2012/04/08

土日を「週初め」と捉える事



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きわめてスローペースで進んでいる「社会心理学」のお勉強。現在は、この本(第12版2000年版)の「労働の社会心理」という章までたどりついています。この章では職業生活の環境、職場集団状況と勤労意識の関係および様々な労働観についての考察を学ぶことになります。まさに、自分の仕事にも役立つ内容。

労働状況が社会から受ける影響や、個人がしっかり働ける様な職場環境とは一体どういう事をいうのか、などを理論的な観点から学ぶのは本当に新鮮です。特に個人的には、人々の労働観なるものをもっと真剣に考えてみる必要があるなと思ったりしました。中でも旧約聖書と新約聖書で 「安息日」に関する捉え方に違いがあるという以下のような記述には「はっ」とさせられました。

(引用)
・・・労働と安息日については、旧約的安息日は一週の終わりの日で安息は労働の結果であるのに対して、新約的安息日は一週の始めの日であり労働の力の源泉であり、労働と安息は相関関係に置かれている・・・

同じキリスト教でもこのような考え方の相違があるのも興味深いですが、人生のうちでも多くの時間を労働に費やしている人間にとって、この微妙な捉え方の差が、人生そのものを全く別のものにしてしまうかもしれないなと考えると、意識の違いって大きいなと思います。

個人的には、新約的安息日観をもっていたいなぁ、いや持つべきだと強く思いました。

こんな僕でも労働の結果得られるのが安息だとは決して思ってはいません。しかし、週の後半くらいになると「あと一日働けば休みだぁ」と良く口走ったりしますし、金曜日の夜になれば、一週間で溜め込んだ何物かを吐き出すかのようにお酒を飲み過ぎたりもします。考えてみると、それは無意識かもしれませんが旧約的な安息日観をもっている事になりはしないでしょうか。休みに向かって仕事をしている、というような感じですよね。

週末にどかーんとまとめて休息を取り、ストレス発散の為に遊びまくって、むしろ月曜日に仕事モードへ戻るのにさらにストレス発生!という、いわゆるサザエさんシンドローム的な話を良く聞きます。なんという悪循環でしょう。むしろ安息がマイナスに働いています。そんなんでいいはずがありません。そこで新約的安息日観に切り替えて、例えば仕事の終わる金曜日に、「さぁ明日からまた新たな一週間がはじまるぞ!」という考え方をすることができれば、今までは一週の終わりにくっついていたその土日という2日間を、新しい週の始まりの2日間という「全く別もの」に変えてしまう事ができます。必然的に休日の過ごし方が変わってくるのではないでしょうか。土日は週末ではなく、週初となるのです。なんか、こう清々しい感じがしませんか。会社を出るときに「良い週初めを!」なんて挨拶の掛け合いは素敵だなぁ。その挨拶には、「いい準備をしてきてね」「君もね」、という思いが込められているのです。

働いている状況がうまくいっていないなと感じるとき、しゃにむに仕事に取り組んだり、業務のやり方の改善ばかりに目を向けがちです。しかし、ちょっとだけ見方を変えて、逆に休日に対する考え方を改めることをしてみる。すると、このように思いもよらなかった意識の変化につながったりします。「見方を変える」「意識を変える」というのは意外に難しいものですが、煮詰まったときこそ、発想を転換してみるのも良さそうですね。

そんな事を、新約聖書と旧約聖書の「安息日」に対する考え方から学びました。

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