家庭でも恋人関係でも仕事でも、人生にまつわるものはなんでも神聖化してはならない。
神聖なものは単なる象徴になって、やがて退屈なものになってしまう。
そうなると、もう何も考えなくなる。ただそこにあるのみだ。当たり前の存在。そんなもの面白くもなんともない。
だから、いつもどこかで穴をみつけて、ほじくっていなければダメだ。
神聖どころか、なんか違うところ、なんか変だな、というところをいつも探索していなくちゃ。
ただし、それってその対象にものすごく興味を持ち続けられていることが前提だったりする。そこなんだよね、そこ。こだわりであり執着であり。。。
でもそういうことをやっていると、自分がいつのまにか周りと異質な存在になっていることに気づく。いや、気づけばいいのだが、無邪気に何かを発言していたりしていると、だんだんあいつ頭おかしいんじゃないかと煙たがられたりするから始末が悪い。例えば、つまらない組織なんかにはそういうところあるあるだったりする。
だからそんな状態をいち早く自覚できるかどうかが大事。その探索能力を活かすうまいやり方を考えなくちゃ。それは実はものすごく価値のある能力なのだから。
ところで、そういった能力をもつ変人たちが相互扶助的に協力しあって何かを作っていく世界を想像するとちょっとワクワクする。変に考えすぎるのではなく、いつもどこかで何か変なことが発見されている状態であり、またそれらが奨励されている世界。
「変なもの探索能力」についてはもっと考察を深めていきたい。
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