2014/05/19

演じること

人は多かれ少なかれ、生きて行く上で本当の自分とは異なる部分を演じていることがあると思う。

薬物やアルコール、ギャンブル依存絡みの話に触れるとそんなことをふと考える。

以前かじった社会学の中で「ドラマツルギー」という考え方がある。それはまず自分という存在は他者がいて始めて成り立つというものであり、そして、その他者をオーディエンス(観客)に見立て、彼らに自分がどのように見えているかの認識を通して自己を確立してゆく、と確かそんな意味だったと思う。

この考え方に従えば、人はオーディエンスの期待に答えようと本来の自分とは異なる姿を演じようとする動機が強く働くことになる。

うまく演じきれればいいのだけど、そのギャップが大きすぎると、何処かでその差を埋めようとついつい無理をしてしまうのかもしれない。

特に有名であることで仕事をしている方々などは、そういう面では精神的にも相当強く無いとやっていけないだろうと思うが、何もアーティストだけでなく、普通のビジネスパースンや、親、子供だって当てはまるはずだ。

つい先日も「組織のリーダーという姿は多かれ少なかれ演じるものである」という話も聞いた。

個人的には、本来の自分と演じる部分はバランスを取っていくのが良いと思う。しかしその一方で、振り切れるくらいに何者かを演じ切れなければ、偉業を達成する名優にはなれないだろうなとも思う。

勿論、大前提として「何を演じるか」の設定が重要なのは言うまでもない。それがなければ、只々オーディエンスに翻弄される人生になってしまう。

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