたいのに日本側に窓口がなくて困っている印象すら感じます。与党や野党がどうであれ、シンクタンクやCGIの様な組織が脈々と各国とのパイプを絶やさないようにしていく必要があるはずです。多分そうのはずですが、それらの存在を私が知らないだけでしょう。しかし、実際はそれなりにやってはいるのだとすればそれはそれで問題です。なぜなら、結論として「肝心な時にその組織は機能していない」と、証明されてしまっているからです。少なくとも今のところは。

ビジネス面でもそうですね。一辺倒ではない柔軟かつ多様なパイプの構築は非常に重要なんだなと改めて考えさせられました。一本しかないパイプを外されたら大変です。私なんかはついつい身内だけで固まってしまう習性が強いので(冬の朝に起き抜けられない布団の中のように、それはそれは居心地がいいですからね)、より意識する必要があるのです。今回はクリントンさんに教わりました。


2012/09/26

文章調達法



photo credit: Micah Taylor via photopin cc

文章書くことが最近好きになってきました。もっと上手くなりたいと切に思います。仕事上必須なスキルであるのは勿論ですが、自在に美しい文章を操ってみたいという欲が年を追う毎に深まってきています。ですので、自ずと学びのアンテナもその方面には特に強く反応します。

まずは、日本代表・谷崎潤一郎氏。彼はその著書 文章読本 (中公文庫) にて、文字通り文章上達法を述べている訳ですが、数ある秘訣の中でも「感覚を磨く」という点に僕は赤線を引きました。どうやって感覚を磨くのかと言いますと、①出来るだけ多くのものを、繰り返して読む事 ②実際に自分で作ってみる事。の2点を上げています。ふむふむ。また、私が西洋代表に上げるのはショーペンハウエル。彼もまたいくつかの重要な著書を残していますが、僕は「読書について」という著書にいたく感銘を受けています。その本の中で『「反復は習得の母」。とにかく重要な書物は間を置かずに2度読むべきである』と言っています。

二人ともに共通しているのは、『同じ書物を繰り返し読む』ことの重要さです。それっていわゆる復習ですよね。

同じ本を複数回読むというのは、確かに時間はかかるのですが、しょうもない本を数多く読んで何も残らない無為な時間を過ごすよりは、優れた内容の本を繰り返し読んで自分のものにしていく蓄積の方がしっかりとした基礎がつくられるでしょう。そして、豊潤な土壌に新しい種を植える方が良いに決まっています。

そういった基礎を作る為にも”書く行為"が重要なんだと2人の偉大な人物の思想は繋がります。そういう目的で書く行為を続けるとするならば、文章上達への道を楽しんで歩んでいきたいと思います。

しかし、まぁ”何を書くか”が最も重要なのは言うまでもありません。

文章読本



ショウペンハウエルの「読書について」はこちらがおすすめです。

2012/09/25

爆速レスポンス


photo credit: ario_ via photopin cc

今日、社外の方に送ったメールに対する返信が極めて早いケースが2件程あって、ちょっと感動してしまった。
極めて早い・・・どのくらいかというと、双方ともほんの1分程度だった。だから自分の中でその早さを表現すると「爆速」という言葉がぴっただと思った。(他社流用ですみません)そして、ただ早いだけでなく、こちらからのコメントに対してとても正確な回答が返ってきたのである。

現在では、多くの方が仕事上でメールを含めたウェブ上でのコミュニケーションツールを使っているだろう。必然的に処理する案件の数もうなぎ上りになってくるはずだ。それらを効果的に処理する為には、自分なりに対応する案件の優先順位というものをつけていく必要がある。

僕自身もある程度はそうしている。だから、自分の送ったメールに対して、爆速な対応をしてくれるというのは、僕という人間が、とは言わないまでも、その内容自体が、少なくともその瞬間は相手の中で優先順位が高いものであるのだ。それは気分が悪い訳がない。だからこちらも反応的に素早く返そうと思う。まぁ言ってみれば御礼のような感覚でもあり、そうしなくては申し訳ないという意識でもある。そうやってお互いのコミュニケーション循環が好ましく回りはじめるきっかけとなるわけだ。

毎回毎回は無理かもしれない。しかし、可能な限り早くレスをすることに損はない。
肝に銘じよう。素早く、そして正確なレスポンスは相手にとって喜ばしい事なのだと。

2012/09/23

感性の交流



photo credit: Bastien Vaucher via photo pin cc

いやー、めでたいです。最近僕の周りでは結婚ラッシュ!
先週に引き続き、昨晩も披露宴の2次会に出席してきました。新郎とは10年程前に携帯メールマーケティングをコア事業としていたベンチャーで、一緒に働いていたという間柄です。彼は今ではIT企業の経営者。というわけで、参加者にはネット関係の人々が多かった模様。あ、彼の学生時代のアメフト仲間と思われる方々もいらっしゃった様です。
そうそう、新婦も美しいお方でした。

僕は、そのベンチャーの創業者だった原さんと久しぶりに会って、パーティー中一緒にあれやこれやと立ち話をしていました。彼は現在、大企業の中枢で頑張っていて、陳腐な表現ですが、まさに世界をまたに掛けて飛び回っています。そんな彼との会話で盛り上がったトピックとして、巷で行われている様々なイベントやパーティーでは、どうやら同じ業界の方々で固まる傾向にあるよね、日本て。というものがありました。僕も以前からなんとなくそんな事を感じていて、あー、同じ様な事考えている人がいるんだな、と少し嬉しくなりました。

その後、恵比寿から鎌倉までの”帰宅”という長旅の中で、このトピックについて、あれこれと思いを巡らしました。例えば証券マンと写真家がアートや世界経済について語り合う。ベンチャー経営者と服飾デザイナーが互いの感性にインスピレーションを得る。普段は全く別の職業なんだけども、そういった交流が気軽にできるような場は、意外に少ないのかもしれません。普段自分が手がけている事と全く別世界の人間の話を聞くのはとっても刺激的だと思います。しかし、そういう機会が少ないと嘆いていても始まりません。ちょっとした集まりに顔を出すのでも、人脈をつくりに行くんだ!とギラギラするのではなく、面白い人達と会話をし、刺激を受けて感性を高めに行く、くらいの意識でいることによって、その場は激変するかもしれないなと思ったりしました。そう、要は「感性の交流」なんですよね!こういった交流が増えると、例えばクリエイティブにインスピレーションを受けたセンスのいいビジネスパースンが増え、或はビジネスをしっかり捉えられるクリエイターが増えたりしていいかもねー。というお話。

ま、結婚披露宴の2次会は別ですよ。お祝いなんでそういうコンセプトではないです。でも新郎新婦と話す時間は限られているので、折角なら自分とは違う何かを感じる人に積極的に話しかけてみるも面白そうです。

そうそう、原さんとは何かやってみようか、と企んでいます。


2012/09/19

ショートトリップ(箱根周辺)

遅い夏休みを利用して家族で箱根に一泊。湯の花満載の温泉に浸かってきて、充電バッチリ!カメラのデータを見直してみると、娘ばかりで、記念になるような良いスナップがほとんど無かった・・・あと、一眼レフとiPhoneの併用しようとすると、ついついiPhone主体となってしまう傾向にあり。

箱根彫刻の森美術館(晴れたり雨降ったり)雨の日の撮影は難しい・・・


箱根園ロープウェイ(雨と霧で何も見えず・・・)




芦ノ湖周辺(小涌谷の爆発でできた湖だそうな・・・)




おまけ・・・こんなのは沢山撮ってありますw

2012/09/16

散策の効用



花金(!)だった金曜日の晩、会社のパートナー達とわりと遅くまで飲んでいたのにもかかわらず、昨日は何の苦もなく朝早くに目覚めました。年のせいではないかと、ふとよぎった疑念を振り払い、「すぱっ」と飛びきて近所の長谷寺周辺を散策することにしました。

夜明け前にまとまった雨が降ったらしく、残暑厳しい日々の中で、しっとりと湿った路面に束の間の涼を感じる事ができて、ちょっぴり得した気分になれました。そんな環境で散策できたのだから、とってもリラックスできていますし、ゆったり歩いてい周りを観察する余裕も出てきました。

ほとんど人気のない通りを歩いていると、毎朝通勤で見慣れている町並みでさえまるで別世界(のように視えた)。鎌倉特有の古い家々はより一層趣の深いものに。頼りなく佇むカフェは、渋谷あたりで見かける、人工的で頑丈な建物に入居しているそれらとは違い、その存在に何かの意味があるように感じられて思わずシャッターを押してしまいました。↑↑↑

いつも何気なく視ているものでも、環境や心持ちを変えた視点で捉えてみると、以前とはまるっきり違う世界が見えてくる場合もあるんですね。「視る」とはそういう事なのでしょう。仕事上で解決すべき課題なんかもそうですが、写真を撮る、デッサンをする、文章を書く、という創作活動全てに通じる大事なことなのです。

じっくりと思索もできる散策って、走る事に懸命になってしまうジョギングよりいいかもなぁ。

2012/09/02

旅に出たいわけは?


photo credit: jcoterhals via photo pin cc

みなさん。こんにちは。

最近、ケルアックの『on the road』と、ジョン・クラカワーの「in to the wild(荒野へ)』という旅ものの小説を立て続けに読みました。

 前者は文庫本の分厚さが主張しているように、少々長いです。通勤電車の中での途切れがちな読み方では(ましてやPulseなどにも時間を使っていますからね)、描かれている高揚感をキープするのが少々難しかったです。登場人物が非常に多く、主人公が北米のあちこちをアグレッシブに動き回るスピード感についていくのが精一杯。しかし、次に何が起きるのかわからないという、旅というよりは「移動」による突発性・偶発性がこの小説の魅力なんだろうと思います。そういう風に読みました。

一方後者。むしろ展開はゆっくりと進みます。前者と同様に北米をあちこち動き回るのですが、移動手段は徒歩やヒッチハイクが中心であるし、また、主人公の心の軌跡を丹念に追っていくノンフィクションスタイルがそういった感覚にさせてくれたのかもしれません。映画とは随分と雰囲気の異なった展開(本来は逆ですが)は、既知の予定調和的感覚を良い意味で裏切ってくれて、むしろ僕を楽しませてくれました。こちらは寝る前などにじっくりと読みました。

2冊とも読んでみて改めて感じた事は、ストーリーはともかく、『旅(移動)は、良くも悪くも、大きくても小さくても、常に新たな刺激という副産物がついてくる』ということ。あらたな刺激は何かしらの気づきにつながります。それがインプットというヤツなんでしょう。

ネットや書物から抜け出したリアルで体験的なインプット。実際に触ってみて初めて伝わってくるような五感への刺激。そういった欲求が、旅への衝動とに繋がっているんです。今の僕はそういったインプットが乾きかけた状態なのかもしれません。

だから、ページに印刷された文字を、女々しく指でなぞるだけでは彼らの体験をモノにすることはほぼ不可能です。ましてや満足なんかできっこありません。そう、リアルな旅に出なければ!

因に明日。バックパックを背負って一日だけのプチトリップに出かけてきます。少しは乾きを潤す事ができるのかな。










2012/08/25

デッサンはベンチャー運営に似ている、かな。

みなさん。こんにちは。

今日(土曜日)は娘と絵を描きました。以前から約束していたのですが、なかなか実現できずにいましたが、やっと約束を果たせました。自分にとっても久しぶりのお絵描き。

もう10年位前でしょうかね。一時水彩とパステルを使ったデッサンに凝った事がありました。その時に揃えた画材を一通り持っていましたので、それらを押し入れの奥から久しぶりに引っ張りだしました。絵の具のいくつかは固まってしまっていましたが、筆の保存状態は意外にも良好でした。サイズもこんなに揃っていたのか!と自分でも驚くくらいのラインナップ。

下絵は娘の絵本を参考にして、僕が担当。鉛筆でデッサンしました。色を塗るのは娘の担当。娘はどうしても絵本と異なる色を使おうとします。最初は、「違うよ、こっちの緑だよ」とか注意を促していたのですが、「はっ」と思い直しました。彼女にはこの色に見えるんだな、と。大人の濁った目には見えない何かがあるのかな。という事で、何か聞かれたら「これがいいんじゃない」と答えるだけに留めて、あとはフリーハンド。出来上がりはかなり刺激的でした。(パパにとってはね)

絵を描くのってある程度時間がかかります。何を描くのか、という構想から始まって、下絵を描き、そして絵の具でベースを塗り込みます。乾くのを待って、部分的に足したり引いたりを繰り返します。4歳児は出来上がりを予想していないと思われるので、その時々の感覚で塗っていくのでしょう。脱線したりもします・・・でも、最後まで集中して取り組んでいるその姿を見て、僕も刺激を受けました。気付くと彼女の脇で自分の作品に取り組んじゃってました。

風情も何も無い事を言いますが、絵を描く過程は、まるでベンチャービジネスだなぁなんて思ったりしました。ある程度の下絵があって、あっち行ったりこっち行ったり。しかし確実に完成を目指して進んでいるところがね。

「こんな色もいいんじゃない?」ていう感覚を持つ事と、そういうアイデアが出てきた時に、「いいかも!」と感じられる感性が大事なんだよね!


「ベースと完成図」


2012/08/19

ゆったりとしよう@日曜日

みなさん。こんにちは。

いやー、いい天気ですね。最高です。相変わらず暑いけど、南北の窓を開け放てばゆるーくナチュラルな風が、時たまやってきます。冷房によって人工的に整えられた室温とは違って、風が通り過ぎたその瞬間にとても涼しさを感じます。

ところで、今日我が家は、妻も娘もいません。じじ・ばばの所に遊びに行っています。健全な男子であれば、「チャンス到来」とばかりに出かけたくなるところですね。サーフィンもしたいですが、最近は、自宅近くの由比ケ浜以外のポイントに入る気がしなくて、移動する気になれません。道も混んでるしね。

というわけで、今日は自宅でゆっくり過ごす事にしました。昨晩仕事帰りにDVDを3本借りたので、久しぶりの映画三昧の一日となりそうです。今回僕に拾われたストーリー達は、1)画家と庭師とカンパーニュ 2)ヒストリーオブバイオレンス 3)カサンドラズ・ドリーム。1)は朝一で既に見てしまいました。フランス映画です。小学生時代にお友達同士だったおじさん2人がメインで、かれらの関係を通して「近しいモノ(ヒト、物、事)」を如何にちゃんと見つめられるか、ということを改めて感じさせてくれる物語です。ユーモアもあって笑える箇所もありました。フランスの田舎暮もいいな、なんてね。2)はデビット・クローネンバーグとウィゴモーテッセンのコンビ。見たかった一本。3)はウッディアレンのサスペンスモノだって。こちらは偶然の出会いです。パッケージがイマイチだったけど目をつむって借りてみました。

午後の合間には、近くのカフェで本でも読もうかな、なんて考えています。こういう一日って、ほんと贅沢だと思います。みなさんは、どんな日曜日をお過ごしですか?


そうそう、この写真は妻と娘が通っている自主保育の会で育てていたもので、ついに先日収穫してきた野菜の一部。右のやつ、名前なんていうのかな?

2012/08/18

「Pulse」に嵌っています。


みなさん。こんばんは。

アーリーアダプターのみなさんは既にディープなユーザーとして活用されているかもしれませんが、今僕は、Pulse というニュースリーダーに嵌っています。もう毎朝の通勤時間のほとんどをこれに使ってしまっていて、Twitterと本を読む時間が無くなってしまっている程です。

何がいいかと言うと、タイトルとメインビジュアルで記事が一覧出来るところです。テキストだけよりも、多くのリストのなかから記事をピックアップするのが全く苦になりません。僕みたいにビジュアル好きにはもってこいです。特にArt&Designのジャンルなどは見ていて本当に飽きないです。一気に素早く世界のアートやデザインに触れる事ができる感覚は、とても感性を刺激されます。

メディアは、彼らの産み出すコンテンツを如何にユーザーに見てもらうかが重要です。そして、僕の様なユーザーは少なからず存在しているはずです。ですから、今後はブログやニュース記事の内容と関連ビジュアルのセット感がますます重要な関係になっていく予感がしまよね。ストックフォトはそのニーズに対応していく先頭打者であるべきではないのかな、などど考えていますが、海外ではすでに積極化している模様・・・

(関連記事)
人気のニュースリーダーアプリケーションのPulse、ついにウェブ版が登場(開発にはMicrosoftも協力)

2012/08/17

今のとろこは、『目の付け所がシャープ』では無かった件



photo credit: Funky64 (www.lucarossato.com) via photo pin cc


みなさん、こんばんは。


今日の経済方面のニュースは、リンクを貼ったロイターの記事に限らず、シャープのリストラ策がメインだったようですね。

シャープは短期資金確保を優先、資本増強「条件悪くコスト高」


内容については様々なアナリスト達が分析していますし、報道も結構詳しく出ていますので、どうぞググってくださいまし。僕の出番ではありません。まぁ、条件の悪い資本増強で進んで行かなくてはならないくらい、状況は逼迫していると普通に予想されます。

我が家の液晶TVもあの「亀山モデル」です。購入当時は「一番いいブランドを買ったぜ」と独りごちたものです。ほんの数年前にはイケてるテレビメーカーだった会社が、今や台湾企業に買収されてしまいそうな始末。隔世の感がありますね。昨今このような話はシャープだけではないですから、珍しくないと言えばそうかもしれませんが。

しかし、これからの日本では、こういったケースがさらにでてくる可能性は大いにありそうです。こんな状態から彼らがどう立ち直るのか、または立ち直れないのか。生きたスタディーケースが目の前にあるんですよね。リアルタイムで学べる事には価値があります。後々色々と検証されたケースをあれこれとビジネススクールで勉強するのも勿論素晴らしい事なんですが、ネット社会の今日では、直ぐに、それが例え80%の理解だとしても、自分のものにしてしまうスピード感も重要だと思います。

というわけで、是非、シャープな改革を期待しております。



2012/08/11

大陸ハードラー”劉翔"のオリンピック


photo credit: Robert Voors via photo pin cc


人にかけられる期待よりも、自分にかける期待がいい。

オリンピックはある意味怖い。二大会連続でスタートで失敗した大陸ハードラー劉翔。いやー、もうびっくりした。僕はなでしこの銀よりも彼が気になって仕方がない。あ、変な意味ではなくね。しかも痛めたのは2回とも同じアキレス腱。あの世のアキレウスもきっと人ごとではいられないだろう。

ゼッケンの件で言われている様に、人民の期待の重みに潰されたんだろうか。そうであるなら彼へ投げかけたい言葉はシンプルだ。「この失敗は他人のせいにすればいいよ」ということ。きれいさっぱり忘れて次へ進もうぜ。戦犯扱いにされる大変さは僕なんかの想像を超えているかもしれないが、そんな暴風雨の中でも、心の中では「それは、こんな重過ぎる重圧をしょわされたせい」にしてしまって、体内から出てきた変な塊を、コンビニの袋にでも詰め込んでその場のゴミ箱に捨てしまえばいい。彼自身の人生がまずい方向に行ったりなんかしたら、重圧をかけた人々が「溜飲を下げる」事だけしかこの世には生じない。それは何の意味も無い事。

と、まったくもって余計なお世話なんだけど、最後までケンケンでゴールした彼を見て、とーっても感動し、その後むくむくと湧いてきた老婆心というやつですのでどうかご容赦を。

劉翔という三国志に出てきそうな名前のこの男は、これからどんな人生を送るのか。とっても気になる出来事でした。


2012/07/22

半端なオーダーメイドの終焉


photo credit: caribb via photo pin cc

ツイッターで時々やりとりさせて頂いているNY在住の @munetakanycさん。NYのビジュアルライセンシングエージェンシーと契約したとのツィートが僕の目に飛び込んできました。

The Licensing Project

彼らが展開しているのは、様々なアーティストの作品のアーカイブから、その価値にあったプロジェクトに作品を貸し出すといったビジネスモデル。すごい作品の数々がアーカイブされています。他の仕事で制作したものもあれば、完全なオリジナルもあるのでしょうか。それぞれの作品の背景を知りたくなります。

このようなレディーメイドは、活用する側の感性こそ試されていると感じました。自分たちの思い通りのビジュアル作らせるということは、出来上がりに対してある程度安心感が得られますが、それは一方では自分たちの予想の範囲内にとどまるリスクもあります。制作する人々が「クライアントニーズを把握する天才達」という優秀過ぎる人々ばかりであれば尚更です。しかし、既に存在しているものに対しては、自分たちの影響は及びません。それがオーダーメイドでは永遠に獲得しきれない部分なのだと思います。クリエイター達の誰にも遮られない羽ばたく様なビジョンと、活用する側の鋭い感覚が一致する瞬間です。レディーメイドにはその良さがあるんです。

日本じゃあまりお目にかからないサービスですが、半端なオーダーメイドが支持されなくなってきたら(もうすぐそこかもね)、そして素晴らしいレディーメイドを使ってもいいんだ、というカルチャーが認められるようになってきたら、そのうち否が応でも必要とされるサービスです。


2012/07/14

クリエイティビティを高める5つの方法


  1. クリエイティビティを求めるのであれば、今すぐに普通の行動をやめなければならない
  2. 脳に流れてくるアイデアの捕獲率をあげる  
  3. 難しい問題に直面したときには、対象に対して心理的、精神的な距離を置く
  4. 自己批判のスイッチを切ること
  5. 朝起きたときにアイデアをメモすること

斬新な発想で、様々な課題を次々に解決していくクリエイティブ集団「IDEO」。この記事は同社躍進の立役者トム・ケリー氏がTEDxで語った要約。特に3番目には、日常的に共感できるポイントが多いなと感じます。

自分自身、ある課題にのめり込みすぎていると、感情的な部分で答えを求めがちになる傾向があります。そんな時、背後にほとんどの面で自分に似てはいるが、『エレガントなイケメン』という点で決定的に異なるもう一人の自分を立たせて見ます。そして彼の視点で考えみるようにすると、スッと冷静になれたり、何が問題なのかに気付いたり、グズグズしていたのにすんなり行動に移れたりする時があります。 まさに対象から精神的に距離を置いている状態といえます。

あと、近い感じとしては、いわゆる三上というやつです。考えている対象そのものには関係ないことに携わっている時にこそ、ふと良いアイデアが浮かんできたりします。僕にとっては三上の中でも馬上にあたるサーフィンをしているときなんかまさにその時。なんだか脳がとても創造的なモードになっている感覚が訪れる瞬間があります。そういう時って、良くも悪くも目の前の対象に集中している状態ではないのかもしれませんが、日頃考えている別の事が、形を変えて途切れ途切れに浮かんでくるんです。惜しむらくはサーフボードにまたがっている時にメモの取れるツールがあったらいいよね。それなりの市場がそこにあると思う!IDカードの様に首から下げる様なタイプのものとか。IDEO社あたりが開発してくれないだろうか。      

まぁ、集中しなさ過ぎでサーフィンが一向に上達しなかったりというマイナス面もありますが・・・  

因みにこの5つの他の項目はと言うと、⑴はあまり意識出来ていません。通勤路線を変えたり、旅に出たりかな?⑵はエバーノートのiPhoneアプリが大活躍中。⑷は是非実践したいです。⑸は早速取り組んでます〜

一度しかない人生。どうせなら、創造的に生きていきたいよね。

(参考本)
ちょっと前の本ですが、面白いです。


あと、勝手に慕っている外山先生の本。びっくりするほど共通する内容が書かれています。  



2012/07/08

コンテンツ制作支援サービス





つい先日電子出版EXPOも熱気の内に閉幕を迎えましたが、何かとにぎやかになってきたEブック界隈に関する記事です。文中に書かれている「アドバンス」という仕組みが気になりましたので考えをまとめておこうかと。

まず、「アドバンス」とは何か、どういう意味で使われているのか、記事本文から引用させて頂きます。
一方で、日本にはないシステムに「アドバンス」がある。これは印税の前払い金で、企画が通ったり、原稿にゴーサインが出た時点で一部が支払われるシステムだ。前払い金と言っても、もしその本が出版社が見込んだほど売れなくても、著者は返さなくていいお金だ。

出版業界では「プロの物書きを育てる仕組み」と言っていますし、一方アマゾンなどの立場からすれば、一部の作家だけを囲い込むような非効率なシステムと映る様です。しかし、これは様々なジャンルに横展開できる考え方だと思いました。事実僕が携わるストックフォト業界においても従来から存在している考え方ではあります。

インターネットの普及は、以前に比べて個人のクリエイティビティを圧倒的に世に出し易くしました。一億総クリエイター時代です。現実的には一億どころじゃないですけどこの流れはさらに加速するでしょう。個人の能力を活かす面白いウェブサービスもどんどん出てくるはずです。しかし、それらのほとんどは「発信」の側面が主体となっています。無限といっても過言ではない数のコンテンツが世の中に溢れてくることになるのです。かたやクリエイティビティを求めている者にとっては、広大な砂浜にしゃがんで、ピカリと光る一粒の砂を探すようなものです。果たしてこれは理想的な姿なのでしょうか?・・・・否!

この様な状況の中では、クリエイター同士は広大な砂浜の中で競争しなくてはならないのです。光り輝く一粒の砂になる為には、最も重要な「アイデア」は勿論ですが、「制作する仕組み」の確立がより重要になってくると考えられます。僕は、そうったクリエイターの悩みを解決するサービスに注目していますし、そんな事を手がけたいという欲求を数年前から持っていました。当時、ビジネスプランを携えて企業や投資家にプレゼンしに行った事もありましたが、"そんなもの金を払って誰が使うんだ?”という反論にロジカルに対応できませんでした。今になってそのビジネスプランを振返ってみると、自身が携わるマーケット(=市場規模が小さい)周辺にしか頭が回っていなかったのが良くなかったのかな。しかし、出版市場なども含め、コンテンツ制作者側のマーケットが砂浜化していくこれからの状況は、ある意味対象の規模が拡大していると考えても良さそうです。資金の提供、売れるコンテンツのプロデュース、制作の助けになる様々な関連情報データベースなど。これらのクリエイター向け制作支援サービスへのニーズの高まりは顕在化してきているのではないでしょうか。「アイデアの出し方」でさえもコンサルニーズが発生するでしょう。

なので、出版業界における「アドバンス」という"資金提供”の仕組みは、クリエイターの制作支援向けのキラーコンテンツになりえる要素満載です。思うに、提供側が従来の様な"投資"感覚でなく、良質なクリエイターを引きつける為の"サービス"と捉えられるような仕組みに出来るかどうかがポイントなのですけど。

例えば「アマゾンがアドバンスしている新人作家一覧」とかがあったら、僕ならクリックしてしまうでしょうね。アマゾンというサービスに信頼性があればある程、少なくとも光る砂の一群かもしれないという見当がつけられます。

個人のクリエイティビティを取り扱うウェブサービスの発達とともに、良質なコンテンツを産み出す為のクリエイター支援周辺の動向には引き続き注目していこうと思います。

2012/06/30

テレビについて



photo credit: *Seth via photo pin cc

夜遅く帰宅する。着替える。顔洗う。NAB(ノンアルコールビール)をプシュッと空ける。そして何気なくテレビの電源を入れる。

そんな時間に放送している番組に引き込まれることは稀だ。およそ数十分後、24時を回ったくらいだろうか。見ていた番組が一区切りする。ふと、あれ?今何見ていたんだっけ?と我に返る。

確かに疲れて帰ってきたばかりだし、ソファーに身を沈めてぼっとしたくなる時もある。しかし、たとえほんの数十分かもしれないけど、そんな時間を何年も積み重ねていってしまうのはとっても危険だなと思う。意味もなく、くだらない番組を見ている時間って、結局自分の大切な様々なモノを差し出してしまっているわけだし。

因に、つまらない番組を見ない様にする為に、我が家ではテレビそのものに『コットンのカバー』をかぶせるという対策をとっている。これってウェブサイトにおけるユーザビリティ向上の施策と逆の対策で、敢えて一手間かかるようにすることで、クリック(電源を入れる)という行為から遠ざからせる効果を狙ったもの。今のところ目的はそれなりに達成できている。更に普段はコンセントも外しているので実際は二手間かかっているので、節電にもなっておすすめです。

・・・かといってテレビの無い生活には踏み切れていない。そこは思考停止中・・・

2012/06/16

(再読)急に売れ始めるにはワケがある






「ティピング・ポイント」という言葉で有名な本。昨晩、本棚から何気なくピックアップして、パラパラとめくって見ました。線を引いたり、チェックしたところを振返る感じです。こういった「何気ない行為」には「紙の本」が向いているかもしれないと思います。電子書籍だと「意識して検索」する必要がありますからね。

それは、ともかく本書。「売る」「広める」「強化する」などといった何かしらの影響力を高める為にはどうしたら良いか?へのヒント満載です。

「何らかの感染現象現象において、全てが一気に変化する劇的な瞬間を、本書ではティピング・ポイントと呼んでいる」~本書より。
そのティツピング・ポイントを迎えるための3つの法則がこの本の最も重要なポイント。

  • 少数の法則
  • 粘りの要素
  • 背景の力


なぜ重要なのかという部分に繋がる豊富な事例も参考にして、しっかり抑えておきたいです。

それにしても、いくら仕掛けがよかろうと、結局はトライ&エラーを繰り返すことで目指す何かは実現できます。ティピング・ポイントを迎えられるかどうかも、最終的には「行為の継続」、つまり「やり続ける事」が重要なんだなと再確認させられました。

2012/06/15

サッカーという代理戦争


photo credit: Hamed Saber via photo pin cc

ユーロ2012の真っ只中のヨーロッパ。老若男女さぞかし盛り上がっていることでしょう。

私はと言えば、先日のロンドン出張でチャンピオンズリーグを本場で目の当たりにしてからというもの、急速にヨーロッパサッカーが気になり出した、いわばぽっと出でございます。これから嵌るかもしれませんし、このままフェードアウトしてしまうかもしれません。

しかしながら、今ここに、新たにヨーロッパサッカーファンが生まれそうなめでたい状況などお構いなく、彼の地では毎日毎日熱戦が繰り広げられていて、ヨーロッパ各国の皆さんのボルテージは常時レッドゾーンに突っこまされているご様子。特に、先日のロシアVSポーランド戦。ファン同士の場外乱闘は凄まじかったですね。ガタイのいい短髪の男同士のどつき合いは、テレビの画面を通して恐怖がずしりと伝わって来て、リアルな衝撃を首筋のあたりに覚えたのであります。何でも17世紀初頭のロシア・ポーランド戦争以来の因縁みたいな話もちらほら聞こえてきて、どれだけの年月根に持っているんだよ、と試合よりもそちらの方に気を取られてしまいました。  

しかし、ヨーロッパでは、陸続きの国同士が争ってきた時代が永く続き、僕ら島国の日本人にはなかなか肌で感じる事ができない緊迫した何かが、彼らの血の中に脈々と続いているのかもしれません。そう考えると、サッカーの歴史はそのままヨーロッパの争いの歴史とだぶらせても無理な話ではないです。

それにしても、サッカー以外にこんなにもナショナリズムを剥き出しにして応援するスポーツが他にありますか?少なくとも私は知りません。野球?なんだか子供のようなものですね。体が触れる激しさという点では、ラグビー?それもフーリガンを生む程の話はあまり聞きません。世界的普及度からみてもサッカー以外に思いつかないのが現状です。  

ロンドン滞在中には、EUでの首脳会議を中断してまで、プレミアリーグの決勝戦を首脳達が観戦していた様子が報道されていました。特にドイツとイギリスの両トップが仲良くTVに釘付けになっている写真は印象的でした。この時ばかりはオバマさんも後方で遠慮がちにしていました。恐らくギリシャとか深刻な問題を協議していたでしょうにw そんな話よりもサッカーの方が優先度が上昇した瞬間でした。

しかし、サッカーって実は人間の『争う本能』のガス抜き効果みたいなものがあって、ファン同士のいざこざはあるものの、もっと大きな意味では、国々の平和的均衡に貢献している重要な役割を担っていると考えられます。まさに代理戦争であり、形を変えた疑似的な国取り合戦なのでしょうねぇ。

面白いのは、当の代表選手達は普段敵国のクラブチームでプレーして稼いでいたりすること。「フォアザチーム」とか言ってね。勿論、それはそれ、と選手自身もファンも当然の事と受け入れています。贔屓のチームに敵国の代表が加入して活躍してくれれば、惜しみなく賞賛を送ります。だから本物の戦争には発展しえない仕組みになっているのかもしれませんね。

実際にマリウシュ・ヨプのような選手もいる訳で。 

これからは戦う国同士の歴史的背景なんかも頭にいれて観戦するのもいいなぁ。サッカーにはプレーだけではない奥深いものを感じます。面白くなってきましたよ!

2012/06/02

子供達と親達の本能




今日は、会社のメンバーの3家族総勢12人で由比ケ浜のビーチで遊びました。

奥様方が作ってくれたお弁当を食べ、あ、勿論シェアさせてもらいました。おいしかったなぁ。そして、プレゼント交換や、砂遊びなどを中心に彼らを大解放しました。男の子達はもちのろんで水際で大はしゃぎ。

大人同士のコミュニケーション、というよりは子供達が如何に楽しめるか、って方向に私達のマインドも自然と同調していきました。こうやって職場を離れればやはり親同士の集まりですからね。会社でのポジションとかほんと関係無くなってしまうものです。

ウチの子も、持ち前の半端ないシャイさを発揮し、最初は皆となかなか一緒に遊べませんでした。しかし、子供達ってほんとすごいですね。それぞれ初対面だったのですが、最後の方は、「君たち同じ幼稚園かよ」ってくらい普通にお友達になっていましたよ。
子供達は子供達、親達は親達。それぞれの本能が遺憾なく発揮された集いとなりました!

今日の集まりの当初の目的は逗子の花火大会見物でした。しかし、夕方には子供達も疲れてしまったこともあり、鎌倉の回転寿しを食べて解散となってしまったのは心残りだったなぁ。

皆を鎌倉駅で見送った後、我が家は再度ビーチに向かってお散歩しました。この時期の海岸近くの夜道はとても気持ちのいいもの。家族3人で手をつないで歌いながら歩きました。すると、逗子方面の夜空に大きな花火が「ドーン」と打上ったのです。それは、まん丸ないわゆる牡丹型と呼ばれる種類だったように思います。娘が指を指して「うぁー」と歓声をあげた瞬間、他の子供達の顔が浮かんでちょっぴり切なくなったのでした。ぐすん。

今度は山に行こうぜ!

芸術家のマーケティング感性



photo credit: DrPantzo via photo pin cc

昔のパリには、貧乏芸術家が集まるカフェに、ブルジョワ階級の金持ち達も競って集っていたそうですね。芸術家は絵を描いたり、物を語ったり、思い思いに過ごしていて、ブルジョワ達はそういった彼らを面白がって眺めていたそうです。

ブルジョワ(ブルジョワジー)という言葉の本来の意味はおいておいて、ここでは「金持ち階級」、という意味で使うことにします。

その空間は、互いに持っていないものを交換することで成り立っていました。ブルジョワ達は自分が経験しえない未知の経験をしている者達と接する事で、刺激を得、知見を拡げ、様々な欲求を満たしたのです。そして芸術家は芸術を続けていく為の将来の糧(お金やネットワーク)を得ていました。

金持ちが芸術家を育てるとか良くいわれる事がありますが、それは投資とか金銭的な側面だけではなく、こういった人間の本質的な欲求を埋めてもらえる関係の存在が根本的にあるということでしょう。

「わしは、これまで地位や金ばかり追いかけてきたが、本当はこんなどうしようもない事をもっとやりたかったのじゃ。この絵はそれを表現しとる。ここに、やっと手に入れたぞ」

と、カフェで買った絵を持ち帰った上品(そうな)紳士が、グラスを片手に彼の自室でその絵画を眺めながら、興奮気味につぶやく声が聞こえてきそうです。


だとすると、現在の芸術家達が、奇異に映るライフスタイルや発言、そして一見意味不明な作品づくりを追求している姿は、世界に数多くいる上品(そうな)金持ちの紳士・淑女達の「面白い」あるいは「羨望」といった様々な感情のニーズに答えるという観点から、相当『戦略的』であるわけですね。

一方、現在のソーシャル的なネット活用の普及は、自分たちの活動などを世界に知らしめる手段としては有効ですが、ある意味全てが「あー、それはだれそれが既にやってるよね」と、瞬時に陳腐になってしまう世の中でもあります。また、監視社会の強化で、文化や価値観の違い、モラルなどがある種の幅の中に収まってしまう懸念も考えられます。こういった風潮が、奇特な芸術家や、そんなスタイルを面白いと思う破天荒で人間味のある起業家が生まれにくい環境につながってしまっては、人類の大損失だなと思います。まぁ、そんな事気にかけない人々は沢山いるでしょうけどね。こんな心配をするなんて、大体僕自身が小さいんだよなぁ。あー嫌だね。

村上隆氏は、「芸術で評価されるのは『観念や概念』の部分」と言っています。それは芸術だけに限る話ではないと思います。ビジネスにしろ、何にしろ、新しい概念や観念を生み出す為には、周囲に迎合しようとする世の流れには、意識して避けてやるぞ、位でいる方が丁度良いのかもしれないな、と最近考えたりしています。うまく言えないけど。

ともかく、冒頭の、カフェにたむろする芸術家達の金持ちの紳士・淑女のハートをわしづかみにする、軽い言葉で言ってしまえば、「マーケティング感性」には学ぶべき点は多そうです。

そんな芸術家の生き様を書いた本がどこかにないかなぁ。

2012/05/24

ヴォーグの決断



photo credit: Helga Weber via photo pin cc


日本ではぽっちゃりな僕も、海外に行くと「太め」な方々に紛れることで「俺、これで全然問題ないじゃん」とある意味自信を取り戻すことがあります。というか欧米では「太め」の基準が日本の数倍も高そうですし、むしろ恰幅のよい人々が堂々としている姿が目立ちます。女性でもね。それはそれで僕の目には格好よく映ります。

しかし、日米でも最新のファッションに身を包む若い女性達はどちらかというと痩せ過ぎの方が多いように思います。

確かに太り過ぎは健康リスクが高まるので、どちらにせよ過ぎたるは及ばざるがごとしですから、バランスは大事でしょう。しかし流行の服そのものが、痩せている(むしろ痩せ過ぎな)体型でないと似合わないようなデザインになっているとすれば、どうしても服にスタイルを合わせることを選択する人々が多くなるのは防げません。

ですから、ヴォーグのこのようなスーパーな雑誌の取り組みが、モデルを目指す少女達とともに、彼らの最大のスポンサーであるファッションブランドへの警告だとちょっとだけ深読みしてみると、「さすがヴォーグ。もっとやれ!」と膝をたたきたくなる訳です。

しかしながら現実はそう性善説で動く訳ではありません。ましてやビッグマネーが動く業界です。合理的な思考に立って考えてみると違った見た方もできます。もしかしたら「ゆったりサイズ」のトレンドを打ち出す巧妙な戦略である可能性とか・・・

ま、それは、今後の誌面の変化を注意深く観察していくことでわかってくることです。

それにしても、無理なダイエットで得たスタイルで窮屈な服を着ることができても、同時に人生が窮屈になってしまってはつまらないですよね。

男性も女性も、相手のスタイル(体型や個性)にはもっともっともっと肝要寛容になっていいと思います!


2012/05/23

ロンドンいいね!




業界関係の世界的な集まりに出席するための出張で、ロンドンから昨日帰国。
仕事はまずまずの成果であったし、マネージメントのメンバーと色々話せたのは大きな収穫だった。英語力が課題なのは一向に改善されていないけど。でもまぁ、まだまだ伸びるぞと自分では思っている。

さて、ロンドン。
10年くらい前に本当に一瞬だけ寄った事ある程度だったので、今回が初めてのロンドンと言っていい街。そして、かなり気に入った。

その街を好きになるかどうかは、それはもうその人の肌感覚を信じるしかないわけだけど、海外に行くと特にその思いを強くする。今回のロンドンにしたって仕事ばかりで街をゆっくりとまわったわけでもないし、食べ物のチョイスはかなり外しもしたけど、とにかく住んでみたいと強く思った街だ。僕くらいの年になると落ち着いて、ゆっくりした所にいわゆる終の住処を求める傾向が強くなる。特にサーフィンなんかが好きな僕は「住むんならハワイとか最高だね」、なんて思っていた。しかし、ロンドンは何だか「刺激」を感じる街だった。ちょっと恥ずかしい表現を使えば「クリエイティブな感覚が刺激される街」・・・・・ぷっ。でも本当にそう思ったんだ。ただ、もっと良い表現が思いつかない。ごめんなさい。

ともあれ、何でそう思ったのかというと、「程よく都会で程よく多国籍」なところ。滞在したのがブリックレーンというバングラデシュ人や市場の多いエリアだったということもあるんだろうけど、都会風のスタイリッシュさと混沌とした賑わいが同居する部分に刺激を受けた気がする。ストリートが一本違えば、そこは完全に「異国」だったりするんだ。なんちゃってじゃなくてね。店も人もファッションも何もかも・・・。

僕は、例えば「自然と都会」といった異なる環境の両方に身を置いてバランスをとる事でモチベーションが上がる派なので、そういう意味でもこの街のそういったころが気に入ったのかも知れない。数回滞在したことあるニューヨークも似たところがあるけど、あそこは、そのスケール感を僕は持て余してしまう感が否めない。ちょっと疲れてしまう、とでも言うのかな。

人間って住居であれ組織であれ、少なくとも自分がいる環境に左右される生き物でしょ。だったら本人の目的にあったほうに流された方が断然いいし、望ましい結果を得やすくなるんじゃないかな。何もアートとかそんな話だけのものではなく、仕事だってこれからは着想がものをいう時代。そして、刺激を受ける環境が良い着想を生む土壌となるんだろうと思っている。

だから、「自分はどうしたいのか?」という軸に向かって自分の身を置くべき環境を能動的に選択していく努力が必要なんだろうね。それは、時々によって移り変わるものでもあるから、何歳だろうと、いつかららだろうと変化を求めても良いものだと思う。

ただ、歳をとってくると変化を作り出す事が億劫になってくるので、そこのところを突き破っていかなくては!


2012/05/14

Mother's day


photo credit: tanakawho via photo pin cc

今日は母の日。多謝!

実は、あれこれと書いたのですが、どれもしっくりこなくて全部消しました。ブログに書く内容としては馴染まないのかもしれませんね。

兎も角、今日みたいな気持ちを忘れずにいこうというわけで、シンプルではありますが、ここに感謝の念を示しておきたいと思います。

2012/05/11

効率化するのは何のため?



ハフィントン・ポストはほぼ毎日訪れるサイトの一つだ。移動中の英語の勉強にはもってこいだし、色々な意見に触れることができて刺激ももらえる。そんな新興メディアが素晴らしい賞を受賞した。

しかし、今回注目したのは同社がピュリツァー賞を獲得した事ではなく、400人の正社員を抱えているというところだっだ。

クラウドで記事を集めているのかとばかり思っていたからそれはとても意外だった。これは、我々ベンチャー経営への一つの選択肢を示していると思う。同社が雇用する大勢の記者や編集者は文字通り直接・間接的にコンテンツを生む人たちだ。コンテンツが勝負のサイトであれば、良質なコンテンツを生む人材の集まりはまさにプロフィットセンターだ。そんな人材への投資は、開発陣と並んでもっともっと促進していいのかもしれないなと思った。

「効率化」ばかりを考えていて攻められていないない状況からは、停滞か、悪くすると後退しか生まれない。一番まずいのは、各人の発想が小さくなっていくことで、得られる成果の幅も比例して小さくなってしまうことだ。

効率化や仕組み化はスケール化の為に存在する、ということを今一度強く認識する必要がある。つまりスケールした姿を具体的に描けなければ、仕組み化もへったくれもない。反対に、その先の姿がはっきりと具体的になっているのであれば、実現の為に必要な人的リソースへの投資は、むしろ積極的に打っていくべきではないだろうか。遠慮してはいけない。

「圧倒的に突き抜ける」という目標に本気で邁進していくなら検討してもいい課題だと思った。

そして、もう一点。同社には66歳のベテラン記者もいて、活躍しているという。ウェブサービスは若い人たちで運営しているイメージだが、良質なコンテンツを産む事ができる人たちが若者だけだとは限らない。ベテランであるが故の豊かな経験や知見を積極的に活かすことは、発想やコンテンツの層を厚くする。同社のそういった仕組みにとても興味を覚える記事であった。

2012/05/09

小さな自信を積み上げていくこと。



photo credit: ken2754@Yokohama via photo pin cc

ブログをほぼ日で書くと宣言して3ヶ月経ちました。

結果として3日に一回のペースを保っていたようです。脳がある行動を覚えて習慣化するのに最低3ヶ月はかかるらしいので、今が一つの目処ではあります。

余談ですが、3ヶ月=四半期というのは単に12ヶ月を4で割った数字ではなく、取り組んでいる課題の成果が出始めるかどうかの節目であったりして、人間にとってはそれなりに意味のあるものだったのですね。と今気付きました。

話を戻しますが、それでどうだったのかというと、何となくこのペースで書き続けられるだろうという小さな自信めいたものが身に付いた実感があります。今月だってGWがあって出だしのペースは遅いけど、その分ネタはかなり溜まっているので、書くに事欠くことはありません。要はタイムマネージメントの問題です。

この様な良い流れになってくると、本プロジェクトの本質的な目的である「自分の考えを論理的にまとめる力の養成」というテーマも、ブログを書く事で日々実現に近づいていると言えます。

今後の課題は、内容そのもの、構成力、展開力、表現力・・・の向上。ほぼ全てですが、あと、もっとユーモアも交えたいなぁ。文章にするのってわりと難しいです。それにしても、この3ヶ月はただただ「書く」ということに時間を費やしてきたわけですが、少なくとも書くということのハードルが下がったことは確かですね。心理的なハードルが下がるってことは、工夫や実験をしようとする余裕を生みます。ここから様々なトライ&エラーを経ることで課題をひとつひとつ克服していけばいいですよね。所謂PDCAというやつです。

城を支える石垣のように、小さな自信を連続的に積み上げて、確固たる基礎を作っていければと思っています。

※本エントリーは、一昨日にアップしたエントリーを誤って削除してしまったのでリライトしたものです。(内容が微妙に変わっている・・・)

2012/04/29

Think different



photo credit: Project FAV via photo pin cc

先日の日経新聞「春秋」の記事で
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▼そのひとり横浜の女子生徒は、出願した米国の大学のほとんどから入学許可が来た。高校の成績は悪くないが、抜群でもない。もっと試験の点が良い同級生が不合格なのに、この生徒は引く手あまた。言語機能に生まれつき障害があることが決め手になったという。多様な人材を大学が意図的に集めているからだ。

▼ハーバード大の入試責任者が、米紙にこう語っている。「客観基準は万能ではない。試験の点数や高校の成績表は、生徒の資質の一部を示すにすぎない」。考え方や行動の特性、知的想像力、対話力、社会意識などを、面接や高校教師の証言で判断するそうだ。一発入試の日本の受験競争とはずいぶん様子が違う。
(4月24日付日経新聞「春秋」より抜粋)
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この記事を読んで、真っ先に「Apple社のスローガン」を思い出しました。

Think different

なぜかというと、米国ではハーバード大学という最高学府でさえも、試験の点数評価といった画一的なものだけでなく、如何に多様な人材を集められるかという点を重視している点が重なったからです。異なる思考や行動特性を持った人を揃えることができれば、その組織なり集団は自然と「Think different」な形になるというわけです。

さらに、入試責任者へのインタビューから分かる様に、そういう人材を見分ける為の4つの軸(考え方や行動の特性、知的想像力、対話力、社会意識)にすごく共感しました。高度な教育を身につけていく基盤があるかどうかを見ているんですね。ハーバード大学が提供する世界一の知識や様々なノウハウが、ある種の能力に秀でている人々によって、それこそ様々な形に変換されていく。そこに存在する価値の捉え方が私達と根本的に異なるんだろうなと感じざるを得ません。

大体日本ではお題目が多すぎます。「個性を大事に」といったことは良く聞きますが、大学はテストの点数でしか評価しないし、企業の新卒一括採用などはその典型例かもしれません。中途採用にしたって人と違う事をアピールして評価される場面はそんなに多くはないでしょう。大学や企業は勿論、真の意味で「多様性を評価することは価値がある」という認識がもっと社会的に拡がってくれば、日本においても、Appleのような企業がどんどん生まれてくる気がします。

そして、この4つの能力は、幼少時から意識して行動し習慣化することである程度は身につけられるものだと思います。点数主義の義務教育では養われにくい部分かもしれませんので、家庭での取り組みが鍵となるでしょう。様々な事柄に関して家族で日常的に対話をしていく。皆が自分の考えを話し合い、時には評価をし合う。そういった感覚を習慣化していくのです。私の家庭でも子供達とはそういうような文化を築いていけたならいいなと思います。

そういう意味での家庭力の向上は、政治改革だ何だというよりも、これからの日本の社会の変革のポイントとなってくるのではないでしょうか・・・

こんな記事を書いていてなんですが、どっぷりと日本的教育を受けてきた自分自身の思考・行動・習慣の変革がまずは先ですし、視野を拡げる努力をしていかなくてはならなぁと強く思いました。