2015/01/26

映画も蓄積しておこう :映画 001&002

これまでも膨大な数の映画を観てきたつもりなのだけど、私の場合はその多くが余り記憶に残っていませんで、今になって何だか非常に時間を無駄にしてきた気がしています。

願わくば、日々の会話で映画の名台詞を引用出来るくらいになりたいな。(ちょっとうざいかも知れませんね)

まぁ、一応ビジュアルコンテンツビジネスに携わっていますし、今後も関連する分野に関わっていくつもりであります。

それに、特に映画を含めた動画系コンテンツは今後ますます重要になると認識しておりますので、勉強というか知識というか感覚というか、まぁ単に好きなだけですけども、時間の許す限り吸収していきたいと考えています。

と言うわけで、これまでは仕方ないと諦めて、これから見る映画は、ブログにでも書き留める事で、記憶の隅に星屑のように散らばしておいておこうかなと思っております。

そのうち何か役に立つでしょう。

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まずは、直近の台湾往復の機内映画で見た2本。

デンゼルワシントン主演の「equalize」と役所広司と佐藤浩市主演の「最後の忠臣蔵」。

前者は元CIA職員がその身分を隠しながら、世の悪を退治する!と文章にするとなんとも陳腐なコンセプトなのですが、まぁ、陳腐でした。

アクションシーンでは、ハラハラさせられながらも手強い敵をやっつけるという要素もあるので、ストレス発散系には良さそうです。

とはいえ、正義を行うとは言え、まさに「目には目を、歯には歯を」を地でいく展開が世間では好まれているのかなと少し怖くなりました。

デンゼル扮する男がよく言うセリフが「体と知力と心が大事だ」というやつ。いわゆる心技体です。普遍的な言い回しですが、日々精進していくことの難しさと大切さを、主人公のストイックな日々の生活スタイルを通して、ストーリーとは全く関係ないところで感じ入ってしまいました。

映画ってそういうのありますよね。本編とは関係ないことを連想してしまうという。まぁ、いいです。

後者は、吉良邸に討ち入って切腹した赤穂47士になり損ねた2人の武士の生き様について描かれています。

生き残ったとは、この場合、この時代には幸運とは決して言えなかったのです。

それぞれ理由あってのことなのですが、主君(ここでは大石蔵之介)に忠実であらねばならない侍達のなんとも言いようのない理不尽な(現代からすればですが)人生に切なさを感じざるを得ません。

特に、討ち入り自体は江戸時代を通して史実と離れてある程度エンタメ化されていると聞いたことがありますが、討ち入りのその後の人間模様については、世間ではあまり注目されなかったであろうし、確かに様々な影響があちこちであったのだろうと思いを巡らせました。

役所さん演じる瀬尾孫左衛門がラストの方で、その名誉を挽回するシーンでは思わず男泣きでした。いや、正確には機内なので忍泣きでしょうか。

しかし!フライト時間を見誤って肝心のラスト15分位を見逃してしまうという大失態。

今月又ANA乗るので、次回にでもラストはちゃんと確認しておこうと思います。

2015/01/24

古典系読み 003: コーランを知っていますか

3冊目は阿刀田高さんの「コーランを知っていますか」です。



コーランという超古典への入り口として手に取ってみました。

昨今何かと気になるイシューですが、私の場合は、殆ど何も知識がないと言っても良いですし、仕事ですがマレーシア等イスラム教国家の人々とも接する機会もありますので、この本はその世界にほんのちょっとだけ触るきっかけになって良かったかなと思っています。

さて内容ですが、何と言ってもイスラム教は、ユダヤ教、キリスト教ととても近しい関係にある、というのは驚きでした。いやはやこんな事も知らなかったとは、、、無知は罪です。

モーゼやイエスは勿論、この3つの教典に被って登場する人物やストーリーが存在するのです。

微妙に解釈や重要度が異なるものはあるもののの、単純化する事に差し支えなければ、この3つの宗教は共に親戚筋と言っても差し支えないよね、と。

その他、書かれていることは理性的に充分共感できます。著者の捉え方なのかも知れませんが、間違っても何か得体の知れないものではありません。

そういう意味では、相互理解という言葉は我々多神教(或いは無神教)が勝手に使っている言葉なのかなと思いました。

彼ら(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教等の一神教)は、そもそも互いが何であるかは遺伝子レベルで分かり合っているのではないでしょうか。

とすると、世界にとっては「理解」ではなく如何にして「協調」するかが最も重要なテーマな気がします。

あと、人にものを伝えるにはストーリーが大事とよく言われますが、旧約聖書、新約聖書、コーランに出てくる魅力的な物語に触れるにつけ、人間の物語好きな側面に狙いを定めた究極がここにあるのだろうなと感じました。

さて、次は遺伝子理論のもはや古典とされる、リチャードドーキンスの「利己的な遺伝子」です。すでに3分の1程読み進めていますが、とにかく毎ページが刺激的です。

2015/01/13

古典系読み 002: ハツカネズミと人間

ピューリッツァ賞もノーベル文学賞も受賞したスタインベックの中編小説。


1930年代のアメリカ。

2人の出稼ぎ労働者が流れ着いた、ある農場での4日間が舞台になっている。

小男で利発なジョージと体は大きいが知的障害を持つレニーの2人組。

様々な働き場を求めて歩く2人には、自分達だけの農園を持つという夢がある。とりわけレニーはそこでウサギを飼うことが最高の夢だ。しかし、結局それは単なる夢のまま終わってしまうのだ。

1930年代のアメリカと言えば世界大恐慌真っ只中だ。そんな世相を表しているのか、この物語にはアメリカンドリームの欠片も感じられなかった。そんな言葉など頭から存在していないかの様だった。

レニーはハツカネズミをポケットの中で"彼なりに"可愛がるのが好きだった。しかし、大概は無意識のうちに握り潰してしまうのだ。

レニーなりの可愛がり方では、ネズミは生きられない。ネズミすら可愛がることができなければ、ウサギを飼う夢なんて叶えられっこない。

ネズミは彼らの決して叶えられない夢を象徴しているんだと思った。

それにしても、ジョージは何故知的障害を持つレニーと行動を共にしていたのだろうか?レニーは流れ着いた先で、その場に居られなくなるような問題を幾度となく起こしているというのに。

おいてけぼりにしようと思えばいつでも出来たはずだし、作中にも出てくるが、そうすればレニーは施設に送られて、彼が生きるには難しい世間から離れてそれなりに暮らせたはずだ。

単なる同情心なのだろうか?寂しいからなのか?

互いに何かを必要としていたのは間違いない。

そして最後に、ジョージはある悲惨なことからレニーを救うために、彼を撃ち殺してしまうという選択をする。

ジョージはレニーを長らく連れ回していた事を心底後悔したはずだ。

レニーが死んだ直後、農場の仲間で一番話のわかる奴、スリムに酒場に誘われる。

「さぁ行こう、ジョージ。お前と二人で一杯飲みに行こう」 
「ああ、飲もう」

どんな気持ちで酒を飲んだのだろうか。ジョージにしても、元々自分達の夢を実現できるとは、心の底では思っていなかったのだと思う。この瞬間に全てが終わったと悟ったのだろう。

レニーといることで、夢に手が届く気になれていることを、この出稼ぎ暮らしの中で心の支えにしていたのかもしれない。

ただ、そうだとしたらやはりジョージは自分勝手な男だ。少なくともレニーにはハツカネズミの可愛がり方くらいは教えておくべきだった。
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映画化もされているようなので、見てみようかな。

3冊目は、たまたま家の本棚で見つけた阿刀田高の「コーランを知っていますか」を手に取っている。

イスラムについては本当に何も知らないと言っていい。

本書自体は古典ではないが、コーランという超古典に触れるきっかけになればと思う。

2015/01/07

古典系読み 001: ロビンソン・クルーソー

今年は私なりに「古典系の本を100冊読む!」という方針を掲げています。正月にTwitterでも公表しておりまして、それなりに本気です。

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第一弾はデフォーの「ロビンソン・クルーソー」をチョイスしました。


想像していた内容とは全く違っていたので、読み始めからとても刺激的でした。

もっと山あり谷ありの冒険ものかと勝手に想像していたのですが、基本的には流れついた無人島を舞台に、どちらかと言うと粛々とした20数年間にも及ぶサバイバルものといった趣きでした。

生きるために如何にしても食料を確保するのか、道具や衣服を整えるのかとといったところには、作者の力なのか、創作とは思えないリアルな凄まじさを感じました。

また、アメリカ大陸へ乗り込んだ時の白人の行いや、終いには人食い人種なんかも出てきたりして、物語を構成している17世紀の民族の背景にも少し興味を持つきっかけになりました。

そして何よりも、この物語の根幹をなしていると言えるキリスト教の教えです。それが生き残る上での精神的な支柱になっており、全体を通してかなり宗教色の強い内容となっています。

とは言え、キリスト教徒ではない私にとっても共感出来る言葉や考え方は多かったと思います。

また、彼のサバイバル体験自体は、ついついベンチャー経営にも重ね合わせて読んでました

過酷な環境の中で生き残って行く為に、あらゆる試行錯誤を繰り返していくあたりは、まさに回答がない新しい事業を推進していくにあたる心構えというか姿勢のあり方を示唆してくれました。

また、迷った時に頼ることになる宗教への信心は、まさに企業で言うところの理念、ビションにあたります。

落ち着き始めてヤバイと感じているベンチャー経営者には一読をお勧めします(笑

クルーソーは、最後に金持ちになって、投資家として優れているというオチがあるのですが、まぁ、そこら辺はサバイバル物語としては何の関係性も見当たらず、若干の興ざめ感は正直ありました。そのパートはいらないんじゃないかな、なんて思いました。

あぁ、冒険に出かけたいな。

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こんな感じて、古典といえども何かを得なければと肩肘を張るのではなく、何にどう感じたかを、素直に大切にする読書を続けていきたいと考えています。

次は、スタインベックの「ハツカネズミと人間」を手に取っています。