2015/03/03

古典本系006: 歴史入門


以前読んだ、ナシーム・タレブのブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質 で引用されていた歴史家、フェルナン・フローデルの本。


タレブをして「偉大な歴史家」と表現されていたので、まずは入りやすいものからということで手に取ってみました。

フローデルの代表作『物質文明・経済・資本主義』における歴史観を簡潔・明瞭に語り、歴史としての資本主義を独創的に意味付ける入門書との事です。

さて、この本は、歴史の見方、捉え方になんとなく変えてくれるきっかけを与えくれそうな気がしてきます。ええ、何となくですが。

ポイントとしては、著者は従来の歴史とは社会的出来事、特に政治的な物事を年代順に追ったいわゆる政治史と同義であると言っています。

しかし、現実には人々の間には常に物質的生活があり、様々な経済活動がその上に成り立っているのであり、そういった活動が歴史の流れに影響しないわけがないだろうと、まぁ、簡単にまとめてしまうとそのようなミクロな視点で膨大な歴史の扉を開けられてきたのだろうと理解しています。

確かにそうです。例えば、ある都市国家があったとして、そこにはゼロから国家が作られたのではなく、ある程度既に人の往来があった上に建設されるわけです。

では、何故そこにそもそも人の往来が始まったのか。都市や国家の成り立ちをそんなところから眺めると別の見方もできます。

例えば鎌倉幕府がいきなり1192年にできたと考えるのではなく、鎌倉という土地になぜ幕府が築かれるようになったのか、ということを地域と地域周辺の人々の暮らしまで縦横に深く広く見ていこうと、そういう感覚です。

しっかりとした歴史観を持たなければならないと言われますが、そういう意味では多くの場合それが政治史的な要素に偏っているのではと感じます。

しかし、それらは時代や権力者の都合によって歪んでしまっていたり、或いはいわゆる政治史的な歴史に影響を与えることができる人々が置かれている立場によって解釈も異なってくる可能性にも想像を膨らませる必要もありそうです。

そんな表面に出てきている一面的な方向からだけで、しっかりとした歴史観を持つことは難しいのかもしれません。

歴史にはもっとミクロを見つめる必要があるのではないのかな、と。

この本では、17世紀のヨーロッパを中心に話が展開されていますが、日本は一体どうだったのだろうかと学び直してみたいものです。

そんなところから、次の本では民俗学者、宮本常一の「忘れられた日本人」を手に取っています。並行して読んでいる「自負と偏見」ももうすぐクライマックス。


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