僕にとってはちょっときつかったけど、海に入れるだけ幸せだ。
そういえば昨晩、ベストセラー連発のミステリー作家、マイクル・コナリーの真鍮の評決 リンカーン弁護士 (上) (講談社文庫) を読み終えた。
これはまさにハリウッドのどんでん返し系アクション・ミステリー映画の構成そのものだ。どっちがどうっていうのもあるけど、ラスト数十ページの展開はこれまでにも観たことあるような映画のシーンが容易にイメージできてしまった。
内容的にも、そういった構成の妙みたいなものに瞬間的に気持ちを揺さぶられるだけで、ストーリーとかキャラクターがハートに落ちてくるようなパンチは少なくとも僕は感じられなかった。
作中に出てくるセリフに
「ハリウッドでは本当の俳優はカメラの後ろにいる」
という箇所がある。皮肉だけど、まさにこの作品の全体こそがそんな感じなのだ。
書いた本人ではない誰か(例えばマーケティング)に操られているようなそんなイメージ。言い換えると「本当の作家はライターの後ろにいる」的な。
映画化されそうな小説市場にも「売れ筋」というものがあって、マーケティング重視のコンテンツはどこか似通ってきてしまうのかもしれない。或いは大衆が支持するベストセラーを映画化しているから当然なのだろうか。
こういった売れ筋の誤謬は、どのコンテンツ市場にも潜んでいそうだ。
情報拡散のスピードがかつてないほど速いインターネット時代は、このようなコンテンツの均質化とどう向き合うのかが課題の一つになると思う。
人々が独創性だけを求めているとも思えないのだけど、多くの制作者が売れ筋を追いかけていては、少なくとも埋もれるし、果ては飽きられてしまうリスクが高まっているのは事実だろう。
とするとこれからのコンテンツ市場はデータードリブンで「売れ筋」を理解しつつも、同時に疑い敢えて外していくというような感性が求められてくるのは予想するに難しくない。
そういう意味で、コンテンツ制作者側の個性のあり方こそが、これまでのどの時代よりも注目される時代になってきているのかもしれないな、なんて考えている。
映画化されそうな小説市場にも「売れ筋」というものがあって、マーケティング重視のコンテンツはどこか似通ってきてしまうのかもしれない。或いは大衆が支持するベストセラーを映画化しているから当然なのだろうか。
こういった売れ筋の誤謬は、どのコンテンツ市場にも潜んでいそうだ。
情報拡散のスピードがかつてないほど速いインターネット時代は、このようなコンテンツの均質化とどう向き合うのかが課題の一つになると思う。
人々が独創性だけを求めているとも思えないのだけど、多くの制作者が売れ筋を追いかけていては、少なくとも埋もれるし、果ては飽きられてしまうリスクが高まっているのは事実だろう。
とするとこれからのコンテンツ市場はデータードリブンで「売れ筋」を理解しつつも、同時に疑い敢えて外していくというような感性が求められてくるのは予想するに難しくない。
そういう意味で、コンテンツ制作者側の個性のあり方こそが、これまでのどの時代よりも注目される時代になってきているのかもしれないな、なんて考えている。
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