2015/05/28

おはようーGood&New!!

「おはようー、Good&New!!」

我が家の朝食はこの掛け声で始まります。

Good&Newとは組織内においてポジティブ思考や円滑なコミュニケーションを促進する一つのツール。 以前、ウチの社長(だったかな)が全社に紹介してくれたものです。

聞いたのはかれこれ一年以上も前になると記憶していますが、我が家では「これはいい!」ということで私の独断と偏見でほぼ同時期に導入し、今でも愚直に続けています。

出張がちだった私の不在時でも妻と娘の二人でやっていてくれたようです。

今では、家族全員が「いただきまーす」と同じようなレベルの当たり前感覚にまでなっています。

娘「おは」
妻「よー」
私「グッドアンド」
全員「ニュー!!」

という感じ。いやー楽しいです。娘や妻が昨日どんなことを良いなと感じられたのか、またはどんな新しいことを経験したのかなんて知ることができるのは貴重な時間です。

そこから自然にいろいろな会話に発展していきますので、朝食の時間がとっても充実したものとなります。

そして、ふと気付くと私たち3人には「ポジティブになろう」とか「コミュニケーションを円滑にしよう」なんて目的意識みたいなものが薄れているのです。

でも、そうしていると自分たちがとっても楽しい、と思えるから続けられているんだろうなと思います。特に娘が率先しているのは間違いなくそこ。

効果やアウトプットばかりを考えていると、肝心な「楽しさ」や「心地よさ」が置き去りにされてしまいがち。

世の中、効率・成果ばかりに焦点をあてすぎると、逆に人間関係がギスギスしてしまって進むものも進みません。

でも、Good&Newのように気楽にに取り組めるものを愚直に続けていると、相手が何を考えているのかということを互いに感じやすくなってきます。

まさに継続は力なりです。

互いに関心があるのがわかると、そこには安心感と信頼が生まれてきます。

すると嫌なことや失敗も受けもめられるような余白のある関係が築けるんじゃないかなぁと思うんです。

他人とそこまでの関係になるのはなかなか難しいしやり方はそれぞれだろうけど、本音を忌憚なく言い合えるようになる為にもトライしてみる価値はあると考えています。

私も、いずれ娘にもビシッと言わなくちゃならない日も来るでしょうし!!

※とはいえ、家族内では私が一番やらかすことの多いダメパパですから、Good&Newには非常に助けられていると言わざるを得ないのが現状です。




2015/05/26

やりきる

先日とあるベンチャーキャピタリストとの飲みに参加しました。業界では名の通った方で私も楽しみにしていました。

都合2時間位&4人の会ですから、そんなに深く話せたわけではありませんが、彼のような事業立上げ&運用も経験しているVCの視点をリアルに伺うことができたのはやはり良かったです。

ところでリアル。。。
ネット上の記事で読むことと、本人から直に話を聞くことのこの理解度の差というのはなんでしょうね。考えてみれば当たり前の話だったりもするわけですが、何だか響き方が違うんですよね。

もし、直接ピータードラッカーからマネジメントについて話を聞けたらなぁ、なんて思っちゃいますね。(そんなバーチャルなサービスなんてのもありか)

でもこれは事前にネットで情報収集していたからの効果だとも言えます。その人のキャリア的背景をある程度つかみ、現在のポジションに対して「凄い」と感じているからこそ、リアルの言葉から得られるインパクトも大きかったのだと思います。

つまり、どんな話であれ何かを得たいのであれば、それは、聞く側の姿勢次第だということになりますか。

逆に言うと、相手にそういう姿勢になってもらえるかどうかで自分の伝えたいことの浸透度も変わってくる筈です。

いやー、最近は新しい人と会うのが億劫になってくる自分を認識していましたが、これは意識的にやらないとダメですね。

お誘い頂いた皆さんに感謝です。

あ、そうそう、結局その会で何が私の心に超響いたのかというと、(他にも沢山ありましたが)この一点につきます。

物事はやりきれるかどうか

やはりそうですよ!!

2015/05/25

正五九月


昨日は家族で深川不動堂に「正五九月」の厄払いに参ってきました。

私は信心深い方ではないのであまり気にしてはいないのですが、妻が彼女なりの思いにより以前から続けていて、もはや我が家の定例行事となっています。

海外出張が多かったこの2年間ほとんど一緒に行くことができなかったので、これからは出張も減りそうだし可能な限り一緒に参っていきたいと思っています。次は9月か。

正午九といっても我が家の場合は特別に何をするというわけではなく、厄除けにご利益があると言われる不動明王に参るだけです。

それだけでも良いのですが、今回は、定時に行われる護摩修行に参加してきました。燃え上がる炎と打ち鳴らされる太鼓の共鳴の中で、厄を払ってもらっているという気持ちとともに背筋がぴっと伸びました。

ところで、護摩の時には祈祷依頼された人々の名前が一人一人呼ばれます。その中で、代表取締役を一人で何社も勤めている人の名前が立て続けに呼ばれていたのに気付きました。さしずめ、グループ会社を持つ企業のオーナーの方といったところでしょうか。

そういえば、かつて自分で創業した会社を経営していた時は、個人名と共に会社名も併記して祈祷してもらっていたなということを思い出しました。

今では、私も祈祷依頼する場合は何故か個人名のみとなっています。このことは特に深く考えていませんでしたが「あれ、今の仕事、ちゃんと自分事として捉えられているか?」とちょっと微妙な気持ちにもなりました。

その流れでふと思ったのですが、「◯◯株式会社社員誰々」といった呼ばれ方はあまり、いやほぼ聞かないなということ。中にはいるのでしょうがそれはおそらくかなりの少数派。

祈祷依頼は個人のお金でするものがほとんどです。そこには個人それぞれの根本的な想いが顕在化しているわけで、個人としての最も大切にしていること(優先順位が高い)がここには自然と願われているのです。

そういう意味で、経営者と会社に働く個人とでは人生に対する優先順位が随分異なるのかもしれません。もしかしたらそこ自体は交わらないのかもしれません。これは良い悪いではなく、社会の現実であり前提なのでしょう。

あくまでも相対的な捉え方ですが、経営とか組織運営とかはそこを念頭においておく必要もあるよなと考えたりもしました。

ともあれ、妻も娘もなんだか満足げでした。これだけでも行く甲斐があったというものです。

ただ、せっかく深川まで行ったのに家系ラーメンを食べて帰ってきたというのは少々風情が足りませんでしたね。








2015/05/12

スケアクロウ

超人気作家、マイケルコナリーの比較的最近の作品。

一人称と三人称が交互する構成は、ハリウッドのサスペンス映画を見ているようにスリリング。

早くページを捲りたくなる。

そして、いかれた犯人との決着を付けるラストもそんな映画そのもの。

それまで頭脳的に立ち回っていた犯人も最後はドジを踏む。

というか、これはまさに主人公の絶対絶命時に於けるおきまりパターンだ。何処からともなくいきなり助けが入るっていうあれ。

映像ではその辺うまく表現できるのだろうが活字では難しいのか、手を抜いたのか。唐突感は否めなかった。

とは言え、日常から離れて、スリリングな感じを味わうにはまぁ面白い作品かなという感じ。

あと、主人公はネットに押されて凋落仕掛けている新聞社に勤めているのだけど、ネットとリアルの問題をうまく絡ませていて面白かった。

作者自身も新聞社に勤めていたそうだ。やはり中の人のその辺りの描写はかなりリアルに伝わってくる。想像では中々追いつけないのかも知れない。ビジュアル作りにもテーマ毎にその分野の方のアドバイスを取り入れていくべきだろうね。

何せビジュアル先行で考える人多いからね。バランス、バランス。

種の起源、ファウストもすこーしづつ進んでます。