2012/04/29

Think different



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先日の日経新聞「春秋」の記事で
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▼そのひとり横浜の女子生徒は、出願した米国の大学のほとんどから入学許可が来た。高校の成績は悪くないが、抜群でもない。もっと試験の点が良い同級生が不合格なのに、この生徒は引く手あまた。言語機能に生まれつき障害があることが決め手になったという。多様な人材を大学が意図的に集めているからだ。

▼ハーバード大の入試責任者が、米紙にこう語っている。「客観基準は万能ではない。試験の点数や高校の成績表は、生徒の資質の一部を示すにすぎない」。考え方や行動の特性、知的想像力、対話力、社会意識などを、面接や高校教師の証言で判断するそうだ。一発入試の日本の受験競争とはずいぶん様子が違う。
(4月24日付日経新聞「春秋」より抜粋)
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この記事を読んで、真っ先に「Apple社のスローガン」を思い出しました。

Think different

なぜかというと、米国ではハーバード大学という最高学府でさえも、試験の点数評価といった画一的なものだけでなく、如何に多様な人材を集められるかという点を重視している点が重なったからです。異なる思考や行動特性を持った人を揃えることができれば、その組織なり集団は自然と「Think different」な形になるというわけです。

さらに、入試責任者へのインタビューから分かる様に、そういう人材を見分ける為の4つの軸(考え方や行動の特性、知的想像力、対話力、社会意識)にすごく共感しました。高度な教育を身につけていく基盤があるかどうかを見ているんですね。ハーバード大学が提供する世界一の知識や様々なノウハウが、ある種の能力に秀でている人々によって、それこそ様々な形に変換されていく。そこに存在する価値の捉え方が私達と根本的に異なるんだろうなと感じざるを得ません。

大体日本ではお題目が多すぎます。「個性を大事に」といったことは良く聞きますが、大学はテストの点数でしか評価しないし、企業の新卒一括採用などはその典型例かもしれません。中途採用にしたって人と違う事をアピールして評価される場面はそんなに多くはないでしょう。大学や企業は勿論、真の意味で「多様性を評価することは価値がある」という認識がもっと社会的に拡がってくれば、日本においても、Appleのような企業がどんどん生まれてくる気がします。

そして、この4つの能力は、幼少時から意識して行動し習慣化することである程度は身につけられるものだと思います。点数主義の義務教育では養われにくい部分かもしれませんので、家庭での取り組みが鍵となるでしょう。様々な事柄に関して家族で日常的に対話をしていく。皆が自分の考えを話し合い、時には評価をし合う。そういった感覚を習慣化していくのです。私の家庭でも子供達とはそういうような文化を築いていけたならいいなと思います。

そういう意味での家庭力の向上は、政治改革だ何だというよりも、これからの日本の社会の変革のポイントとなってくるのではないでしょうか・・・

こんな記事を書いていてなんですが、どっぷりと日本的教育を受けてきた自分自身の思考・行動・習慣の変革がまずは先ですし、視野を拡げる努力をしていかなくてはならなぁと強く思いました。

2012/04/23

Pinterest の貢献


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世の中に存在するビジュアルからインスピレーションを得ようとするなら、Pinterestがおすすめだ。ビジュアルに関する限りこんなにも便利で刺激的なサービスの存在を私は他に知らない。

私が気に入っているポイントは2つ。

1⃣ 様々なサイトを見ていて、「いいな」と思った瞬間にPin itできる
・・・私はこの行為を「ビジュアルメモ」と理解しているが、直感的にメモることができ、且つオンライン上で瞬間的に整理できる。とても便利だ。

2⃣ 全く知らない人々の感性を共有できる
・・・世界中にいる、見ず知らずのPinners達の感性にアクセスする事ができる。普段は絶対に知り合えない、それもとびきりセンスの良い人々がチョイスするビジュアルを共有することができる。そしてこの連鎖のループがとどまるところを知らず、とても刺激的。

インターネットが普及して、様々な、そして多くのビジュアルが共有されている時代だからこそ、沢山のビジュアルに接することは、自分の感性を磨く為にもとても大事だと思う。そして、そのような行為の中から差別化の意識を醸成して行くことで、より個性的になれる可能性を秘めている。

かつてビジュアルを見るというのはとても限られた、そして狭い範囲での行為だった。しかし今は違う。世界中で産まれる新しいビジュアルの数々を、私たちは瞬時に捉えることができるようになった。Pinterestのようなサービスはこのような変化に大きく貢献していると思う。

著作権の問題や収益化など課題も抱えている同社だけど、個人的には応援していきたいWebサービスの一つだ。

2012/04/22

互いに関心を持つ事



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長屋方式でいこう、と職場のチームメンバーと話していました。

どういうことかというと、例えばウチのチームに新しいメンバーが加わった時、会社の仕組みとか業務の進め方とか共通化されている部分におていは、業務的に直接関係ない人でも、長屋での近所付き合いの様にみんなで教えられるような感じがいいよね、という意味の話です。

昔の長屋では、各家庭は独立しているけども、ひとたび個別の玄関を出た往来では隣近所が皆知人。きっと世間での善し悪しなどを子供達に教え合った事でしょう。そこでは「どこの子」かどうかはあまり意識されなかったのではないでしょうか。この場合の「世間の善し悪し」というのが、会社での「種共通化されたルール」にあたります。新しいメンバーを子供に例えるのはかなり失礼が、今まで所属していた会社と違うルールに誰でも最初は戸惑うものです。すくなくともその点では、子供が世間を徐々に知って行くのと同じ様に、安心して取り組める環境が必要だなと思います。

入社研修で形式的なルール共有をしてみたところで、日々業務をすすめる実務においては、沢山の疑問が湧いてきます。すぐに聞く事ができる雰囲気、気づいた人が積極的に声がけしていく、イメージしているのはそんなカルチャーです。

「長屋」とは互いに無関心では成り立たないコミュニティだと思います。個人個人のプライベートエリアもありながら、ゆるやかな互助機能もある。互いに関心をもっているんだという認識を持つ事ができるとは心強いものです。家庭も職場もそういう「安心感」という土台があってこそ、失敗を恐れずに思いっきり仕事(あるいは熱中していること)に打ち込めるというものです。

互いに関心を持つ事とというのは相手もあることです。ですから一方の努力だけでは難しいかもしれません。しかし物事は少なくとも自分から意識しなければ何も始まりません。相手に、チームに、会社に、社会に、そして妻に、子供に、友人達に、関心を持つ事を忘れずにいたいと思います。

まずは自分から!

2012/04/15

情報収集も「選択と集中」



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RSSリーダやTwitterのリストがカオスになってきて、あっちもこっちも状態になってきた。ただただ、サイトからサイトに移動しているだけで、結局その時間は何も産まないのと同じになってしまう。まさに「選択と集中」をしなければならない。自分にとっての主要サイトを備忘録としてまとめておこう。

・ニュース全般
Yahoo!ニュース
Huffington Post (米国系ニュース)

・ソーシャルメディア動向
Mashable

・ビジネス&金融事情
Business Insider 
マーケットハック

・ネット系ビジネス
Techcrunch 
SEO ジャパン

・広告ビジュアル(世界)
Headvertising

・ビジュアルインスピレーション
Fashion Photography Blog
500px
ffffound
Buamai

・日本の広告事情
AdverTimes

・写真関係
Shuffle

・カルチャーその他
WIRED

・ベンチャービジネス
Venturebeat
ベンチャーナウ
 
このあたりに絞って定期的に入れ替えしていこうかな。英語系は悩むところ。英語のスキルアップもあるけど、情報収集目的としては今の僕の英語力では確かに効率が落ちる。しかし、もはやネット系では日本の追随を許さないし、なるべく時間つくって読み込む事としよう。

自分の仕事を考慮すれば、もう少し国内の社会的事象と広告ビジュアル系を扱ったサイトがあればな、と思う。ちょっと思ったんだけど、日本には欧米に比べて先端的なアイデアやとにかくかっこいいビジュアルを扱った「ビジュアルクリエイティブ」向けのサイトが異常に少ない気がする。広告系はクライアントの許可とかめんどいのかな。あったとしてもタイアップ記事が多くて「Thought leader」的な事例を扱ったサイトがなかなかみつからない。代表的な某有名メディアはいまだ「紙」が中心だしね。

あと、個別ジャンル系、個人ブログやTwitterリストなどはそろりと整理&統合。もちろん自分が身を置く業界情報は別でしっかり管理。

大規模なリストラを断行だ!

御礼申し上げます。



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今日は手前味噌なエントリーで失礼します。

娘の4歳の誕生日の様子をFacebook and instagramにあげましたところ、多くの「いいね!」を頂きました。明日には本人にもしっかりと伝えます。きっと喜んでもらえるでしょう。そして、何より父親の私めも感激致しました。

「おめでとう」を距離や時間に関係なく気軽に「伝えられる」「受け取れる」Facebookという存在は素晴らしいですね。このような形でお祝いを頂けるなど、以前では考えられなかった事です。

「いいね」をくださった皆様とfacebook and instagramに改めて御礼申し上げます。

2012/04/13

笑える文章を書ける人



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私は決して真面目(堅物)ではないです。むしろ人に笑ってもらえるのは嫌いじゃないタイプです。

そんな私は、人を笑わせるときにはアクションや表情を使うタイプ。例えば物まねやエアプレイ系(ギターやフルート・・・)や身振り手振りを交えた自分の失敗談を大げさに話したり。しかし、いざブログを書こうとするとなかなか面白い事が浮かびません。たとえこれは!みたいなアイデアが浮かんだとしても、いざそれを文章にすると「なにそれ」って感じて、笑えるとかそういうレベルに達する事なく、自分で「没!」と言って削除してしまいます。

だから、文章で人を愉快にさせる事が出来る人ってすごいと思います。たまに炸裂する「やまもといちろうブログ」等は、よく電車の中で吹いてしまったりしますw なんでしょう。芸人みたいなおかしさではなく、書いている内容は社会的な事なのに、視点やつっこみ方とかが秀逸です。あと「虚構新聞」は本当はもはや芸術の領域。「吹く」を通り越して「爆笑」してしまいます。

私たちの感情の中でも特に「笑い」に訴えることのできる文章を書ける人は、人間そのものや社会への卓越した共感力・観察力をお持ちなのでしょう。もちろん文章力も。

それってすごい才能だな、羨ましいな、と思います。

というか、今日の写真はシュールですよね。笑えます。

2012/04/12

多様性を伴った質と量



photo credit: chrisjfry via photopin cc

私のブログでは、記事の内容に関連した写真を必ず掲載するようにしています。この行為が意外にも自分の仕事(マイクロストックフォトサイトPIXTA(ピクスタ)運営)で役立つのです。例えば以下の様な点。

・記事をビジュアルで表現する力
→ニーズに沿ったコンテンツアイデアを連想するスキルアップに貢献

・ストックフォトではない沢山の写真閲覧
→ある特定キーワード関連における、(ストックフォトではない)写真を数多く見る・比較することにより、普段とは異なった視点からのアイデアに繋がります。

・検索結果への不満を感じる事の意義
→ストックフォトのお客様目線に近い状態で写真を探しているので、「欲しい写真が見つからない」という不満感を共有できます

・おまけで、海外サイト(良い写真が多い)を使うケースが多いので「英単語」の語彙が増えます。

このような事を続けていると、回を重ねる毎に、より満足する写真が見つける為に、かなり深いところまで検索することになります。経験値が高くなるにつれ、そういった意欲はどんどん高まってくるので、結果そのサイトのコンテンツ状況がわりと正確に把握できてしまいます。全然違うキーワードであっても同じ様な写真ばかりが検索されたり、探しているキーワードとなんの関係もない検索結果であったりすると「あー、このサイト限界かな」なんて感じたりもします。そんな時は、我ながら身につまされます。

ストックフォトに置き換えたとき、「売れ筋」ばかりのコンテンツを揃えていたら、同じ様な写真が並ぶページが延々と続く結果となりますし、そのような状態ではユーザは早々に飽きてしまうでしょう。ブログ用写真を探す行為を通して実際に自分でも感じた事ですが、コンテンツのポートフォリオには「多様性を伴った質と量」が重要だなと改めて思いました。

因に今日ピックアップした写真のコンセプトは「多様性」=「diversity」。検索していて一目惚れの写真です。僕が今日この記事で伝えたかった事が表現できているでしょうか?

2012/04/11

ラベリング理論:ストックフォトに取り組む事との関連



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ラベリング理論とは、社会学者のハワード・ベッカーが著書「アウトサイダーズ:ラベリング理論とは何か」で提唱した、

「社会集団は、これを犯せば逸脱となるような規則をもうけ、それを特定の人々に適用し、彼らにアウトサイダーのラベルを貼ることによって、逸脱を生みだすのである。」

という論が発展して成り立ってきたものらしいです。

この過程を学ぶことができれば、様々な先入観によって誤解や、異なった印象をもたれたりする要因の解決策として利用し、「逸脱」とレッテルを張られた状態を改善できるツールになりはしないかと、思いました。

例えば、僕は仕事で「ストックフォト」という業界に携わっています。しかし、主要なコンテンツが「写真」にもかかわらず、特に欧米に比べて日本特有の現象として、プロのフォトグラファーの関与が非常に少ないと言われています。理由として「それって売れないカメラマンが取り組むものさ」という表現のされ方をされた事がありますし、実際に広告などで活躍されている方で、ストックフォトに取り組んでいる方は全体的な母数に比してかなり少ないのではないでしょうか。また取り組んでいたとしても本名ではなく「ニックネーム」で活動されたりしています。こういった現象についてある外資系の同業者さんは、「あーら、欧米のカルチャー逆よ。だって自分の発想が売れるんだもの。すごくいじゃない」というような意味の事をおっしゃっていました(若干デフォルメ気味)。まさに日本のストックフォト業界は「負のラベル」を貼られた感じですね。

アサインメントという撮影の依頼仕事中心に考えれば、確かにそういう一面もあるかもしれませんが、現実的には、インターネットとデジタル写真の発達・普及にともなって、ストックフォトというビジネスは、徐々にフォトグラファーの主要な収入源のひとつとして無視出来ない存在になってきているのです。そして、ストックフォト収入は「不労所得」となり結果として自由な時間が手に入るのです。例えば、若いうちにしっかりストックフォトに取り組んでおけば、むしろ、自分の判断で仕事をこなせるようになれますし、創作活動にだって多くの時間を割けます・・・という、理想的なフォトグラファーになることだって不可能ではありません。むしろ新しいタイプです。結果、収入とクリエイティブの双方が両輪のように相乗効果を産んでくることになるでしょう。

僕はこういった点をしっかり啓蒙して、業界に貼られた「負のラベル」をはがしていきたいのです。業界各社さんも長年に渡りPRにも取り組んでいますが、なかなか効果を発揮していないようです。また、例えば話題作り的に有名フォトグラファーなどを起用して「ストックフォトってクールだお」とかなんとか言わしめたとしても、それは一過性のものでしかないでしょう。そうい意味でも、まずどうやってこういったラベルが貼られたのかの要因を分析し、その過程の逆のプロセスを踏んでいく施策を考えたいですね。

ストックフォトは、プロのフォトグラファーにとって収入源の一つの選択肢に入れていいんですよ、という啓蒙活動をこれからも積極的に展開していきたいと考えています。

負のラベル剥がし伝道師!としてがんばっていきます。

2012/04/08

愛が足りていない。




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消費者であるよりも、まずは生産者であろう。

なんて大げさな話ではないのですが、今日は久しぶりに料理をしました。
料理、といってもランチに「ウィンナーとトマトソースのパスタ」と夕食用の「カレーの下ごしらえ」、ですけどね。

それにしても、料理ってあらためていいなぁと思いました。気分転換にもなりますし、とてもクリエイティブですよね。
何をつくるか、という構想から始まって、レシピを検索し該当する材料を揃える。僕はスパイス系の分量は感覚的に攻める派なので、自分の中で味のイメージをしてから時々で合わせていく感じです。構想、段取りの取り決め、素材を揃える、作る、そして盛りつけ。一連の作業が何となくストックフォトの制作過程に似てなくもないな、なんて、思いました。

しかし、久しぶりの料理もどきでしたから、スパイスの分量を間違えてしまい、ちょっぴりスパイシーなパスタとなってしまいました。娘からは「パパ、から〜い」と言われましたが、がんばって全部食べてくれました。(涙 
カレーはカレーで、妻からは、「何か下ごしらえのスープの色濃くない?」と指摘を受けました。はい。タマネギ焦がしました。

この結果をもたらした原因は何だったのでしょうか。そもそも何が足りないのです。

それは、「」です。

表現が暑苦しければ「想い」と言い換えましょうか。お昼になったからあり合わせのものでパスタを作る。妻が帰ってくるまでにただ下ごしらえをしておかなければ・・・心がそこにないのであれば、それは単なる「作業」にすぎません。娘に最高のパスタを作ってやろう、妻が作るカレーをおいしいものにする為のベースを作るんだ!という想いが正直に言って足りてなかったです。

料理に限りませんが、何を作るか、と構想する以前に、「何の為に」という事を明確に意識しなければなりませんね。

週末は妻が仕事でいない事が多いので、娘とはランチを近くのカフェとかで済ませてしまいがちですが、これからは料理をもう少し積極的にやってみようかな。

愛を持って。

土日を「週初め」と捉える事



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きわめてスローペースで進んでいる「社会心理学」のお勉強。現在は、この本(第12版2000年版)の「労働の社会心理」という章までたどりついています。この章では職業生活の環境、職場集団状況と勤労意識の関係および様々な労働観についての考察を学ぶことになります。まさに、自分の仕事にも役立つ内容。

労働状況が社会から受ける影響や、個人がしっかり働ける様な職場環境とは一体どういう事をいうのか、などを理論的な観点から学ぶのは本当に新鮮です。特に個人的には、人々の労働観なるものをもっと真剣に考えてみる必要があるなと思ったりしました。中でも旧約聖書と新約聖書で 「安息日」に関する捉え方に違いがあるという以下のような記述には「はっ」とさせられました。

(引用)
・・・労働と安息日については、旧約的安息日は一週の終わりの日で安息は労働の結果であるのに対して、新約的安息日は一週の始めの日であり労働の力の源泉であり、労働と安息は相関関係に置かれている・・・

同じキリスト教でもこのような考え方の相違があるのも興味深いですが、人生のうちでも多くの時間を労働に費やしている人間にとって、この微妙な捉え方の差が、人生そのものを全く別のものにしてしまうかもしれないなと考えると、意識の違いって大きいなと思います。

個人的には、新約的安息日観をもっていたいなぁ、いや持つべきだと強く思いました。

こんな僕でも労働の結果得られるのが安息だとは決して思ってはいません。しかし、週の後半くらいになると「あと一日働けば休みだぁ」と良く口走ったりしますし、金曜日の夜になれば、一週間で溜め込んだ何物かを吐き出すかのようにお酒を飲み過ぎたりもします。考えてみると、それは無意識かもしれませんが旧約的な安息日観をもっている事になりはしないでしょうか。休みに向かって仕事をしている、というような感じですよね。

週末にどかーんとまとめて休息を取り、ストレス発散の為に遊びまくって、むしろ月曜日に仕事モードへ戻るのにさらにストレス発生!という、いわゆるサザエさんシンドローム的な話を良く聞きます。なんという悪循環でしょう。むしろ安息がマイナスに働いています。そんなんでいいはずがありません。そこで新約的安息日観に切り替えて、例えば仕事の終わる金曜日に、「さぁ明日からまた新たな一週間がはじまるぞ!」という考え方をすることができれば、今までは一週の終わりにくっついていたその土日という2日間を、新しい週の始まりの2日間という「全く別もの」に変えてしまう事ができます。必然的に休日の過ごし方が変わってくるのではないでしょうか。土日は週末ではなく、週初となるのです。なんか、こう清々しい感じがしませんか。会社を出るときに「良い週初めを!」なんて挨拶の掛け合いは素敵だなぁ。その挨拶には、「いい準備をしてきてね」「君もね」、という思いが込められているのです。

働いている状況がうまくいっていないなと感じるとき、しゃにむに仕事に取り組んだり、業務のやり方の改善ばかりに目を向けがちです。しかし、ちょっとだけ見方を変えて、逆に休日に対する考え方を改めることをしてみる。すると、このように思いもよらなかった意識の変化につながったりします。「見方を変える」「意識を変える」というのは意外に難しいものですが、煮詰まったときこそ、発想を転換してみるのも良さそうですね。

そんな事を、新約聖書と旧約聖書の「安息日」に対する考え方から学びました。

2012/04/05

MacBookAir+iPhone+Evernote etc....




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ごく最近、会社のパソコンをMacBookAir(MBA)に変えさせて頂きました。長年のWindowsユーザーから念願のMacユーザーとなったわけです。

こういった事って、ちょっとした変化のきっかけとなったりします。僕の場合は、仕事のやり方が劇的に変化してきました。

まずは、様々な業務アプリをMBAとiPhoneとを同期させることで、文字通り移動オフィスの環境を手に入れることができました。さらに周りから薦めて頂いたいくつかのソフトも活用し始めました。特にEvernoteの存在は大きいです。長いこと紙のノートやメモが必須だった僕に、それを手放す事をいとも簡単に決断させてくれました。いつでもどこでもメモすることができて、ノートやPCのローカル保存では途切れてしまいがちな一つ一つの思考が、iPhoneとMBAというデバイスを通じてオンライン上で継続的につながれているという状態にとにかく感動しています。

また、僕の仕事上で必須になる「ビジュアルメモ」についても、ストレスなく蓄積できていて、PCのローカルに保存していた以前よりも再アクセスの頻度が格段にアップしています。これはPinterestというサービス活用も効果的でした。因にPinterestならお金払ってもいいかなぁと思います。本気で使ったら、かなり容量使いそうですし・・・

このような環境づくりは、もちろんWindowsでもできたはずです。正確にはこれまでも実行するにはしてましたが、きわめて断片的でまとまりに欠けていたと反省しています。しかし、今回メインPCをMBAにした事で、つまりはMacユーザーになったことで、こういった従来のやり方からすっきりさっぱり抜け出す事ができました。

しかし、これらの行為は、あくまでも効率よく仕事をするための環境づくりでしかありません。その本質は、業務を実行し、結果をアウトプットしていくことであります。より高いレベルを目指し、より早く実践していくためのツールであり、環境作りであることは肝に命じておかなければなりませんね。

それにしてもMacっていじっていると楽しいですね。そしてクリエイティブな気持ちになってきませんか?

2012/04/02

週末の朝の欲求不満



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週末の朝、政治討論番組を久しぶりに見ていて、結局何が言いたかったのかが理解出来ずに少々混乱しました。それとも僕の理解力が足りなかったのでしょうか?
「具体的な議論を促す」発言ばかりで、なんの結論も出ずに、2時間ばかりが終わってしまいました。そういう意味では、政治家、質問者(解説者?)、キャスターの組み合わせが基本構成のこの手の番組は、インターネットがこれだけ発達しているのに、数十年の間ほぼ何も変化していないように感じます。

多分、政治家は具体的には答えません。いや答えられないと考えておいた方が良さそうです。なぜなら、いきなり想定外(専門外)の質問がなさられた場合は不用意に答えると後々とんでもないことになる可能性が大きいからです。それは仕方のないことですし、バッシング社会の日本においては一つの防衛手段として認めざるを得ないと思います。ましてや、質問者がテレビ局の人間であったり、彼らがお膳立てした評論家達であればなおさらだと思います。出演する政治家にとって、彼らの質問に回答する「義務」を感じる度合いが限りなく低いですし。

だから、せめて番組を視聴者にとって意義のあるものにする為にも、ほんの少しだけ「仕組み」を変えていく事を考えてみてはどうでしょうか。例えば、非常にシンプルですが、「政治家は国民の代表」という視点に立って、視聴者がいくつかの聞きたいテーマを事前にtwitterなどで募り、「国民の声」として政治家にも事前に通知しておき、回答を準備してもらった上で番組上でより具体的に回答してもらう。解説者などは、むしろその回答内容にガンガン突っ込んでもらうのです。その議論の行方が視聴者へも考える材料を提供してくれるので、見ていて為になる気がします。

事前準備や出演者のスケジュールなど、課題は多いでしょう。しかし、そういった改善を計る事で、「今後、より具体的な議論をしていく必要がありますね」というエンディングで締められてしまうことによって発生する欲求不満を、少しでも防いでいただけるかもしれないな、と感じました。

「この番組でしか聞けなかった事」を視聴者に提供する事が番組の差別化ですし、付加価値だと思いますので、それらを実現する為に、番組自体の仕組みと構成、出演者の参加役割を、ちょっとだけ”現代の視聴者目線”に変えてくれてくれるなら、少なくとも僕には、週末の朝にチャネルを合わせてもいいかなと思える番組になりそうです。