2013/08/13

クアラルンプール最終日

今日はチェックアウトしてからミィーティングをこなす。こちらのフォトグラファーのスタジオにも伺う予定だ。ワクワクするね。

只今9:30.ちょっとデスクワークをこなしてから発つとしようか。

というわけでこの部屋からの眺めを記念に残しておこう。

北側の窓にはツインタワーの上部が望める。指輪物語の「二つの塔(The Two Towers)」の中にいるみたいな気分になった。



それから今朝始めて気付いたのだけど、こちらの窓は東向きだった。未明にかけて雷の閃光がシュッシュッと走っていたが、夜が空けるにつれてその凶暴な黒雲が太陽からそそくさと逃げ出し始めていた。



Kindle以前と以降の読書方法が様変わり

最近、本の読み方が変わって来た感じがしている。最近といっても昨年末から位だ。振返ってみるとKindle以降ということになる。

「◯◯以降」。。。
とある世界で、突然これまでの流れを変えるような事が起ったり、或はそういった人物が登場してきた時に使われる表現だ。例えばミステリーの世界で言う「綾辻以降」というように。

で、どう変わったかというと、ビジネス関係中心だったものが少し文学やミステリー、SFといったジャンルに軸が移ってきたようなのだ。

なぜKindleが私の読書パターンを変えているのかと考えてみると、その一つは過去の文学作品が無料で読めるというところから。森鴎外、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、柳田独歩・・・昔に読んだ本もあればこの10数年まったく目にさえ触れる事もなった書物の数々。日本という私の素晴らしい故郷で創作された、美しくも素晴らしい物語の数々が思い立ったら直ぐに読む事ができるのだ。しかも無料で。

夏目漱石の「坊ちゃん」や「こころ」が改めてそういったきっかけを作ってくれた。古典が新しい方向を示してくれるなんてなんだか不思議だけども。

そして、彼らから影響を受けた作家などの関連で、現代の作家にその範囲を拡げつつ、元々好きだったミステリーやSFの世界を掘り下げているのが最近の私の読書傾向である。ミステリー/ミステリー(SFあり)/純文学(詩も含む)というサイクルが今の私にぴったり嵌ったパターンとなりつつある。(あっ!言ってみればこれフリーミアムだね。)

で、一つ思いついたことがあるのだけど、非凡さを目指すビジネスパースンは、金太郎飴しか産まないような巷に溢れるハウツー本などに向かうのはもうおやめになって、SFとミステリーと詩を読まれたらどうかと思うのだ。

どういうことかというと、SFは究極の想像力を求められるしミステリーはかなり緻密な構成力と仕掛けを必要とされる。事業運営にも通じる感性を養えるのではないだろうか。

そして純文学や詩だ。これはまだまだ自分の中でよくわかっていないのだが、読み始めて見ると、例えば同じ”花”を謳ったものであっても、詩的な表現というのは、本当に少ない言葉のフレーズでこちらを唸らせたり、感動させたりしてくれる。これはビジネスでいうところの差別化されたサービス力への展開力(と言ってしまうとかなり浅はかな発想なのだが)に繋がりはしないか?

詩を読む力というものが再度脚光を浴びると知人の写真家が言っていた。まさしくそんな感じがしているんだ。そもそも私自身がそれを形ある文章にして説明できるレベルにはいないのだが、私の直感という光が強くその周辺を照らし始めている。

SFで想像力を養い、ミステリーで緻密な展開方法を学び、詩的に差別化していく。

KIndle以降の新しいビジネスパースンが考慮にいれるべき読書方法と言えまいか。

#まぁ、ほんとうに思いつきであるので、私自身はあまりそんな事考えずに読書してます。あ、そういえば上記に上げた綾辻以降といわれるきっかけとなったのが「十角館の殺人」という作品。これ本当に寝られなくなるくらい読み耽ってしまう作品でした。ミステリーファンではなくとも必読!









2013/08/11

クアラルンプールはメシが美味い

仕事で今日から3日間マレーシアはクアラルンプールに滞在する予定。

そこでまずは食について。タイトルに書いたクアラルンプールに限らず、シンガポールも含めて現在の行動範囲内で出会っている「食」が、私にはピッタリ合っている。

昼も夜も大当たりだった。昼に食べたのは名前を忘れてしまったが、何か中華麺にあんかけのようなモノが乗った代物。うまかった。そして、夜頂いた「ポークヌードル・スープ」も絶品だった。

とくに夜頂いたものは約10RM(約300円くらい!!)。多分今感じている”すごうま感覚”はこのコスパ感も考慮に入れる必要があるとは思う。

ひとときの旅人ならいざ知らず、その国で生活し労働する為には、パワーの根源である食事が合うかどうかはこの上なく重要な要素だと思う。

今回のマレーシアラウンド。幸先の良さを感じさせるスタートである。

#あ、数編ですが少しずつ詩を読み始めました。因に、内部的にはまだ多分なんにも起っていないような気がしますが、それでも少しずつ気長に続けてみようと思っています。



2013/08/09

詩に触れる

詩。

私は詩を殆ど読まないし嗜みもしていない。しかし、ちょっとしたきっかけで読んだこちらのブログでは些かショックを受けた。著者は大庭亀夫さんという方。

引っかかった部分を引用すると、
言語のもつ絶対的な情緒や美、意味、その言語の誰が聞いても精密に同じ意味と情緒で受け取れる「かたち」を感受する能力が頂点に達するのは、だいたい16歳頃から22歳くらいまでで、冷たい言い方をすると、そこまでに詩を読む能力を身につけられなかった人間が、そのあとでいくら物語の才能にめざめて巧妙な仕掛けをもった物語を書けるようになっても、努力全体がなんだかぱっとしないものに終わるのは、文学の歴史にはいくらでも例があって、言語と人間のあいだに介在する事情を考えればやむをえないことでもある。
であるらしく、更に、
英語の世界では・・・・詩が読めない人間には思考そのものが出来ないのは常識であると思う。
と締める。うーむ。当ブログをもっと読み込むとその理由等も書いてあるのだが、とにかく詩が読めないと思考できないとカテゴライズされてしまうというのは聞きずてならないではないか!

ならば何か読んでみようと、彼にTwitterから恐る恐るおすすめを聞いてみた。すると以下のような名前を上げてくれた。いい人だな。

岩田宏・田村隆一・岡田隆彦・鮎川信夫・吉増剛造・西脇順三郎・・・・・

え、誰も知らない。聞いた事も無い。速攻Kindleで探した所(海外赴任中という事情もあるので)、なかなか彼らの詩集なるものはみつからなかった。で、結局以下の本をダウンロードしてみた。


まぁ初心者にありがちな選択だね。実は上記で上げて頂いたお名前は入っていなそうなのだが、とにかく読んでみることにする。大庭氏が知ったらきっと幻滅するであろうな。

ともかく、私はもはや詩を理解できないと言われる年齢をかるく超越している。まぁ詩を読むのが人生初とは言わないけども極端に経験は少ないし、多分ここ数年は手に取った事すら無い。

そんな私が改めて詩に触れてみる事で、内部で一体何が起るのか!起きないのか!目下そんな変化を楽しみにしているところなのである。決してデジタル積んどくにはしないぞ!

#それにしても詩集ってKindleでは手に入りづらいのね。やはり紙で読むべきものなのかな?



"オンラインミーティングの功罪"って程でもないけど

Skypeでのオンラインミーティングは非常に便利だ。

特に海外に出張している時(今でしょ!:もうこれはやめた方がいいかな)などはもはや必需品だ。それは否定しない。

しかしながら”過ぎたるは及ばざるが如し”。状況によってはそんな便利なものも機能しずらい場面もあったりもする。Skypeが使えるが故、ついつい多くのミーティングに呼ばれるがままに参加してしまう。下手するとSkypeに捕まえられているかの如く、終日PCに向っていることになりかねない。

まぁ、終日というのはオーバーだが飛び飛びで設定されていても、日に3件も入っていればもはや他のアポはなかなか入れずらい。これでは出張に来ている意味が薄れるというもの。本末転倒だ。

そして、様々なタイプのミーティングに出てみて、Skypeに適していないミーティングもやっぱりあるんだなとも気付く。例えば参加人数が多い場合や、ブレスト的な場なんかがそうだと思う。ちょいと訳知り顔で意見を言おうものなら、場の流れを”完全に”ストップさせてしまうわけだ。なんと言っても全員が耳をそばだてる事になるからね。そういった経験を幾度と繰り返していると”上の方面”と言われる職種についている私ですら発言しづらくなってくる。

勿論、オンラインミーティングを機能させる為の改善策はあるはずだ。ハード的な改善や参加者の取り組む意識改革もそうだ。他事例を勉強してなにがしかのルール作りも一考。しかし、そういった改善を今の所少数派であるところの出張対象者(特に自分)にベクトルをあわせてもらうのは、現状ではちょっと無理があるかもなと思う。

というわけで、改善案としてはまずは現状の不都合を回避する為に、出席対象のミーティングの取捨選択をすることから始めている。また、自分が主催するミーティングから少しずつ改善を仕掛けてみるのも良いかもしれない。

そんな試行錯誤は、逆の立場になったときは相手の事を考えてミーティングを設定できるし、今後会社の海外展開がもっと加速し、多くのメンバーとのオンラインミーティングがより重要になってくるステージにおいては、きっと役立つ時もくるはずだ。

#あ、出張したときの家族とのコミュニケーションに関しては、Skype様はそれはそれは役に立っていますです。はい。

2013/08/07

『英語でプレゼン:あまり緊張しなかったワケ』

ここシンガポールにも、日本で言うところの写真家協会のようなものにあたるカメラマンの団体が複数存在している。

昨晩、そのうちの一つの会合で、自社のサービスの紹介についてプレゼンをさせてもらうという機会を頂いた。しかも、「公称130人」という人々の前で。勿論英語で。

内容はあまり詳しく言えないんだけども、要は「当社でストックフォトに取り組みましょう!」的なもの。ここでは内容がどうってことではなく、「英語でプレゼン」という初体験が私にとっても刺激的だったので書き留めておこうと思った次第。

47歳で「初体験」ってなかなかないよなぁと思ったりもするのだが、考えてみればそれは自分次第。小さな事でも意識していれば初体験って結構見つけられるものかもしれない。要は意識できるかどうかだ。

なんておっさんの説教じみた話はどうでも良いのだけども、「英語でプレゼン」なんて規模の話は、意識しようがしまいが本当に本当に初体験だったのである!!

というわけで、「いやー、緊張した!」・・・『そうだよねー』と皆さんの賛同を得たい欲求は真夏の積乱雲のようにぐんぐん盛り上がってはいるんだけど、実は正直そんなことはなかった。

何故だろう?と自分なりに分析してみると、それはやっぱり「英語」だったからだ。ちょっと矛盾するかもしれないけどそうなのだ。振返ってみると2つの小さな発見があった。

1つ目は、つまりネイティブレベルではない自分の英語にはあれこれ考える「邪念」が入る余地がなかったということ。変にウケを狙おうとか何か必要以上に良く見せようとは思わなかった。いや思えなかった。なので、伝えたい事を伝えるという意識にフォーカスできたし、繰り返し行った事前のロープレをしっかり実行するだけという非常にシンプルな心理状態になれたというのが主要因だったのだろうと考えている。

そして、会場について自分の番が近づくにつれて頭に浮かんだのは「日本語が下手な外人が一生懸命プレゼンしている姿」だった。仮に彼をジェームスとしよう。

「みなーさん。こんにーちはー。僕、ジェームスですん。よろしくですん。僕のpresentationはがんばりますん。」(※英語表記の部分だけ凄く英語的になる感じね)

といった感じでプレゼンを始めるジェームス君だ。私自身はそんな彼をみればむしろ「がんばってすごいなー」と思うたち。だからこの会場の中にもきっとそんな人々がいるはずと考えた。すると「少なくとも自分みたいに考えてくれる人達に伝わればいいじゃん」という意識が全面に出て来て、結果として開き直れたということが2つ目だ。

そういう意味では、例えば、色々な手心を加える自由度の高い日本語で挑む「結婚式のスピーチ」などの方があれこれ考えてしまって結果として緊張してしまうもの。

だから、これからは何らかで登壇する機会を得たら、①必要以上に格好付けない。②ジェームスを心に思い浮かべる。の2つを強力なツールとして活用してゆこうと思っている。

「英語でプレゼン」・・・なんだか癖になりそうなくらい嵌ったかも。

#ただ、緊張しなかったという事実とプレゼンの善し悪しは全く別ものであるということを付け加えておかなければなりません。