2012/06/02

芸術家のマーケティング感性



photo credit: DrPantzo via photo pin cc

昔のパリには、貧乏芸術家が集まるカフェに、ブルジョワ階級の金持ち達も競って集っていたそうですね。芸術家は絵を描いたり、物を語ったり、思い思いに過ごしていて、ブルジョワ達はそういった彼らを面白がって眺めていたそうです。

ブルジョワ(ブルジョワジー)という言葉の本来の意味はおいておいて、ここでは「金持ち階級」、という意味で使うことにします。

その空間は、互いに持っていないものを交換することで成り立っていました。ブルジョワ達は自分が経験しえない未知の経験をしている者達と接する事で、刺激を得、知見を拡げ、様々な欲求を満たしたのです。そして芸術家は芸術を続けていく為の将来の糧(お金やネットワーク)を得ていました。

金持ちが芸術家を育てるとか良くいわれる事がありますが、それは投資とか金銭的な側面だけではなく、こういった人間の本質的な欲求を埋めてもらえる関係の存在が根本的にあるということでしょう。

「わしは、これまで地位や金ばかり追いかけてきたが、本当はこんなどうしようもない事をもっとやりたかったのじゃ。この絵はそれを表現しとる。ここに、やっと手に入れたぞ」

と、カフェで買った絵を持ち帰った上品(そうな)紳士が、グラスを片手に彼の自室でその絵画を眺めながら、興奮気味につぶやく声が聞こえてきそうです。


だとすると、現在の芸術家達が、奇異に映るライフスタイルや発言、そして一見意味不明な作品づくりを追求している姿は、世界に数多くいる上品(そうな)金持ちの紳士・淑女達の「面白い」あるいは「羨望」といった様々な感情のニーズに答えるという観点から、相当『戦略的』であるわけですね。

一方、現在のソーシャル的なネット活用の普及は、自分たちの活動などを世界に知らしめる手段としては有効ですが、ある意味全てが「あー、それはだれそれが既にやってるよね」と、瞬時に陳腐になってしまう世の中でもあります。また、監視社会の強化で、文化や価値観の違い、モラルなどがある種の幅の中に収まってしまう懸念も考えられます。こういった風潮が、奇特な芸術家や、そんなスタイルを面白いと思う破天荒で人間味のある起業家が生まれにくい環境につながってしまっては、人類の大損失だなと思います。まぁ、そんな事気にかけない人々は沢山いるでしょうけどね。こんな心配をするなんて、大体僕自身が小さいんだよなぁ。あー嫌だね。

村上隆氏は、「芸術で評価されるのは『観念や概念』の部分」と言っています。それは芸術だけに限る話ではないと思います。ビジネスにしろ、何にしろ、新しい概念や観念を生み出す為には、周囲に迎合しようとする世の流れには、意識して避けてやるぞ、位でいる方が丁度良いのかもしれないな、と最近考えたりしています。うまく言えないけど。

ともかく、冒頭の、カフェにたむろする芸術家達の金持ちの紳士・淑女のハートをわしづかみにする、軽い言葉で言ってしまえば、「マーケティング感性」には学ぶべき点は多そうです。

そんな芸術家の生き様を書いた本がどこかにないかなぁ。

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