2012/09/16

散策の効用



花金(!)だった金曜日の晩、会社のパートナー達とわりと遅くまで飲んでいたのにもかかわらず、昨日は何の苦もなく朝早くに目覚めました。年のせいではないかと、ふとよぎった疑念を振り払い、「すぱっ」と飛びきて近所の長谷寺周辺を散策することにしました。

夜明け前にまとまった雨が降ったらしく、残暑厳しい日々の中で、しっとりと湿った路面に束の間の涼を感じる事ができて、ちょっぴり得した気分になれました。そんな環境で散策できたのだから、とってもリラックスできていますし、ゆったり歩いてい周りを観察する余裕も出てきました。

ほとんど人気のない通りを歩いていると、毎朝通勤で見慣れている町並みでさえまるで別世界(のように視えた)。鎌倉特有の古い家々はより一層趣の深いものに。頼りなく佇むカフェは、渋谷あたりで見かける、人工的で頑丈な建物に入居しているそれらとは違い、その存在に何かの意味があるように感じられて思わずシャッターを押してしまいました。↑↑↑

いつも何気なく視ているものでも、環境や心持ちを変えた視点で捉えてみると、以前とはまるっきり違う世界が見えてくる場合もあるんですね。「視る」とはそういう事なのでしょう。仕事上で解決すべき課題なんかもそうですが、写真を撮る、デッサンをする、文章を書く、という創作活動全てに通じる大事なことなのです。

じっくりと思索もできる散策って、走る事に懸命になってしまうジョギングよりいいかもなぁ。

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