2013/11/10

フィリピンを襲った台風ハイヤン(Typhoon Haiyan/Yolanda )寄付情報など。

他の記事を用意していましたが、今日は、先日フィリピンを襲った台風の被害が酷かったこともあって取り急ぎ寄付関係含む情報を集めてみました。

私のようになんちゃってサーファーであっても、パワーのある波が期待できる台風の接近には心踊るものがあります。しかし、これはあくまでも自分の趣味に限定されていることです。台風にはそういった側面もあれば様々な被害ももたらす側面もあるのです。

だからこそ今回のようなスーパータイフーンによる甚大な被害の行方が気になって仕方がありません。

今のところ情報を気にして寄付するくらいしかできそうにありませんが、できることはしておこうと思います。

関連ニュース

台風30号で「死者1万人」と警察幹部 フィリピンのレイテ島で甚大な被害

'Yolanda' kills at least 10,000, official says
Official: Over 10,000 feared dead in Typhoon Haiyan

寄付関連
ウォールストリートジャーナル
サウスカリフォルニアパブリックラジオ(色々詳しく載ってます)

Typhoon Haiyan/Yolanda: How to find loved ones, donate and volunteer (FAQ, video)

(追記)因に私はこちらに記載されていたリストの中からフィリピン赤十字を通じて寄付を実行いたしました。

Wave for water
きれいな水が寄付できるようです。
Super Typhoon Haiyan // Disaster Relief


こういった災害発生時の世界の対応は素早いです。災害対応に対してきちんとした仕組みがなされているのでしょう。

最後になりますが、被害にあわれた方々の一日も早い回復と亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

※今日久しぶりに日本にいる娘とSkypeしました。そして彼女もパパと一緒に祈ってくれました。






2013/11/08

シンガポール現地法人の設立に関して

やっとこの時が来ました。
以前、CNETさんから取材頂いた内容が先日記事になりました。

写真素材の「PIXTA」がアジアへ進出--シンガポールに拠点


いつもながら写真写りの宜しくない私ですが、頑張って笑顔を作ってみました。

そして、「内田ってシンガポールで何してんのよ?」という社内外及び家庭内からの疑問に見事答えて頂き、胸のすく思いでございます。ありがとうございます。

思えば今年の5月末から東京とシンガポールの往復の毎日。家族は勿論、会社のみんな、ひいては取締役会の皆様からもどんどん存在を忘れられそうになりながらも暑さにまけず闘って参りました。

この記事で少しは私の念を感じてもらえたかもしれません。早々に妻にもLINEで送りましたよ。ええ、こちらから催促するまで返事はありませんでしたがね・・・

さてさて、浮かれてばかりもいられません。こちらではまだホテル暮らしで、土日の区別のないせわしない日々を送っております。しかしそれは私のこれまでの起業経験やベンチャー創業に携わったりしてきた刺激的な日々を思い出さずにはいられないのです。

私みたいな、いつまでも夢を見ているようなとっちゃん坊やな人間をこのような業務に配置してくるとは、会社側も適材適所という意味をちゃんとわかってますね。

それにしても、家族に会えない寂しさや,老体の体に少々堪える日々ですが、40代後半でこんな経験をさせてもらっているからには「大器晩成すぎ」の名に恥じない"再"成長=結果を出す事で恩返ししていかねばならないと硬く誓っている次第です。

そんなわけで、これからアジア方面で展開する社業含む様々な活動において、拙い私の体験の中から少しでもみなさんに還元できるような事柄をちょいちょいと書いていければと思っております。

宜しくお願いします。


2013/09/30

『走ってるんです』


photo credit: Lekke via photopin cc 

 最近、といってもここ3ヶ月くらいですが、概ね週に2、3日は朝ジョギングしています。アラフィフの私にとってこんなに長い間続いているのは初めてです。き、軌跡ってやつでしょうか。

 自宅の周辺や、今みたいに海外にいれば宿泊しているホテルの周辺を30分程度くるくる走ります。特に海外に限らず見知らぬ街を走るっていうのは刺激があって凄くいいですねぇ。

 ジョギングをすると何ともスッキリするんです。身も心も軽くなるといいますか。血液の循環が良くなるからなのでしょうかね。一日の仕事にも好影響。瞑想なんかとセットでやると集中力も高まって「俺って超仕事ができちゃう人間?」なんて錯覚に陥ることもしばしばです。

 この「スッキリ感」というのが継続できている一番の原因かなと思っているんです。例えば「ダイエット」というとてつもなく高次元な目的を設定してしまうと、途端に続かなくなります。因にこれって世界中の人々が既に証明済みですよね。

 最近はスタイリングもオシャレですし、そんなところも楽しんじゃおうと思っています。結果少しでもスリムになれれば一石二鳥。走る楽しさっていうのが最近少しわかりかけている気がしています。
 
 このように、楽しみながらも継続することで本物の習慣に取り込んでできたらいいなと考えているのですが、あまり声高に言うのもまだまだはばかれる状況ではありますです。正直。

 走り続けてみて、次の何かが見えて来たらその時にまたブログに書こうと思います。

2013/08/13

クアラルンプール最終日

今日はチェックアウトしてからミィーティングをこなす。こちらのフォトグラファーのスタジオにも伺う予定だ。ワクワクするね。

只今9:30.ちょっとデスクワークをこなしてから発つとしようか。

というわけでこの部屋からの眺めを記念に残しておこう。

北側の窓にはツインタワーの上部が望める。指輪物語の「二つの塔(The Two Towers)」の中にいるみたいな気分になった。



それから今朝始めて気付いたのだけど、こちらの窓は東向きだった。未明にかけて雷の閃光がシュッシュッと走っていたが、夜が空けるにつれてその凶暴な黒雲が太陽からそそくさと逃げ出し始めていた。



Kindle以前と以降の読書方法が様変わり

最近、本の読み方が変わって来た感じがしている。最近といっても昨年末から位だ。振返ってみるとKindle以降ということになる。

「◯◯以降」。。。
とある世界で、突然これまでの流れを変えるような事が起ったり、或はそういった人物が登場してきた時に使われる表現だ。例えばミステリーの世界で言う「綾辻以降」というように。

で、どう変わったかというと、ビジネス関係中心だったものが少し文学やミステリー、SFといったジャンルに軸が移ってきたようなのだ。

なぜKindleが私の読書パターンを変えているのかと考えてみると、その一つは過去の文学作品が無料で読めるというところから。森鴎外、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、柳田独歩・・・昔に読んだ本もあればこの10数年まったく目にさえ触れる事もなった書物の数々。日本という私の素晴らしい故郷で創作された、美しくも素晴らしい物語の数々が思い立ったら直ぐに読む事ができるのだ。しかも無料で。

夏目漱石の「坊ちゃん」や「こころ」が改めてそういったきっかけを作ってくれた。古典が新しい方向を示してくれるなんてなんだか不思議だけども。

そして、彼らから影響を受けた作家などの関連で、現代の作家にその範囲を拡げつつ、元々好きだったミステリーやSFの世界を掘り下げているのが最近の私の読書傾向である。ミステリー/ミステリー(SFあり)/純文学(詩も含む)というサイクルが今の私にぴったり嵌ったパターンとなりつつある。(あっ!言ってみればこれフリーミアムだね。)

で、一つ思いついたことがあるのだけど、非凡さを目指すビジネスパースンは、金太郎飴しか産まないような巷に溢れるハウツー本などに向かうのはもうおやめになって、SFとミステリーと詩を読まれたらどうかと思うのだ。

どういうことかというと、SFは究極の想像力を求められるしミステリーはかなり緻密な構成力と仕掛けを必要とされる。事業運営にも通じる感性を養えるのではないだろうか。

そして純文学や詩だ。これはまだまだ自分の中でよくわかっていないのだが、読み始めて見ると、例えば同じ”花”を謳ったものであっても、詩的な表現というのは、本当に少ない言葉のフレーズでこちらを唸らせたり、感動させたりしてくれる。これはビジネスでいうところの差別化されたサービス力への展開力(と言ってしまうとかなり浅はかな発想なのだが)に繋がりはしないか?

詩を読む力というものが再度脚光を浴びると知人の写真家が言っていた。まさしくそんな感じがしているんだ。そもそも私自身がそれを形ある文章にして説明できるレベルにはいないのだが、私の直感という光が強くその周辺を照らし始めている。

SFで想像力を養い、ミステリーで緻密な展開方法を学び、詩的に差別化していく。

KIndle以降の新しいビジネスパースンが考慮にいれるべき読書方法と言えまいか。

#まぁ、ほんとうに思いつきであるので、私自身はあまりそんな事考えずに読書してます。あ、そういえば上記に上げた綾辻以降といわれるきっかけとなったのが「十角館の殺人」という作品。これ本当に寝られなくなるくらい読み耽ってしまう作品でした。ミステリーファンではなくとも必読!









2013/08/11

クアラルンプールはメシが美味い

仕事で今日から3日間マレーシアはクアラルンプールに滞在する予定。

そこでまずは食について。タイトルに書いたクアラルンプールに限らず、シンガポールも含めて現在の行動範囲内で出会っている「食」が、私にはピッタリ合っている。

昼も夜も大当たりだった。昼に食べたのは名前を忘れてしまったが、何か中華麺にあんかけのようなモノが乗った代物。うまかった。そして、夜頂いた「ポークヌードル・スープ」も絶品だった。

とくに夜頂いたものは約10RM(約300円くらい!!)。多分今感じている”すごうま感覚”はこのコスパ感も考慮に入れる必要があるとは思う。

ひとときの旅人ならいざ知らず、その国で生活し労働する為には、パワーの根源である食事が合うかどうかはこの上なく重要な要素だと思う。

今回のマレーシアラウンド。幸先の良さを感じさせるスタートである。

#あ、数編ですが少しずつ詩を読み始めました。因に、内部的にはまだ多分なんにも起っていないような気がしますが、それでも少しずつ気長に続けてみようと思っています。



2013/08/09

詩に触れる

詩。

私は詩を殆ど読まないし嗜みもしていない。しかし、ちょっとしたきっかけで読んだこちらのブログでは些かショックを受けた。著者は大庭亀夫さんという方。

引っかかった部分を引用すると、
言語のもつ絶対的な情緒や美、意味、その言語の誰が聞いても精密に同じ意味と情緒で受け取れる「かたち」を感受する能力が頂点に達するのは、だいたい16歳頃から22歳くらいまでで、冷たい言い方をすると、そこまでに詩を読む能力を身につけられなかった人間が、そのあとでいくら物語の才能にめざめて巧妙な仕掛けをもった物語を書けるようになっても、努力全体がなんだかぱっとしないものに終わるのは、文学の歴史にはいくらでも例があって、言語と人間のあいだに介在する事情を考えればやむをえないことでもある。
であるらしく、更に、
英語の世界では・・・・詩が読めない人間には思考そのものが出来ないのは常識であると思う。
と締める。うーむ。当ブログをもっと読み込むとその理由等も書いてあるのだが、とにかく詩が読めないと思考できないとカテゴライズされてしまうというのは聞きずてならないではないか!

ならば何か読んでみようと、彼にTwitterから恐る恐るおすすめを聞いてみた。すると以下のような名前を上げてくれた。いい人だな。

岩田宏・田村隆一・岡田隆彦・鮎川信夫・吉増剛造・西脇順三郎・・・・・

え、誰も知らない。聞いた事も無い。速攻Kindleで探した所(海外赴任中という事情もあるので)、なかなか彼らの詩集なるものはみつからなかった。で、結局以下の本をダウンロードしてみた。


まぁ初心者にありがちな選択だね。実は上記で上げて頂いたお名前は入っていなそうなのだが、とにかく読んでみることにする。大庭氏が知ったらきっと幻滅するであろうな。

ともかく、私はもはや詩を理解できないと言われる年齢をかるく超越している。まぁ詩を読むのが人生初とは言わないけども極端に経験は少ないし、多分ここ数年は手に取った事すら無い。

そんな私が改めて詩に触れてみる事で、内部で一体何が起るのか!起きないのか!目下そんな変化を楽しみにしているところなのである。決してデジタル積んどくにはしないぞ!

#それにしても詩集ってKindleでは手に入りづらいのね。やはり紙で読むべきものなのかな?



"オンラインミーティングの功罪"って程でもないけど

Skypeでのオンラインミーティングは非常に便利だ。

特に海外に出張している時(今でしょ!:もうこれはやめた方がいいかな)などはもはや必需品だ。それは否定しない。

しかしながら”過ぎたるは及ばざるが如し”。状況によってはそんな便利なものも機能しずらい場面もあったりもする。Skypeが使えるが故、ついつい多くのミーティングに呼ばれるがままに参加してしまう。下手するとSkypeに捕まえられているかの如く、終日PCに向っていることになりかねない。

まぁ、終日というのはオーバーだが飛び飛びで設定されていても、日に3件も入っていればもはや他のアポはなかなか入れずらい。これでは出張に来ている意味が薄れるというもの。本末転倒だ。

そして、様々なタイプのミーティングに出てみて、Skypeに適していないミーティングもやっぱりあるんだなとも気付く。例えば参加人数が多い場合や、ブレスト的な場なんかがそうだと思う。ちょいと訳知り顔で意見を言おうものなら、場の流れを”完全に”ストップさせてしまうわけだ。なんと言っても全員が耳をそばだてる事になるからね。そういった経験を幾度と繰り返していると”上の方面”と言われる職種についている私ですら発言しづらくなってくる。

勿論、オンラインミーティングを機能させる為の改善策はあるはずだ。ハード的な改善や参加者の取り組む意識改革もそうだ。他事例を勉強してなにがしかのルール作りも一考。しかし、そういった改善を今の所少数派であるところの出張対象者(特に自分)にベクトルをあわせてもらうのは、現状ではちょっと無理があるかもなと思う。

というわけで、改善案としてはまずは現状の不都合を回避する為に、出席対象のミーティングの取捨選択をすることから始めている。また、自分が主催するミーティングから少しずつ改善を仕掛けてみるのも良いかもしれない。

そんな試行錯誤は、逆の立場になったときは相手の事を考えてミーティングを設定できるし、今後会社の海外展開がもっと加速し、多くのメンバーとのオンラインミーティングがより重要になってくるステージにおいては、きっと役立つ時もくるはずだ。

#あ、出張したときの家族とのコミュニケーションに関しては、Skype様はそれはそれは役に立っていますです。はい。

2013/08/07

『英語でプレゼン:あまり緊張しなかったワケ』

ここシンガポールにも、日本で言うところの写真家協会のようなものにあたるカメラマンの団体が複数存在している。

昨晩、そのうちの一つの会合で、自社のサービスの紹介についてプレゼンをさせてもらうという機会を頂いた。しかも、「公称130人」という人々の前で。勿論英語で。

内容はあまり詳しく言えないんだけども、要は「当社でストックフォトに取り組みましょう!」的なもの。ここでは内容がどうってことではなく、「英語でプレゼン」という初体験が私にとっても刺激的だったので書き留めておこうと思った次第。

47歳で「初体験」ってなかなかないよなぁと思ったりもするのだが、考えてみればそれは自分次第。小さな事でも意識していれば初体験って結構見つけられるものかもしれない。要は意識できるかどうかだ。

なんておっさんの説教じみた話はどうでも良いのだけども、「英語でプレゼン」なんて規模の話は、意識しようがしまいが本当に本当に初体験だったのである!!

というわけで、「いやー、緊張した!」・・・『そうだよねー』と皆さんの賛同を得たい欲求は真夏の積乱雲のようにぐんぐん盛り上がってはいるんだけど、実は正直そんなことはなかった。

何故だろう?と自分なりに分析してみると、それはやっぱり「英語」だったからだ。ちょっと矛盾するかもしれないけどそうなのだ。振返ってみると2つの小さな発見があった。

1つ目は、つまりネイティブレベルではない自分の英語にはあれこれ考える「邪念」が入る余地がなかったということ。変にウケを狙おうとか何か必要以上に良く見せようとは思わなかった。いや思えなかった。なので、伝えたい事を伝えるという意識にフォーカスできたし、繰り返し行った事前のロープレをしっかり実行するだけという非常にシンプルな心理状態になれたというのが主要因だったのだろうと考えている。

そして、会場について自分の番が近づくにつれて頭に浮かんだのは「日本語が下手な外人が一生懸命プレゼンしている姿」だった。仮に彼をジェームスとしよう。

「みなーさん。こんにーちはー。僕、ジェームスですん。よろしくですん。僕のpresentationはがんばりますん。」(※英語表記の部分だけ凄く英語的になる感じね)

といった感じでプレゼンを始めるジェームス君だ。私自身はそんな彼をみればむしろ「がんばってすごいなー」と思うたち。だからこの会場の中にもきっとそんな人々がいるはずと考えた。すると「少なくとも自分みたいに考えてくれる人達に伝わればいいじゃん」という意識が全面に出て来て、結果として開き直れたということが2つ目だ。

そういう意味では、例えば、色々な手心を加える自由度の高い日本語で挑む「結婚式のスピーチ」などの方があれこれ考えてしまって結果として緊張してしまうもの。

だから、これからは何らかで登壇する機会を得たら、①必要以上に格好付けない。②ジェームスを心に思い浮かべる。の2つを強力なツールとして活用してゆこうと思っている。

「英語でプレゼン」・・・なんだか癖になりそうなくらい嵌ったかも。

#ただ、緊張しなかったという事実とプレゼンの善し悪しは全く別ものであるということを付け加えておかなければなりません。











2013/07/15

「気が合う」という直感

 シンガポールローカルの方々とは毎日毎日とにかく沢山会っている。今のところ「人と会って話す」ということが業務の中心といっても過言ではないくらいだ。

 ローカルの人であるから、当たり前だけどコミュニケーション言語は英語だ。私の英語はネイティブレベルにはほど遠く、むしろブロークンなので正直相手に少々歯がゆい思いをさせていることだろうことも自覚している。それでもなんとか最低限のコミュニケーションは取れていると自負出来ているのは、英語レベルの低さを認識しているが故の「事前準備」に努めているからだろうか。

「気が合う」というポジティブな反応
 さて、そんな非ネイティブな私でも、彼らと話を始めて間もなく"ピピッ"と何かを感じる瞬間がある。それは「この人、気が合いそうだな」といった直感めいた感覚だ。普段のミーティングではあまり好き嫌いといった個人的感情を持たない様に気を付けているので、ネガティブな感情はそもそもあまり表出してこない。しかし、こういったポジティブな反応はそれこそスイッチが入ったように目の前が”パッ”と明るくなる瞬間が間々訪れるのだ。

 そんな時、大体相手も同様の感覚を持ってくれているように思う。そうでなければ「気が合う」って思えないものだろうし。

同様の環境、体験という仮説
 これはよく考えてみると不思議な現象だ。人間はその相手と「気が合う」という感覚を直感的に感じ合える具体的な能力を持っているのだろうか。

それが同じ国に住んでいる同じ言語を使う者同士だけの話であればコミュニケーションの取り方等がなんらかの作用をしていそうだけども、私の場合、英語圏、しかもパーフェクトな会話ができていない状態でもそうなのだから、これはあのスピリチュアル!な方面の領域なのだろうかとチラっと考えたくもなる。

このテーマについては、ググってもあまり確信をついた解には辿り着けないのだが、わりと皆さんも感じることが多いと思うので、実際は心理学的、動物生理学的にはきちんと説明できるんだろうな。

まぁ、テレパシーのようなアレで片付けてしまっても誰にも迷惑は掛からないとは思うけども、「自分の頭で考えよー」ってことで何故なんだろうってちょっとだけ考えてみた。

それは、例えば育ってきた環境や、人生の中での体験、経験してきた数々の事柄等において、「気が合う」と感じた相手とは、どこかに共通点があるのではないかということである。ちょっとした会話の中での相手の反応やあるいはふとした表情などから、そういった共通点を無意識のうちに察知して自分が共感できる部分として取り入れている結果なのではないかな、と。
 
具体的な話として、つい先日、初めての打ち合わせの時に気が合うなと思った方と、後日たまたま車に乗せてもらう状況になった時があった。そして、仕事以外の話をつらつらとしたのだが、思わぬ彼との共通点を見つけたのだ。あまりにもプライベートな話なので内容は書けないけども・・・

直感に従う
 まぁ、答えの是非はどちらでもいいのだけれど、いずれにしても、このような直感にはどんどん従えという僕の内なる声が盛んにアドバイスしてくる。

現状、仕事方面では全体最適というより、良い方向をより良く伸ばすことで突破口を見いだそうと指向しているので、そういう意味でもそんな声には素直に従おうと思っている。

 それから、そういった感覚の鋭さがもっともっと増して且つ精度を高められるようになるには、心身共に常にクリアな状態を保つよう努めておく必要がありそうだ。何せスピリチュアルなアレかもしれないからね。


 ということで、瞑想をちょくちょくやっている今日この頃。10分程ただただ目を瞑って座っているだけだけど、集中力が高まる感じがしている。おススメですよ。

2013/07/10

『夜眠れない者は哲学者であれ』

先週末、相棒が一時帰国してからというもの、日中の仕事以外は毎日一人で過ごしている。

私の根本的な性格から言えば、若干辻褄が合わない事なのだけど、不思議と人恋しいといった気分にならないのだ。(マジですよ)
一日の仕事を一通り終えるとホテルの自室に籠って本を読んだりネットに向ったりいて過ごしている時間が殆ど。(マジですって)

しかし、そんな有意義な連続した時間の中にも「合間」というちょっとした瞬間が存在している。読み耽っていた"じゅんぶんがく"小説をベッド脇のサイドテーブルに置き、ふっと一息ついたときなんかがそうだ。そして、そんな時わりとこれまで考えていなかった様々な事柄に考えを巡らせる瞬間が、ゆらゆらと霧が立ちこめてくるようにどこからともなくやってくるのだ。

例えば、娘の事なんかを考え始めたらもう大変だ。大体堂々巡りで最終的には心配事で脳内が充満してしまうから、これはある程度の所で切り上げなければならないテーマ。他には仕事や会社のメンバーの事、自分でも興味深く思える自信の生い立ちや、家族や友達や隣近所の人々のこと。あとはやっぱり世の中の事。これからどうなるんだろうとかね。

そして、くだらないところでいうと、シンガポールに来てからというもの、特に外見的なアジアローカライズが急速に進んでいるんじゃないの?との評価を頂く事が多くなってきたこともあり、これに抗うにはどうすべきかなど戦略を練ったりしている。・・・ほんとくだらないね・・・更に対策も見つからないという・・・

そう。考えるといってもこのレベルなので、ヴィトゲンシュタインばりにもっと深遠な何かを追求したほうが良いのではないかと思い直し、折角の時間だしと色々と頑張ってみることにしたのだ。しかし、そうすると数分も立たないうちに電気を付けたまま寝てしまうというオチしか得られない。或はお腹を出したまま。

で、ここで何が言いたいかというと、眠れないとお嘆きの諸氏へのアドバイスの発見である。それは、寝る間際に解決可能そうな「現実的」なことを決して考えてはいけない、もし考えるならば非現実的なものにしなさいという事だ。

例えば「哲学とは何か」「バンパイアとは何か」といった対象が高度であればあるほど効果的といって差し支えないだろう。すると瞬時に思考の壁にぶち当たるはずだ。

そこだ!!!大事なのはその瞬間。その決して越えられない壁こそが実は眠りの誘発地点なのだ。つまり思考が壁にあたって漂っているだけでどうにも抜け出せない状態を意識的に作ってやるわけ。私と同類の凡人であればあるほどその時点でほぼ間違いなく思考自体を諦めてしまうはずだ。ましてやベッドの中だからね。結果として、そんな無駄な努力するより寝てしまえ、という展開につながってゆく。

どうだろう。かなり論理的展開ではないだろうか。論理哲学論考にまさるとも劣らずだ。

そんな高度な技術を会得した私は、一人でいても眠れないということがほぼなくなった。

2013/07/03

日系外食企業が日本ファンを増やしている


 こちらシンガポールの街を徘徊していると、否が応でも日本の外食企業の勢いを感じることになる。各々の駅に併設されているショッピングモールには、他のチャイニーズ系に比べるとやや控えめな佇まいの日本食レストランが必ずと言って良い程存在している。更に「Japanese Resutaurant Comming Soon」という類のサインが内装工事中の外壁パネルに施されている物件を見かけることもしばしばだ。

 この勢いは現実を見ないことにはなかなか伝わらないのではないだろうか。経済発展の果実を狙って多くの日本企業がアジアに参入しているという事は、日本のメディアを通して知識としてはあったものの、ここまでの「ラッシュ感」とは思わなかった。こちらに来てみて実際に体感したことで、さしずめ記憶としての知識がリアル知に変換された感じだ。本当にこの地域は経済的に成長しているのだ。

 それらの店を覗いてみるとどこも概ね繁盛しているように見える。入っているお客さんは現地の人々が大半を占めている。彼らが快活にテンポ良くしゃべっている中国語を耳にすると、何故かこちらまで景気が良い雰囲気になってくる。言葉のテンポって大事だなとも思う。

 そもそも飲食店は地元の人々に支持されてこその商売。その様な視点でアジアに進出している日系の店の繁盛振りを考えてみると、そこには日本でのあるがままの姿を押し付けるのではなく、現地の人々の目線を意識しつつ、日本の良さも決して失わない程度の絶妙な現地化(ローカライズ)が施されているのではと想像している。それは何も味などのコアな部分の変更ではなく、客へのちょっとした対応、メニュー構成、店舗づくりなどの部分においても詳細に考えられているはずだ。それらは日本の店舗と比較してみると見えてくるかもしれない。こういった点は私たちのビジネスにおいても大いに参考になるのでもう少し観察をすすめていこうと思っている。

 そして、そんな日本食を美味しそうに食している人々を眺めていると、彼らの日本食への共感が、延いては日本の文化や日本的サービスを受け入れる素地の拡大につながっているように思えてならない。それは、同じアジア市場で頑張っている日本人としても光栄なことであるし、何より日本と東南アジア市場との親和性が高まるようで、この地域に対する期待感も私の中で同時に高まってくるのを感じるのである。

 東南アジア市場は、このように現地の人々の胃袋をがっちり掴んでいる逞しい日本の外食企業が道を開拓してくれている。私達はその後に続く存在として更に道を拡げ、そして先にも延ばせるような役割があるのかもしれない。私達の事業活動を通して現地の人々にも富をシェアし、そしてまた日本食を食してもらえるという循環が作れたら本当に素晴らしいと思う。

 ウェブサービスの成功ポイントとして、コミュニティやサポーター、ファンを作る事が重要だと言われているが、それは”国”という単位についても同じ事が言える。そういう意味で、日本企業が「日本ならでは」を武器に海外で成功するポイントの一つとして、私は「日本ファンを増やす活動」をあげたいと思う。

 自社サービスだけを一生懸命売り込むだけではなく、「日本という国のファン作り」をしているという意識での振る舞いが、結果的にその国において自分たちのサービスが浸透する為の基礎づくりに繋がってゆくのではないだろうか。それは、私達一人一人の行動にかかっていると思う。

さぁ、現地の友人をどんどん日本食レストランに連れ出そう!

2013/06/22

『小津安二郎監督:「晩春」を見ました』

小津安二郎監督作品の「晩秋」を先日の出張帰りの機内映画で見ました。

実は小津監督の作品を初めて観たのですが、いや、これは噂に違わぬ素晴らしい作品です。どんな映画かもわからずにただ見始めたわけですが、徐々に徐々に作品の中に入っていけました。まず、僕が住んでいる北鎌倉が舞台だったこともあります。冒頭から北鎌倉駅や周辺の風景が差し込まれるカメラワークに「お、お、お」といった感じで引き込まれてしましました。

それに、年頃の娘と父の関係を軸に展開してゆくストーリーにも自分の娘の将来がダブったりで、更に感情的に同調しながら見る事ができたのもそんな感覚を増したのかもしれません。

清々しいまでのシンプルな構成と演出ですが、それでも登場人物の心情や全体を通した情緒がしっかり伝わってくるという優れた作品だと思います。小津監督の他の作品も是非見てみたいと思いました。

ほら、現代の映画やドラマってどこか演出が過剰だと思いませんか?特に演技に。僕はそう感じる事があるんですよね。ちょっと食傷気味です。

実は続編5作目(!)というハリウッド超大作アクションの某作品を往路の機内で見たのです。ですから余計にこの2作品の対比が印象深く残りました。

「お粥とお漬け物」VS「"メインはステーキ"のフルコース」の対決は「お粥」の圧勝となったのでした。

※といいますか、バルセロナから出したハガキがまだ届きません。もうすぐまた海外出張に出てしまうというのに・・・

2013/06/16

「初めて海外から『葉書』を書いてみた」

約一週間にわたる今回の出張も最終日を迎えました。業務的ミッションについては期待以上の成果を持ち帰る事が出来そうで大満足しています。

そして、久しぶりに良い意味で「海外で上がる」という感覚を得ることができた事も特筆すべき点です。「上がる」→「発想や行動を変える(新しいものを取り入れる)絶好の機会」的なことを前回エントリーでも書きましたが、今回はまさにそんな感じです。それはBarcelonaという(人、気候、食べ物、街・・・において)素晴らしい土地が少なからず影響していると思います。この感覚は忘れずに持ち続けたいと思います。

そしてそんな影響からか、初めて海外から「葉書」を書いてみました。メインは娘宛なのでオールひらがなです。同行した女性スタッフから海外に行くと友人に必ず葉書を出しているという話を聞き、考えてみるとe-mailやチャットなどのツールはコミュニケーションには便利ではあるけども、大切な人と「記憶を共有する」という点では後々まで物理的に残される葉書のほうが優れているよなと思いました。で、触発されて書いてみた訳です。恥ずかしながら初めて切手や葉書を買う行為も何気に面白かったです。

一枚の葉書が、娘と一緒にいつかこの地を訪れることになるきっかけになるかもしれませんしね。(そうあって欲しい!)

これまで、そういった「心」をあまり持ち合わせていなかった自分ですが、これなども小さいことではありますけど、海外に来たからこそ気づけたことと言えます。

というわけで、東京や鎌倉、シンガポールでもどこにいても、感受性を豊かに保つよう心がけてゆこうと改めて思った次第です。あと、実際の行動もね。

ちょっと余談ですが、「これはすごいチャンスなんですよ!」とスタッフに誘われてその存在を初めて知ったこちらのイベント。僕は終ぞ行動に移せませんでしたが、ネットで調べてみると本当にすごいんですね。こちらではそれなりの年配者もガンガン楽しんでいる様です。いつか絶対!

Sonar festival

我々世代でも大好きだったあのPet Shop Boysも出演していたそう。(今では大御所扱い・・・)

海外事業:始めの一歩について

当社では海外事業が急ピッチで進んでいます。つい先日、英語版サイトもリリースしました。

リリースに先立つおよそ半年前から、進出国を含む事前リサーチをまずは役員間で進めてきました。そして、最近では役員以外のメンバーの海外出張もどんどん増えてきています。良い流れです!

そんな折、現在僕はコンテンツの調達チームとスペインはバルセロナにやって来ています。業界関連のイベントCEPICへの出席の為です。

こちらでは、彼らと一緒に行動を共にしていて何だか良い兆候に遭遇することができています。例えば食事の時など、自然と会社の話題などが中心になっているのですが、当然海外視点の話が盛り上がります。そして、その熱気というか流れが日本の会議室で話している時と少し違う空気を感じる事が多いのです。どちらかというとよりポジティブな議論に繋がっていることが多いようです。

それは、きっと知らない海外の土地に来ていることで、僕らの脳が新しい刺激を受けて活性化していることが影響しているんじゃないかと思うのです。何より自分自身がそう感じています。

例えば海外旅行に行くと、良く日本では買わない服をつい買ってしまったりすることってありますよね。それは「海外かぶれ」と一般的には否定的な意味の言われ方をしますが、僕はこれ自体はある意味悪いことではないなと考えています。むしろ停滞していた発想や行動を変えられる良い機会になっているんじゃないだろうかと。

だから、服を買ってしまう、という行為はしないよりもよりもした方が良い。そして後に「やらかした」と感じてしまうこともそれ自体はプラスの経験を積んだんだと捉える方がしっくりきます。変な服やモノでも感性に響いたら迷わず買ってしまえばいいんですよ。そのうち、以前は気づかなかった自分に似合うスタイルが見つかるかもしれません。いや、その様な行為の繰り返しがむしろ最適なスタイル作りに近づいているということだと考えられます。つまり海外に行って「上がった」瞬間の状態を大切に活かすべきなんですね。

インターネットを活用したウェブサービスに国境はないと言われます。しかし、現地の国を肌で感じる事が出来なければやはり「何か」がズレたままになってしまうものです。コンテンツ自体は言わずもがな、サイトに表示されるテキスト一つとってもそうですし、もう少し大きな視点で言えばUI含むデザインなんかにも少なからず影響してくるはずです。

ですから、まずは関わる人達が現地に赴いて肌で現地の事情を肌で感じ、その地にかぶれてみて、色々な議論をしたり、何か冒険してみることです。そしてそれらの経験をフィードバックするサイクルを回していければ、徐々に最適な方向が見つかってくるんじゃないでしょうかね。自分に似合う服を見つけて行く作業と同じで。

「まずは上がってみること」を恐れるな!です。

2013/06/01

National Museum of Singapore (シンガポール国立博物館)

同僚が一旦帰国したので、来星後初の休日は一人で過ごすこととなりました。こんなことはこの数年なかったのでちょっと楽しんでしまいました。

Fort Caning Parkというシンガポールの歴史に触れられる公園をひと周りて、National Museum of Singaporeに行ってきました。 ここは、歴史に焦点が充てられている博物館で、ラッフルズ上陸の遥か昔の14世紀から現代までをストーリ仕立てで追う事ができます。前のエントリーで紹介した「物語 シンガポールの歴史」を読んでいたので、ある程度の事前知識を持っていた分、色々と気付きがあったりで多くの知的な刺激を受けてきました。

勿論、第2次世界大戦で一時日本が占領した時代もあって、この時代についてはすこし複雑な気持ちになったりもしました。若干思考が止まってしまうのは、自分が無知だからでもあるので、それなりに自分の考えが持てる様、機会を見つけて学んでおこうと思いました。







その後は、立ち並ぶ大きなショッピングモールを眺めながら、シンガポールの目抜き通りであるOrchard streetをぶらぶら歩いてきました。

とあるファストファッションの店では、4−6歳向け女の子娘向けの可愛い服をあれこれ見ていたら、なんだかちょっぴり淋しい気持ちになってしまい困っちゃいました。

一人で知らない土地を歩き回り、気の向くまま店を覗いたり、立ち止まって人々の動きを眺める。。。何とも自由で贅沢で、精神的にも充電ができた一日でした。

今度は是非家族と一緒に訪れたいです。


2013/05/28

Win-Win-Win

仕事でシンガポールに来て丁度一週間が経ちました。

すこし慣れて来たのでやっとブログにも手を伸ばす余裕ができてたところです。今年はこちらに長めの滞在が増えそうです。因にFacebookで繋がっている方々には周知の通りですが、今回行動を共にしているのはピクスタの創業時からのメンバーの一人であるおかんぴー氏です。僕ら2人でアジアマーケット開拓の初動の重責を担っているわけです。

もちろん本社の強力なバックアップがあってこそ思い切って活動できているのは言うまでもありませんけど。

根拠なき自信
「重責」と書くと偉そうなのですが、事前準備もそこそこにやってきたので日々のてんやわんや感は否めず、どうひいき目に見てもスマートに仕事を進めているとは言えません。それでも、まぁ、根拠無き自信とでもいいましょうか、目指すべき目標は達成できると信じています。そういうただならぬ空気感が僕たち2人には存在しているんです。こういった自信はあまり細かい事を考えすぎていてはなかなか生じづらいでしょうね。そういったタイプではない僕ら2人だからこそ、土台をつくるはじめの一歩を担当するには適切な人選であるかな、とふと考えたりしています。

なので、この慌ただしさの記録が後々きっと懐かしむべきドタバタ物語として語られるものになるかもしれません。うーんこれは貴重な記録じゃないですか。がんばります。

スタンフォード・ラッフルズ
ところで、その国を知るにはまず歴史からというわけで、行きの飛行機の中から「物語 シンガポールの歴史」という本を読み始めました。同国の歴史の流れをざっくり把握するにはとても良い本だと思います。そんな本の冒頭に、幸運にも今の自分にとって非常に重要であり刺激を受けた箇所が冒頭にありました。

それは、あの東インド会社のメンバーとしてこの地に始めて上陸したトマス・スタンフォード・ラッフルズの目的とそれを実現するための姿勢のあり方です。

同地に赴任した当時、彼の知人にあてた手紙に「我々の目的は領土ではなく交易です」という件があります。そして、その目的が達成される過程で、『シンガポールの旧所有者、新所有者、新住民の利害関係全員がシンガポールの植民地化から利益を得ていた』といった状況が実現されたのです。

この仕組みを同書の中では「Win-Win-WIn」と表現しています。もしラッフルズが交易という目的をはき違えて国土を自分たちのモノにすることに専念してしまっていたら、人々も集まらず、したがって富も集まって来なかったはずです。

これは僭越ながら、PIXTAが掲げるPIXTA WAYにダイレクトに通じる言葉でもあります。僕らがこれから取り組む課題にしても自分たちがけが優位に立つことばかりを考えていたら何一つ実現できないのは火を見るより明らかです。

現在のシンガポールの驚嘆すべき発展を眺めていると、その後の指導者達にもこういった精神が少なからず受け継がれているのではないかと感じられます。

初心忘るべからず
そして、この年(47歳)になると「初心」というものを意識する機会が非常に少なくなります。しかし、今まさにそのチャンスが訪れました。このプロジェクトの成功の鍵はこの「Win-WIn-Win」という意識を持ち続けられるかどうかにに尽きると思っています。ラッフルズの思いに習って、僕らなりの「Win-Win-WIn」を実現していきたいと思います。

※因にこの記事はマレーシアのSelangorという地で書きました。アジアは深いです。

2013/05/04

"Twitter回帰中"

 ここしばらくなかなかブログに手が伸びていませんでした。
 
 何故その気にならなかったのか?正直に言うとすれば、ブログや情報発信/収集ツールの扱いについてここのところの環境の変化にどうもついていけていない、といった感覚が僕の頭の中にこびり付いていたからです。
 それはまるであり地獄みたいなものでした。あがけばあがく程、"ど壷"に嵌ってしまう感じです。更に仕事では海外業務が急展開。特にアジア地域を中心としたインプット・アウトプットに自分の軸を大きくシフトしてゆく必要があるのですから尚更です。

ツール疲れ
 そして、個人的には、"Google readerの終了"が、ボディーブローのようにじわじわと効いてます。僕の周りではそんなに話題にはなっていませんでしたが、永きに渡り情報収集の基盤にしていただけに、そのダメージは予想以上に大きかったのかなと思います。

 そんな中、どうしたら良いだろうかと、PulseGnosyのような様々なニュースアグリゲーションサービスやソーシャルメディアを触ってみてました。しかし、そのうちなんだか急に疲れてきちゃったんですよね・・・これって、情報の扱い方に悩んでいるというより、ソーシャル疲れならぬ"ツール疲れ"といった状態だと言えます。情報の洪水の中で溺れて苦しんでいたのにやっと気づきました。もう少しで溺れ死ぬところでした。

Simple is best
 そんな状況を経て、やっと一念発起。一旦、使用ツールを最小限に減らして必要な情報だけにフォーカスしてみようと思い立ちました。欲張ってあれにもこれにもアンテナを貼っみたところで、大事なテーマが深堀出来ていなければ何の意味もありません。僕みたいなものぐさ君は、「え、本当にそれだけ?」というくらいシンプルにしなくちゃいけないんです。習慣化するには極限まで単純化しないとね。

Twitter+Blog
 そこで、一体どういう形が自分に合っているのか。僕なりに様々な側面から検討してみました。その結果、こちらも暫くおろそかになっていたのですが、ここはやはりTwitterが一番マッチしているんじゃないかなという結論に至ったのです。

 判断基準を大まかに言えば、①情報の収集&発信の両方に優れている。②国内外のユーザーとも同時に繋がることができる。③フォローを変更することでいつでも自分メディアに修正できる。という3点が決め手でした。
 
 そして、このプチスランプの間でも、知識として取り入れた事、発信したい考えは沢山あります。また、海外を意識して英語でブログを書く事もずっと考えて来ました。そういった文章は必然的に長めになります。ですから"ブログ"はこれまで以上に重要なツールだと考えています。

 というわけで、当面Twitter+BLogを武器として磨き上げていくことに専念し、海外を意識した自分なりのインプット・アウトプットの形を作り上げてゆこうと思っています。

え?Facebook?これについて考え出しますと今度こそ本当に溺死してしまうので、今はそっとしておいてください。

2013/03/10

やっぱり海も好きです:I love the sea as well!!

鎌倉は長谷の海エリアから、北鎌倉の山エリアに越して早くも5ヶ月が経ちました。

昨日、久しぶりに由比ケ浜海岸に行ってきました。今年の正月にサーフィンして以来およそ3ヶ月ぶりの海です。天気も良かったですし、最高に気持ち良かったです。

冬から春への季節の変わり目。この瞬間を長く待ち焦がれていたからでしょうか、僕はこの時期にふっと暖かくなる海岸が真夏よりも好きです。食べ物を狙う鳶から砂浜の貝殻まで、全てが満面の笑顔一色に染まっているように感じます。

一緒に行った娘も大はしゃぎでした。そんなスナップです。


こっちが海か。A house led us to the beach.

いいねー!Wow!

天気も最高! A wonderful day.

娘も久しぶりの海で大はしゃぎ! My daughter aslo gamboled. 

やっぱりサーフィン最高! Surfing is awesome!




2013/03/06

「Look West & モザイクコミュニケーション」


photo credit: hepingting via photopin cc今日は先週訪れたマレーシアについて。

元マレーシアの首相マハティールさんは「Look East」というコンセプトを掲げ日本の集団主義と勤勉さを学ぼうとされました。そしてそれから30年近く経過した今、実際にマレーシアを訪れてみて感じたのはむしろ「Look West」ではないかと・・・

同地にはほんの2泊しただけで、しかも訪れることができたのは首都のクアラルンプールと近隣のある都市の2カ所ですから、この国の本質に触れることができたなどということは決してありません。しかし、仕事柄会う事ができた人々を通して、自分にとってはわりと興味深い経験ができたのは確かです。

そんな旅程の中で僕が一番強く感じたのは、シンガポールもそうでしたが、この国は宗教観が異なる多民族国家(マレー系、中華系、インド系、他)であるということ。外見、習慣、生き方・・・全てが異なります。そんな人々が一つの国の中に共存しているという点にものすごく影響を受けました。

ある方にお話を聞いたのですが、例えばニューヨークなどは「メルティングポット」などと表現されて人種が融合しあって生活しているけども、こちらは人種同士がモザイク状に存在していると。これはどういう意味かというと他民族同士は一見混じり合っているように見えるけども、決して解け合っているのではなく、それぞれのコミュニティはしっかりと個別に存在しているということなのです。

これって、実はインターネット世界の本質では?と直感的に感じました。世界をフラットにしているインターネットは、今のところ現実的には人種の融合までは実現しません。しかし世界中に存在する様々なリアルコミュニティをオンラインを通して縦横無尽に行ったり来たりすることは可能です。そしてそんな活動を通して新しい価値を産むことこそが本当に有意義な活用方法と言えると思います。

そういう意味でも、宗教という決定的に価値観の異なる人々の共存を成立させている「モザイク」という仕組みは、これからのインターネットコミュニティの重要なコンセプトになってくるのではないか、と思いました。(はっ!そういえば"モザイクコミュニケーション"って会社ありましたよね!!!今更ながらこれってすごいネーミングですね。)

そして、今後、特にデジタルクリエイティブ面において、そんなスキルを持つ彼らが大活躍するポテンシャルをひしひしと感じます。なぜなら、僕の別のブログでも書きましたが、クリエイティブ分野ではコミュニティーを通して自分のシンクタンクを持つことが非常に重要だと思っていまして、それは、(早速使わせて頂きますが)このモザイクコミュニケーションスキルによって構築されていくのかもしれないと感じたからです。

あと、モザイクコミュニケーションに長けている人々の特徴として「言語力」が高いことは忘れてはならなりません。オリジンの言葉に加えて英語をデフォルトで操る人の割合が高いですし。これはインターネット世界では相当に有利です。

デジタルクリエイティブ分野では、こういった国々から突出したクリエイターがどんどん登場してきそうですね。

2013/02/28

シンガポール&マレーシア(1)

約1週間に渡るシンガポール/マレーシアの弾丸出張1stステージも今日で最終日。  仕事の内容については早いうちにまとめておかなくちゃ。

それにしても、これからはアジアだ!と東京では良く聞いてはいるし、知識上はそうだよねって思っていたけど正直実態はあやふやだった。しかし、今回実際に訪れてみてその一端を体感できた事の意味は大きいと思う。

出張前、会社のパートナー達と話していても、メディアや人から仕入れた情報だけに頼っているだけでは現実感に乏しい会話にしかならなかった。しかし、実際に見る、触る、人と話すなどしてひとたび共通の経験をしてみると、それらが急速に当事者の意識として共有されて、現実的に活きた会話となっていく。リアルに感じる事がこんなにも大事なんだと改めて実感されられた一週間だった。

この出張中にCold Playを良く聞いているのだけど、その中でも特に"fix you"という曲にの一節で、"if you never try you'll never know"ってパートに深く頷いているのであります。(ま、曲中では"love"についていっていることなんだけどね)

アジアの魅力、ポテンシャルに関して感じた事はまた書きます。

2013/02/16

Matt Austin, a photographer from England.(追記あり)


この写真は、いつものように何か面白いビジュアルないかなといった感じで、気の赴くままにサイトを次々と渡り歩いていて目に留まった一枚です。

それはMatt Austinというイギリスの写真家の作品でした。彼のサイトを訪れてみると、撮影した時の背景が詩のような文体で書かれていて一層興味が増しました。

この被写体の男性は、かつてイングランド北部で大学教授をしていた人なのだそうで、今はイングランド西南部のとある街の道端で、このような雰囲気を醸しながらワゴン暮らしをしているのです。地元では記事にもなったと書いてあるから、ちょっとした有名人なのでしょうか?

そういう知識を得て、改めてこの写真を眺めてみると、最初に目に留まった印象と違ってくるからやっぱり写真て不思議だなぁ。はじめはビジュアルそのものに引きつけられたのですが、「この爺さん、どういう人生を送って来たんだろう・・」と、いつの間にか被写体そのものについて考え始めていたりします。

一枚の写真がきっかけとなり、遠く離れた島国に住む僕なんかが、この人の人生に思いを馳せることになって、それはそれで、目に見えない何かを伝えてくれる写真が確かに存在するんだなと思います。

ま、リアル過ぎないレタッチテイストの効果なのか、僕にとってはあくまでも他人事のような安心感の中で眺められているのですけども。他の作品も是非覗いてみて下さい。

これからも、自分の感性の網にひっかかった「おっ」てやつを紹介していけたらいいなと思っています。

(追記)
しかし、こんな安穏とした見方してちゃダメだな。もっとザワザワしたものを積極的に受け入れないと・・・

2013/02/09

ビジネススクールの戦略


あるビジネススクールでは、企業派遣と自費で学んでいる生徒を分けて別けて教えているクラスもあるらしい。そこに通っている方から聞いた話なので、それはある程度正しい情報だと思われる。

どういうことかというと、前者の生徒は総じて会社から派遣されているという意識がどこかにあるらしく、真剣さに欠ける人が多いのだと。そして後者はやはり自分の金で学びに来ているからか真剣さの度合いがかなり高い、という前提だ。そして、ビジネススクールの特徴として、教授が一方的に教えるのではなく、様々なディスカッションが主体で進行していくから、生徒達の熱量の違いがそのままクラスのクオリティに反映してしまうという考え方らしい。(そのクラスがそういう趣旨のもからだけかもしれないけど)

まぁ、わからないでもないけど実際に経験していないから何とも評価しづらい。ただ、もし自分が企業派遣の生徒だと仮定すれば、ある一定の時間をそこで使うわけだし、なにより自分の仕事に役立つ内容なのだから相当真剣に取り組むだろう。だからそういう基準で強制的にクラス分け別けされるとしたら「えー、あっちのクラスで熱く熱く議論したいよー」と、多分納得がいかないと感じるはずだ。

それはそれとして、なぜスクール側はそういった反発を受けながらもクラス分け別けを実行するのだろうか。少々興味を持ったので考えてみた。

企業派遣生だってスクールの運営上は大切なお客様だ。むしろ毎年定期的に生徒を送り込んでくれる大のお得意さまかもしれない。それをわざわざ「意識の高低」でクラスを分ける別けるなんて、もし企業側が聞いたらどんな反応をするだろうか?

しかし、彼らもビジネススクールだ。おそらくそんな企業や僕のような生徒の反応は想定内だろう。ということはそれ以上のメリットがあると考える他はない。

まず、クラス別けの効果として考えられるのは、冒頭にも述べたような前提に立てば、後者グループの方が前者に比べて発展的な議論の場になり易いというのは普通に想像できる。そして、そのような状況でカリキュラムを終えた生徒は、間違いなく身に付いている度合いが企業派遣グループに比して良い結果を得られそうだ。

一方、もし一緒くたにした場合は、中途半端な議論に終始する可能性が高く、結果として凡庸な成果しか得られないということにもなりかねない。

この点から言えば、全体が凡庸になるのは避けたいので、もし人数が少なかったとしても最高の学びを得た人々を輩出することにフォーカスすべきだ。なぜならそうやって最高の学びを得た生徒らは、卒業後に現実のビジネス世界での活躍が期待できるからだ。

ポイントはここだ。そうなると彼らの優秀さの一因がそのビジネススクールにあるのではないかという評判が彼の周辺のあちこちで立つ事になる。それはスクールにとってとても重要だ。ものすごいPR効果だしブランディングの一因となる。

従って、ビジネススクールの創出すべき価値は「ビジネス界における優秀な卒業生」、ということになる。そういう卒業生を輩出していれば、そういう評判を構築できていさえすれば、スクールの評価は一層高まるものとなり、結果、企業側もその評判を頼りに派遣を続けるという読みがあるのではないだろうか。ハーバードの卒業生は確実に母校に価値をもたらし続けているしね。

というわけで、この「生徒のバックグラウンドによるクラス分け別け」という施策は、価値創出の為には、同等に対応しないこともあるよ、といういわばトレードオフに基づいたものだったのだろうというのが僕の仮説だ。

※「分ける」と「別ける」の違いを今日は意識する記事となった。考え方のベースは、元々同じだったものを"分ける"のか、別々のもものが一緒になってまた"別ける"、のかということらしい。だから今日は"別ける"を採用した次第。

2013/02/07

「読書会を振返ってみて」

photo credit: susivinh via photopin cc

先日、読書会を終えました。
想像していたとおり、とても有益な時間となりました。

当たり前の事ですが、同じ本を読んでも人によって様々な考え方、捉え方があります。それらの視点について互いに議論するのですから面白くないわけがありません。言ってみれば未知との遭遇です。

そんな読書会で有益だと思ったポイントを振返っておきます。

・アウトプットを意識した読み方になるので、否応無く集中して読むことになる
・参加メンバーそれぞれの考え方を知る事が出来る
→メンバーの違った一面を知ることができるのは興味深い
・自分が感じたことと異なる意見を聞ける
→結果として知識、知見が拡がることになる
・本の内容をまとめる力がつく
・内容についての議論をすることで、本の理解がより一層深まる
事実記載内容を暗記しているところが何カ所もある

最後に主観的なものですが、メンバーと間に一体感みたいなものを感じることができました。それはきっと同じ体験をしているからだろうからでしょうか。

そして、今回は何よりメンバーが良かったのかなと思いました。日頃目指すべきものが共通している謂わば同志のようなメンバーとであるならば、より白熱した議論になることを請け合います。ただ、初めての人達との読書会もそれはそれで緊張感があって楽しそうですね。

学びも多いですし、何と言っても体験そのものがエキサイティングです。是非次の機会を作りたいと思います。

2013/02/02

「ビジョナリーカンパニー2」で読書会

今度、会社で読書会なるものをやる。

私としては初めての経験。表面的には「分厚い本を読むのがたいへんだー」なんて言っているが、実はかなり楽しみにしている。これまで本を読んでも殆どが自分の中だけでしか消化していないし、たまにアウトプットと称し感想などを支離滅裂な文章でブログに書いたりするけど、それも殆ど誰にも読まれていない寂しい現状。

同じ本について、自分が感じたことを他の人々と語り合えるなんて、とても刺激的だろうなとあれこれと妄想が膨らんでいる。

それもポジティブなメンバーとのセッションになるから、より良い刺激と学びが得られることだろう。

というわけで今回採用されている本がこちら。


古いよね。と侮るなかれ。経営にとってはかなり刺激的な内容だ。著者も言っているように時代を超えて活用できる示唆が満載だと思う。

ただ、この本かなり分厚い。僕の場合、通勤途中がメインの読書時間ということもあり、持ち歩くのは不便だ。リュックに入れていてもバッチリ存在感を感じる。

Kindleで出ていないのがちょっと残念だな。

安西水丸さん

こんにちは。

こちらのブログを更新しました。
「STANDING OUT from the crowd.」〜安西水丸さんとの15分間

ラジオから聞こえてくる柔和な語り口や、ほのぼのとした作風とは対照的に、戦略的な思考を持ちとても鋭い方だという印象を持ちました。

2013/01/24

次なるジョブズ。

シリコンヴァレーが認めた次なるジョブズ:ジャック・ドーシー」ってWIREDの記事に僕の心がざわざわさせられた。


ジャック・ドーシーとはiPhoneのイヤホンジャックにカードリーダーをはめ込むだけで、だれもがカード決済を行う事ができるサービスを提供している「Square」社のファウンダー兼CEO。

つい昨日読み終えたばかりの MAKERS―21世紀の産業革命が始まる にも紹介されていたので、その存在は僕の頭の中で直ぐに繋がった。

何がざわざわさせられたのだろうか。恐らくこの求道者のような、己の確固たる価値観を持ちながらも世俗的な成功をおさめているタイプの人間に、非常にコンプレックスを感じるからだろうと思う。

憧れの対象に比較して、自分の欠落する部分を埋めようとするときに起る感情だ。それも埋めようがないほど大きい存在。

なりたいのになれない存在。なろうと望めば望むほど世間の喧騒に翻弄されるばかりでますます遠ざかってゆく・・・あーあ。

それにしても、Twitterで(Twitter!!!) 大成功しているにも関わらず(これは実情を知らない一般人の目線かもだけど)、さらに新しいビジネス、それも決済業界という巨大なマーケットで革新を巻き起こす様なサービスを興して再び成功する。もうケタが1000個くらいはずれている。彼はこれから一体どこまで上ってゆくのだろう・・・

そんな記事だったのだが、取り敢えず特に印象に残った部分を備忘録的に引用しておく。
いま彼らが夢に描くのはドーシーの下で働くことだ。PayPal創設当初の幹部で有望株のキース・ラボイスも、SquareのCOO(最高執行責任者)に就くことにしたのはドーシーがいたのが大きな理由だと語る。「CEO兼創設者としてするべきことは3つある」と、ラボイスは言う。「戦略的に考える、デザインを推し進める、テクノロジーを推し進める。その1つに長けている人なら、ごくごく基礎的な会社をつくることができる。大成功している人はたいてい、2つに長けている。だけどジャックは、ぼくがシリコンヴァレーで出会ったなかで唯一、3つすべてに長けている。一流の戦略家であり、一流のデザイナーであり、一流のテクノロジストなんだ」。
これからケタ違いに成功する創業者に必要な3本の矢はこれなんだね。


ところで、自分の心にコンプレックスが起る要因をもっと深堀していこうと思うのだが、とりあえず眠いのでまずは一旦寝てしまおうかと思うんだ・・・明日の為に!

あっ、わかった!これだ。この淡白さだ。求道者になれないのは・・・


2013/01/23

Landscape by GOTO AKI


久しぶりにフォトグラファーのGOTO AKIさんに会い、ランチを共にしました。

かれこれ5年振り。様々な経験を経て更にカッコいいフォトグラファーになっていました。 彼は、以前の未熟な僕と正面からつき合ってくれて、色々な面で助けてくれていたのでした。(まぁ、果たして今の自分がちゃんと成長できているかどうかはさておき・・・ )

5年の空白を埋めるには小一時間のランチは短すぎましたが、これからまた色々始まる予感がするなぁ。

そうそう。写真集を出したんだそうです。

2013/01/21

FFFFOUND!

相変わらずインスピレーションを貰っているサイト。「FFFFOUND!

紹介されている作品は、どちらかというとイラストレーションが多いんだけど、個人的にも最近はそっちが好み。絵を描くのがとにかく好きな娘と一緒に良く眺めているサイトの一つ。

2013/01/20

母達のリーダーシップ

 昨日は娘が通っている鎌倉の自主保育「にこにこ会」の餅つきでした。 総勢50人位集まったのかな。子供達には会うたびにその成長に驚かされます。3〜5歳位の子供達の変化には本当に目を見張るものがありますね。

 そして、昨年初夏にお泊まり会で飲み明かした親御さん達との再会などで楽しく過ごすことが出来ました。



会場となった鎌倉中央公園は豊かな自然が残る貴重なエリアです。周囲に注意を向ければ氷柱なんかも見つける事ができました。



餅米を蒸しています。本格的でしょ。男性陣は主に火おこし&見張り&餅つきを担当しました。こういう時に手慣れた感じで対応出来るお父さんていますよね。頼もしいよな。え?僕?一応3回目の参加なのですが、なんとかみなさんについていけた感じでしょうか。余裕なかったですねw



こんな感じで蒸し上がりました。これから捏ねて搗くわけです。



子供達も野菜を切ったりお手伝い。



そして、何が凄いかって、それはお母さん方の働き。誰かがあれこれ指示するわけでなくテキパキとイベントが進行していく様は見ていても清々しさすら感じます。最近読んだ『採用基準』って本では、ある成果を出す事を目指すチームには「全員にリーダーとしての自覚が必要」と指摘されていました。そういう意味では、まさにこの集まりはリーダー達の集まりであったと思います。充分過ぎるくらいの成果を残したのではないでしょうか。やるなー。

そんな彼女達はきっと仕事でも積極的に取り組める人達だろうな、なんて思いました。



ともかく、自然の中でのびのび遊べる環境が、子供達にとってこんなにも身近に存在しているということの大切さをしみじみ確認いたしました。この子達の目はキラキラしていてほんと活き活きとしていたのが印象的でした。

また会おうぜ!

2013/01/14

雪でしたね。


今日は大雪でした。

我が家にある小さな庭にも雪が積もりました!なんて呟いていたら強烈な吹雪に変わって来て、あっという間に10cmくらいの積雪になってしまいました。立派な雪だるまがいくつも作れるくらいの雪の量でした。子供は当然のように喜んで外に出て「雪投げ」を楽しんでいました。

何でもこの雪は「爆弾低気圧」の影響らしいですねとのこと。折角の成人式も台無しかなと思いきや、テレビでインタビューを受けていたとある女の子は「むしろ素敵な成人式です!」と答えていました。前向きだなぁ。

やんちゃな男子達は外で暴れづらくて残念だったのかもしれないけど、こういった子達も新成人としているんだなってことに、まぁ、当たり前なんだけども「うんうん」と頷いてほっと暖まった気持ちになりました。

いずれにしても、彼ら新成人にとっては忘れられない成人式となった事でしょうね。

そうそう、こちらのブログも更新いたしました。

「個人クリエイターのマネタイズ環境を促進する8+1の分野」by STANDING OUT from the crowds.

よろしくです。