2012/10/07

『ミケランジェロの教え』

photo credit: tj.blackwell via photopin cc

サウジで発行のカタログ写真から女性を消去、イケアが謝罪
「加工は現地のフランチャイズ店に要請されたわけではない。サウジアラビアのイケアのカタログ見本を提示する前の作業工程で過ちが発生した」2012.10.03/CNN.co.jpの記事より。
まず、この記事だけでは事の本質はわかりません。しかし、報道された事実をそのまま受け入れることで、本件を考えてみました。

私としては、記事の中で同国在住の女性ブロガーも言っているように、手法そのものは特に気になりません。むしろ宗教的慣行に対するマーケティング上の"配慮"と捉えています。更に、制作したデザイナー、撮影をした写真家、女性モデル自身の契約上の処理はきちんとなされている(当然の前提ということで)のですから、資本主義世界のルール上は全く問題のない行為でしょう。

それよりも気になったのは、進出先のマーケットとブランディングの関係について同社の中でどのような戦略があったのか、と言う点です。そこが、本件に関係して私が知りたい本質と言えます。事実モデル自体を「レタッチで消去」いるわけですから、同国市場の特殊性は理解していたはずです。しかしながら、女性とファミリー層の支持が高い同ブランドなので、そこのところは社内で相当な議論になったはずです。ですから可能な範囲でその議論の内容を公開し、今回の決定に至った過程の説明をした方が、より同社の考え方を示す方法としては有効だったように思うのです。その上で過ちだと認めるのであれば謝罪をするというの順序の選択がより良かったのではないでしょうか。ですので、冒頭に引用したようなコメントだけでは、むしろあらゆる方面からマイナスなイメージを持たれてしまうリスクを感じます。

同一カタログの使用による「世界的なブランディングの統一性」を図ろうという意図があったのであれば、それは脆くも崩れ去りました。同社の規模であれば、「再撮影」の選択もあったのだろうと思います。サウジアラビアという国の宗教上の慣行に配慮したビジュアルの構築はいくらでもできたはずです。勿論、時間やコスト等の表に出てきていない要素が意外にも方針の決定に大きく影響した背景があるのかもしれません。しかしそれはオフィシャルでの説明はなされていませんでした。

現在の私達は、デジタル空間で「ある存在」を簡単にしかも完璧に消す、あるいは創り出すことができる技術を手にしています。それはこれからも更に進化するでしょう。どのような現実をデザインしていくのかという思想がより重要になってくるんだと思います。コンセプトを考える人々の重要性が増々高まってきますね。

先日読み終えたばかりの「ミケランジェロの生涯」にもある意味同じような意味の事が書かれていたので最後に紹介しておきます。
「絵は頭で描くもので、手で描くものではない。自分の思想を持たぬ者は、己が面目をつぶすだけだ」




0 件のコメント: