2013/07/15

「気が合う」という直感

 シンガポールローカルの方々とは毎日毎日とにかく沢山会っている。今のところ「人と会って話す」ということが業務の中心といっても過言ではないくらいだ。

 ローカルの人であるから、当たり前だけどコミュニケーション言語は英語だ。私の英語はネイティブレベルにはほど遠く、むしろブロークンなので正直相手に少々歯がゆい思いをさせていることだろうことも自覚している。それでもなんとか最低限のコミュニケーションは取れていると自負出来ているのは、英語レベルの低さを認識しているが故の「事前準備」に努めているからだろうか。

「気が合う」というポジティブな反応
 さて、そんな非ネイティブな私でも、彼らと話を始めて間もなく"ピピッ"と何かを感じる瞬間がある。それは「この人、気が合いそうだな」といった直感めいた感覚だ。普段のミーティングではあまり好き嫌いといった個人的感情を持たない様に気を付けているので、ネガティブな感情はそもそもあまり表出してこない。しかし、こういったポジティブな反応はそれこそスイッチが入ったように目の前が”パッ”と明るくなる瞬間が間々訪れるのだ。

 そんな時、大体相手も同様の感覚を持ってくれているように思う。そうでなければ「気が合う」って思えないものだろうし。

同様の環境、体験という仮説
 これはよく考えてみると不思議な現象だ。人間はその相手と「気が合う」という感覚を直感的に感じ合える具体的な能力を持っているのだろうか。

それが同じ国に住んでいる同じ言語を使う者同士だけの話であればコミュニケーションの取り方等がなんらかの作用をしていそうだけども、私の場合、英語圏、しかもパーフェクトな会話ができていない状態でもそうなのだから、これはあのスピリチュアル!な方面の領域なのだろうかとチラっと考えたくもなる。

このテーマについては、ググってもあまり確信をついた解には辿り着けないのだが、わりと皆さんも感じることが多いと思うので、実際は心理学的、動物生理学的にはきちんと説明できるんだろうな。

まぁ、テレパシーのようなアレで片付けてしまっても誰にも迷惑は掛からないとは思うけども、「自分の頭で考えよー」ってことで何故なんだろうってちょっとだけ考えてみた。

それは、例えば育ってきた環境や、人生の中での体験、経験してきた数々の事柄等において、「気が合う」と感じた相手とは、どこかに共通点があるのではないかということである。ちょっとした会話の中での相手の反応やあるいはふとした表情などから、そういった共通点を無意識のうちに察知して自分が共感できる部分として取り入れている結果なのではないかな、と。
 
具体的な話として、つい先日、初めての打ち合わせの時に気が合うなと思った方と、後日たまたま車に乗せてもらう状況になった時があった。そして、仕事以外の話をつらつらとしたのだが、思わぬ彼との共通点を見つけたのだ。あまりにもプライベートな話なので内容は書けないけども・・・

直感に従う
 まぁ、答えの是非はどちらでもいいのだけれど、いずれにしても、このような直感にはどんどん従えという僕の内なる声が盛んにアドバイスしてくる。

現状、仕事方面では全体最適というより、良い方向をより良く伸ばすことで突破口を見いだそうと指向しているので、そういう意味でもそんな声には素直に従おうと思っている。

 それから、そういった感覚の鋭さがもっともっと増して且つ精度を高められるようになるには、心身共に常にクリアな状態を保つよう努めておく必要がありそうだ。何せスピリチュアルなアレかもしれないからね。


 ということで、瞑想をちょくちょくやっている今日この頃。10分程ただただ目を瞑って座っているだけだけど、集中力が高まる感じがしている。おススメですよ。

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