2015/01/13

古典系読み 002: ハツカネズミと人間

ピューリッツァ賞もノーベル文学賞も受賞したスタインベックの中編小説。


1930年代のアメリカ。

2人の出稼ぎ労働者が流れ着いた、ある農場での4日間が舞台になっている。

小男で利発なジョージと体は大きいが知的障害を持つレニーの2人組。

様々な働き場を求めて歩く2人には、自分達だけの農園を持つという夢がある。とりわけレニーはそこでウサギを飼うことが最高の夢だ。しかし、結局それは単なる夢のまま終わってしまうのだ。

1930年代のアメリカと言えば世界大恐慌真っ只中だ。そんな世相を表しているのか、この物語にはアメリカンドリームの欠片も感じられなかった。そんな言葉など頭から存在していないかの様だった。

レニーはハツカネズミをポケットの中で"彼なりに"可愛がるのが好きだった。しかし、大概は無意識のうちに握り潰してしまうのだ。

レニーなりの可愛がり方では、ネズミは生きられない。ネズミすら可愛がることができなければ、ウサギを飼う夢なんて叶えられっこない。

ネズミは彼らの決して叶えられない夢を象徴しているんだと思った。

それにしても、ジョージは何故知的障害を持つレニーと行動を共にしていたのだろうか?レニーは流れ着いた先で、その場に居られなくなるような問題を幾度となく起こしているというのに。

おいてけぼりにしようと思えばいつでも出来たはずだし、作中にも出てくるが、そうすればレニーは施設に送られて、彼が生きるには難しい世間から離れてそれなりに暮らせたはずだ。

単なる同情心なのだろうか?寂しいからなのか?

互いに何かを必要としていたのは間違いない。

そして最後に、ジョージはある悲惨なことからレニーを救うために、彼を撃ち殺してしまうという選択をする。

ジョージはレニーを長らく連れ回していた事を心底後悔したはずだ。

レニーが死んだ直後、農場の仲間で一番話のわかる奴、スリムに酒場に誘われる。

「さぁ行こう、ジョージ。お前と二人で一杯飲みに行こう」 
「ああ、飲もう」

どんな気持ちで酒を飲んだのだろうか。ジョージにしても、元々自分達の夢を実現できるとは、心の底では思っていなかったのだと思う。この瞬間に全てが終わったと悟ったのだろう。

レニーといることで、夢に手が届く気になれていることを、この出稼ぎ暮らしの中で心の支えにしていたのかもしれない。

ただ、そうだとしたらやはりジョージは自分勝手な男だ。少なくともレニーにはハツカネズミの可愛がり方くらいは教えておくべきだった。
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映画化もされているようなので、見てみようかな。

3冊目は、たまたま家の本棚で見つけた阿刀田高の「コーランを知っていますか」を手に取っている。

イスラムについては本当に何も知らないと言っていい。

本書自体は古典ではないが、コーランという超古典に触れるきっかけになればと思う。

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